561 うちの新しい旦那さま
うちの新しい旦那さまは、良い方だ。
前にお仕えしていたナシャンダ侯爵さまも素晴らしい御方だったが、若く将来性の高い御仁にお仕えできるということもまた嬉しいことだと思う。
俺は今は一介の庭師だが、前は門番を任せてもらえる程度の騎士だった。
と言っても、平民で……あくまで国が定めた騎士試験を受けた後に、ナシャンダ侯爵さまのところで召し抱えていただけた、運の良い男に過ぎなかったけれども。
門番は、その家の顔だと俺は教わった。
来客たちを出迎え、そして礼儀正しく、そして主を守るための盾として門として役割を果たす、最初の役割だからだ。
そんな俺は事故で怪我をして門番もできなくなってしまったが、庭いじりが好きだったこともあってお屋敷の庭師に弟子入りし再出発をした。
年齢が年齢だったこともあって本職にはなれないなあと諦めていたところに、王都のお屋敷の管理を任せてもらえることになって……あの時は妻のマーニャと喜んだものだ。
(俺はお仕えする相手に恵まれてるなあ)
いつか誰かが利用してくれるであろう、貴族の屋敷としては小さなその家を俺たち夫婦は大事に大事に守ってきた。
ここに住んでくれる人はどんな庭が好きだろうか、いつでも変えられるようにしよう。
だからといって適当にしておくんじゃなく、来た時に『ああこの家で良かった』と思ってもらえるような、温かく出迎えられるような庭を作っておこう。
そう思っていたら、今度子爵位に取り立てられたという若者と、その婚約者が住まう家になったわけだ。
そしてそのまま俺たち夫婦は、その若い主人に仕えることになったって寸法だ。
この若い主人たちはなんともいい人たちだった。
元々が伯爵家の庶子で剣聖候補、というのは俺でも知っているような話だ。
それでも腐ることなく騎士となり、近衛騎士として国王陛下の信頼をいただいたからこそ叙爵されたに違いない。
加えて、その婚約者のご令嬢もこれまた良い人なのがいいところだ。
王女殿下の侍女を務めてらっしゃるというが、俺たちにも気遣いを常に欠かさず、お優しい。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、旦那さま」
「……まだ慣れないなあ」
「ははは、慣れていただかないと困ります」
そんなお二人は婚約式も迎え、少々早いが週の半分以上をこの家で共に暮らしてらっしゃる。
結婚式まで時間がないというのがとても大変そうであるが、そこは貴族としてやらねばならないことがたくさんあるのだろう。
二人揃って『もう少し余裕がほしい』と言ってぐったりしている姿を見ると本当に同情を禁じ得ないが、ここで俺たち夫婦にできるのは、せいぜいお二人がお過ごしになる時間は心穏やかにあれるよう使用人として尽くすことくらいだ。
「ユリアさまが起きて待っていらっしゃるそうですよ」
「ユリアが? 先に寝ていて良かったのに」
「旦那さまのお帰りを待ってくださっているなんて、本当に大事にされてますなあ」
「……そうだね。ああ、マーニャただいま」
「お帰りなさいませ」
「ユリアのところに行ってくるよ」
「かしこまりました、では先に外套をお預かりいたしますね」
お忙しいお二人は仕事の合間を縫っては結婚式の準備をしているものだから、仕事の都合によっては顔を合わせづらいときもあるんだとか。
それでもお二人が揃って『ただいま』『おかえり』と言い合う姿はとても初々しくて俺たちもほっこりしてしまう。
「俺たちは仕える相手に本当に恵まれたなあ」
「そうねえ、いつ年齢からここの管理から外されるかとドキドキしていたのが嘘みたいねえ」
「外されるどころか、そのままお勤めできるなんてなあ」
馬は厩番に託して、外套にブラシをかける妻に声をかければ、彼女も嬉しそうに笑う。
