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ドレスについてはまあとりあえずある程度目処はついている、ということにしておいて……私たちは予定通りナシャンダ領に到着して、侯爵さまの元へ行きました。
勿論、事前にお手紙は出してありましたのでスムーズでした。
お土産代わりに南国産の花の香りがする紅茶 (セバスチャンさんセレクト)を執事さんに託して案内されたバルコニーに行くと、満面の笑みで侯爵さまが私たちを出迎えてくれたではありませんか。
相変わらず素敵……ナイスミドルですわぁ……!!
「やあやあ、二人ともよく来てくれたね。陛下の急な思いつきで随分振り回されているようで、大変そうだねえ」
「……いえ、そんな……」
朗らかにぶっ込んできますね、侯爵さま!
でも間違ってはいないので否定もできないし、かといって肯定していいもんかはちょっと悩みどころです。
まあこの場で私が『そうなんですよ』とか零しても大丈夫なんだろうってことはわかっているんですけどね。
しかし宮勤めの悲しい性と申しましょうかなんと言いましょうか……。
(あんなんでも雇用主だしプリメラさまのお父さんだからなあ!!)
迷惑ですとは言えない。
とりあえず曖昧に言葉を濁して笑みを浮かべれば、ナシャンダ侯爵さまは楽しそうに笑って椅子を勧めてくださいました。
「ちょうど薔薇が見頃でね。君たちの忙しない時間の慰めになってくれたら嬉しいよ」
「ありがとうございます……!」
侯爵さまご自慢のバラ庭園を眺めながらお茶をする……なんと贅沢なことでしょう。
手入れが行き届きどの花も生き生きとしているのが遠目にもわかります。
「そういえば婚約式も終えたのだったね、まずはお祝いを言わせて貰おうか。おめでとう」
「ありがとうございます」
「お祝いの品は何がいいかな?」
「王都の家をあれほど格安に譲っていただいただけでなく、カルムさんとマーニャさんまで紹介していただいたのです。それで十分です」
「そうかい? それじゃあ君たちの結婚式のブーケに協力でもさせてもらおうかなあ」
お勧めの品種があってね!
そうニコニコと語り始めるナシャンダ侯爵さま。
なんでも新種の薔薇がいい感じに育っているそうで、まだ数は咲かせられないそうなんですがブーケくらいならなんとかなるのでは? とのこと。
勿論、生花ですからタイミングが合わないこともあり得るので、その時その時で最高のお花を用意するよと笑って提案してくださいました。
「結婚式を行うにも、最低でも半年以降だろう?」
「は、はい。ですがよろしいのですか?」
「注目を浴びる二人の式で花のお披露目をさせてもらえたら我が領としてもとてもありがたいからね」
ぱちんとウィンクされて思わず胸がキュンとしてしまいました!
はわ、ナイスミドルのウィンク……!!
「ユリア」
「はっ」
ドギマギする私の横からアルダールの穏やかだけど穏やかじゃない声が聞こえて、思わず背筋がしゃきっとしました。
「ナシャンダ侯爵さまのお心遣いに感謝いたします。できればその花が咲く頃合いに式が挙げられればと思いますので、大体の時期がわかっておられるのでしたらそちらを教えていただいても?」
「勿論だとも」
アルダールの言葉に朗らかに応えたナシャンダ侯爵さまは、紅茶を飲んでふっと微笑みました。
「すまないね、君たちの来訪に年甲斐もなくはしゃいでしまって」
「……侯爵さま?」
「新たな家門の門出と結婚式という二重の祝い事というだけでもめでたいのに、それに加えて君たちは貴族たちからの注目の的だからなあ、何かと苦労が絶えないのを見るとなんとも忍びない気持ちだが……とても喜ばしく思うよ」
年長者としての心からの祝辞。
それを受け止めて、私とアルダールはつい顔を見合わせてしまいました。
これまでたくさんの方にお祝いの言葉をいただいている気がしますが、やはり何度祝われても〝私たち二人の〟関係を祝ってくれることがこんなにも嬉しいのです。
ナシャンダ侯爵さまはプリメラさまの外祖父として、オリビアさまの養父として、ジェンダ商会の会頭さんの友人として……多くのことに気を揉んでいらっしゃる方。
私とはプリメラさまの繋がりで、領地の特産品作りというものに参加させて貰ったからこそこうしてお話をさせていただけているだけなのに。
「おめでとう、二人とも」
「ありがとうございます……!」
「いやあ、ユリア嬢が無理ならアルダール・サウル君を養子に迎えたかったんだけどねえ。まさかバウム伯爵が頑として譲らない間に陛下がしれっと子爵位を押しつけるとは思わなかったよ」
しれっと子爵位を押しつけるって。
そんな言い方をしていいんでしょうか?
まあ事実ですけども!
「これから君たちにはもっと責任と期待ばかりが寄せられて、それを疎ましく思う日が来るに違いない。これはね、ただの侯爵位にある男の独り言だと聞き流してほしいんだけど」
そよそよと心地よい風が吹き、薔薇の花が揺れる庭。
穏やかな空間に、ナシャンダ侯爵さまの静かでどこか沈んだ声。
「何をしようと、何を成そうと、自分が気に入らないことについて声高にご高説を垂れてくるやつはどこにでもいる。そして、我々のように領主となったり、位が高くなればなるほどそれに対して動くこともまた難しくなるものだ」
「……」
「何を言っても許すのが寛容さではない。だが許さないことは狭量と言われるだろう? 親しく、信頼できる人との繋がりを大事にしてほしい。君たちならば、言うまでもなくわかっていると思うけれどね」
ナシャンダ侯爵さまは、そう言ってジャムの瓶を手に取る。
それは私と一緒に開発した、薔薇のジャム。
ピンク色の鮮やかな色をしたそれが、紅茶の中に落とされて溶けた。
「見たくもないものを見せられて、嫌いな人とも付き合わされて。それでも笑みを浮かべていなくちゃならないのが貴族として面倒なところだね。好き勝手やってもいいが、それだけの責任を負うのも大変だ。……私には薔薇があって、そして友人がいてくれる」
アルダールは貴族家当主として、私はその妻として。
国王陛下に望まれているのは降嫁したプリメラさまを、そしてその夫となるディーン・デインさまを、陰日向になって助ける役目を担うこと。
そのために目をかけている……としても周囲は王家から頼られていると見る以上、やっぱりどうしたってナシャンダ侯爵さまが仰るように面倒事からは目を背けていられないに違いない。
(悪意ある言葉も、態度も、人の裏表も……そういうのとは遠ざかっていたかったなあ)
勿論、プリメラさまがそういったものに触れて傷つくことがないように細心の注意を払っていたので私もまるで知らないってわけじゃありません。
むしろまあ鉄壁侍女って言われて見た目が地味だの行き遅れだの散々な言いようだった人たちが社交界デビューをした際に手のひらクルクルして見せてきたことは今でもよぉく覚えておりますのでね!
「まあ、そういった〝信頼できる相手〟の中に私も含めてくれたら、とても嬉しいよ」
「……感謝いたします。ユリアと、こうして穏やかに過ごせるのには侯爵閣下のご尽力もあったと父から……」
「なんのことやら。さて、茶を楽しんだ後は少し庭園を散歩でもしないかい。ブーケにお勧めした花を是非二人には見てもらいたいな」
柔らかく笑ったナシャンダ侯爵さまに、私は頷きました。
見たくないもの、聞きたくないもの……。
(そういうのに直面した時、私はちゃんとできるかな?)
頼れる人がいてくれるとはいえ、やっぱりまだまだだなあと気合いを入れるしかできませんでした。