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私はアルダール・サウルさまと別れて自室に戻って、夕餉の支度は手伝えなかったけれど給仕はできるのでそのつもりで侍女服に着替え、髪を整え直す。
髪飾りは引き出しにしまった。
やっぱり侍女のお仕着せを着ている方が落ち着くなあ……。
しかし給仕までは時間があるので、今日あったことで少し考え事をしなければ。
問題はやっぱりスカーレット嬢よね。内宮の筆頭侍女に今日のことをありのままに伝えるべきだろう。曖昧にぼかしてもいいけど、きっとお使いのことですでに報告が上がっている以上あまりぼかした言い方が良いとは思えない。
ただ、アルダール・サウルさまは謝罪を求めていらっしゃらないようだったからその点は彼女の方に任せるとして……アルダール・サウルさま……。
ふと、そこで何故か手を握られたことを思い出して思わず赤面する。
ああー……どこの中学生だっていうんだ……。
いやでも急にあんな真似をするあの人が悪いんだと思う!
しかしスカーレット嬢、近衛隊に想い人がいるのか。
てっきりアルダール・サウルさまに片思いしてるんだとばっかり思った。きっと周囲の人にはそう見られているし、彼女自身“侯爵家の後ろ盾が”って感じの事言ってたしね。
想い人にも誤解されてるんじゃないのかなと思うんだけどそこんとこはどうなんだろうね?
あの発言でてっきり自分と結婚することでピジョット家が援助につくよって意味だと私は思ったんだけど、もしかしてただ単純に便宜を図ってあげるよって意味だったのかしら。だとしてもやっぱり彼女の発言は不用意極まりないから内宮の筆頭侍女にしっかり注意してもらわないと。
あんまりにもびっくりしてちゃんとお話を聞かなかったけれど、片思いの人がいるのにあんな思わせぶりな態度を他の男性にしていたらもっと縁遠くなりそうなものだけどね……。それとももう実らないと諦めているから恋しい人と仲の良い男性を選んでいるのかしら。
いやいや、あの子がそんな殊勝な真似をすると思えないなあ。
だとしたら本当に考えナシもいいところでしょう……。
一息入れていたところでセバスチャンさんが来てくれて本日の王女宮の報告を聞かせてくれたので、世間話の延長上としてちょっと恐縮しつつ今日スカーレット嬢と顔を合わせて、そして彼女の発言等をお話しして意見を求めたらやっぱり眉を顰めて「まずいでしょうなあ……」と言っていたからやっぱり大問題なんだろうねえ。
あんまり人に広める内容じゃないことはわかってるんだけど、同じ侍女として内宮から王女宮に飛び火しないとは限らないってのが残念ながら現状だ。王城勤めの侍女は頭が悪くても務まるんだなあなんてどっかで笑い話になっていたとしたら……笑えないから!!
でもスカーレット嬢は当然侯爵家の娘だから、園遊会の給仕に出てくるんだと思うんだよなー。内宮の筆頭侍女にとっては頭が痛いだろうね。
秋の園遊会は大規模な王家主催だけあって給仕にとても力を入れているのは言わずもがなだ。となれば当然駆り出されるのは侍女、つまるところ貴族の子女。彼女は当然給仕のメンバーリストに入っている。
王女宮からは私とメイナだけだけれど、それこそ王女宮と王子宮は専属の侍女と執事と限られたメンバーなので当然少なくていいけれど外宮と内宮はそりゃもう大変な騒ぎになる。
こう言ってはなんだけど、王子宮・王女宮・後宮・離宮で侍女となるのは選ばれた侍女なのです!
ここは胸を張って言えますよ。もう一度言いましょう、選ばれた侍女なのです!!
なにせ王族の方に専属でお仕えする以上、身分や家族、資産状況、なによりもお仕えする方の信頼を得て成り立つのです。それこそ数多の侍女を従えるのがお好きだという王族の方もいたそうですが当代の国王陛下ご一家は少数精鋭で無駄を省かれることをお望みでしたのでそのように構成されています。
本来は大勢の女官で華やぐ後宮も、今は正妃さまがお過ごしなだけとなっておりますので侍女の数は控えめです。とはいえ、王子宮と王女宮に比べれば多いですが。
王子宮の女官が少ないのは、王太子殿下のお情けをもらおうという女性陣の肉食ぶりがあまりにもアレでしたので……まあ、しょうがないでしょうね。王太子殿下が女性不信にならないよう祈るばかりです。いやそれこそそこはヒロインの登場に期待するべきでしょうか。
外宮はお客様をお迎えする大事な入口です。他国の王侯貴族がお越しになったり、外交官がお越しになったりと日々忙しいものです。故に侍女も女官も大勢います。
内宮は内部の文官・武官たちを支える業務がたくさんあります。上位の方には当然貴族の方もいらっしゃるのですから礼儀は欠かせません。
そんな役割を担う我ら侍女が一堂に集まりとにかくてんやわんやで給仕に追われる……それが秋の園遊会なのです!