俺たちは果報者だなあなんて笑い合っていると、嬉しそうに二階に上がっていったはずの旦那さまがまた玄関先まで戻ってきたものだから、俺たちはぎょっとしてしまった。
「旦那さま?」
「あ、ああ……マーニャ、悪いんだけど私が帰ってきたとユリアに伝えてくれるかい。私が二階に行ったことは伏せて……」
「は、はい、かしこまりました」
真剣な表情でそんなことを言われ、マーニャが姿勢を正して外套を玄関脇のポールハンガーに掛け、小走りにならない程度の早歩きで慌てて二階へと向かう。
その姿を見送って、俺は旦那さまの方へと視線を戻せば――普段はしゃきっとして姿勢もよろしく、騎士らしい態度を貫く旦那さまがその場でしゃがみ込んでいるではないか。
「だ、旦那さま?」
「……いや、うん。すぐ立て直すから。見逃してくれないか……」
か細くそんなことを言う旦那さまに、ますます俺は困惑した。
だが、すぐに旦那さまの耳が赤いことに気がついた。
玄関先のランプという頼りない灯りだが、それでもわかるほどに真っ赤だ。
(ははぁん)
どうやら二階で待っていた我らが奥さまは、旦那さまの帰宅に気がつかず何かをしていらしたのだろう。
その姿がものすごく可愛くて、そしてお声をかけるには少々恥ずかしがり屋な奥さまには耐えられないもの……と言ったところだろうか?
(なんだろうなあ、奥さまが新しい服を買ったとは聞いちゃいないが……居眠りをしていただけなら旦那さまもこうはならんだろうし)
いいねえ、初々しい。
俺とマーニャにもそんな時代があったなあ!
「なんでまだ結婚していないんだろう」
「もうちょっとですから」
「見栄なんて張るんじゃなかった」
「……何してるんですか」
ぽつりぽつりと聞こえる本音に、俺は思わず突っ込んでしまった。
ああ、うん。
立派な若者でもある旦那さまは、少々周りを気にして肩肘張って生きてきたからこそご自身のことよりも他者を優先するきらいがある。
前の旦那さまもそれが気がかりだからさりげなく支えてやってほしいなんて俺にも言っていたが……そういうことかと口元が緩んだ。
「彼女が可愛くて」
「はあ」
なんだ惚気か。
庭先でしゃがみ込むほどの?
「どうにも我慢できない気分になることがあって」
「はあ」
「でも私は年上だし、彼女を怯えさせたくもない」
「……なるほど」
そういう見栄ですか、なるほどなるほど。
ああ、旦那さまもまだまだ若者だものなあ。
俺にもそういう時代があった、わかりますとも。わかりますとも!!
「なんでまだ結婚してないんだろう」
「あとちょっとじゃないですか……」
「わかってる……」
「まだウェディングドレスもできあがっていないんでしょう?」
結婚式でのドレスは貴族令嬢たちの夢だとマーニャ経由で聞いたことがある。
きっと奥さまだって期待しているに違いない。
そのためにお二人は準備を頑張っているのだから。
よっぽど奥さまがグッとくることしたんだなあ。
若いっていいなあ。
そんなことを考えながら、かつてマーニャもそうだったなあ、などと俺は思うのだ。
(あの頃のマーニャは初々しくて可愛かった)
今はもう、あの頃のような情熱的な関係ではないし初々しさは失われてしまったけれども。
それでも年を経てマーニャはより可愛いわけだが。
「旦那さま、大丈夫ですよ。あと何十年も可愛い嫁さんを見られるんですから、婚約者期間の今を楽しんでください」
「……ああ」
俺の励ましがどこまで旦那さまに通じているのかはわからないが、嫁さんが可愛いと思う気持ちは俺にだってわかるんだ。
男としちゃあ我慢するのが辛い時だってあるが、それでも嫁さんのためになることで我慢し通そうとする旦那さまを俺は尊敬するし、やっぱりいい人だなあと思うのだった。