勿論スカーレット嬢は侯爵家令嬢として十分な作法を学んでいると思いますが、あの高飛車な態度。あれが万が一にも園遊会の際に出てしまったらと思うと……うわ怖い。
なんでも今まで御手付きになりそうになったことはあるんだとか。でもそれを手酷く振った……という話を先ほどセバスチャンさんに聞きましたよ。わぁセバスチャンさん侍女たちのことまでよくご存じで。
そう感心した私にセバスさんったら大きくため息をつかれて「貴方がプリメラさまや我々のこと以外、無頓着すぎるのですよ」なんて言われました。心外です。
多くのお客様をおもてなしするためにいつも勉強と心砕いておりますのに。
でも。ちょっとそうかもしれないなあ、と思いました。
今日アルダール・サウルさまとお出かけしてみて、私は案外交友関係が狭いのだと思い知りました。
いえ、自分としてはプリメラさまがいて王女宮の皆がいればいい、家族が元気でいてくれたら十分だと思っていたんですよね。でもそれでは世界が狭いんだなあと改めて思ったと言いますか、なんと言いましょうか。
まあ、中心がプリメラさま。それは変わりません。
ただそこに、友人知人の枠がもうちょっと広まった方が私の為になるような気がしてきました。
アルダール・サウルさまに、ディーン・デインさまに、ナシャンダ侯爵さま、アルベルト・アガレスさま、ジェンダ商会の会頭夫妻……私の知らないことをたくさん教えてくださいました。
プリメラさまが笑ってくださればそれでいいと思ったこともあります。悪女にでもなんにでもなれると思ったこともありました。実際には絶対できそうにないですけども。
私顔には出ないタイプですけど暗躍とかそういった頭脳労働は実はそこまで得意じゃないんですよね!
誠心誠意仕事をするだけです。それなら得意ですから。
「ところでユリアさん」
「はい?」
「逢引は楽しかったですか?」
「あいびっ、……ええ、楽しかったですよ。ただそのようなお言葉選びでは先々で誤解を招きかねませんので、私をお揶揄いになりたいにしてもこの場だけにしてくださいませね」
「おや、年頃の男女がふたりきりで出かけることを逢引と私は認識していましたが最近の若者の間では異なるのですか?」
「……いえ、違いませんけれども。いえ! そうじゃなくて!!」
「ご自身がそのように思われておられずとも、お相手はどうですかな」
「あちらだってそのようには思っておられない……はず……」
そうだ、アルダール・サウルさまにご迷惑が。
そう思ったけれど私の語尾はだんだんと小さくなってしまった。
だって。
いやでも。
もしかして?
いやいや勘違いだろう。
前世だって勘違いして今までだって恥をかいてきたんだから、今世でいきなり運が巡ってくるとは到底思えない。
「そう、あちらもそのようには思っておられないはずです。私とあの方はプリメラさまとディーン・デインさまのご関係をより良いものにするための同士のようなもの。そのように仰っては失礼ですよ、セバスさん」
「……はあ、まったくこの堅物娘は困ったものですね。もう少しフランクに恋愛を楽しむとかそういうことはできないんですか」
「逢引とか古めかしい言葉を使っていた方がいきなりフランクとか使いだす方がびっくりです」
「若々しさでまだまだ負けるつもりはありませんからな」
いや、セバスさん73歳だよね? 今年74歳だよね?
しゃきーんと伸びた背筋も禿げてない頭髪も眼鏡なしでも新聞読めちゃうスーパー老紳士とは思いますけど。今でも銀食器を磨かせたら王城一とかいう噂がありますよね! よっ、執事の鑑!!
「時々思うのですが、ユリアさんは修道女かと思うほど恋愛を忌避しておいでだ」
「忌避など。そこまでひどいものじゃありませんわ!」
「まあ言い過ぎですかな。だがこの国は恋愛には大らかだ。結婚は早い方が貴族令嬢としては喜ばれますが、恋愛を楽しむ余裕は持っていた方が良いかと思うんだがねえ……」
「良い方がいれば、きっと私も恋に落ちますわ」
そりゃもう免疫ないからね。
スコンといくかもしれないよ!!
……スコンといった挙句にフラれた前世を思い出すと今でも凹むんですけど。
いやいやだからこそ今世は手堅く生きて行こうとこうして手に職を持っているんだし。
将来設計だってもうバッチリだし!!
そこまで行きつく間に恋に落ちたならまあ、いいんじゃないかな。
ただ今は仕事が楽しくってしょうがないからなあ、なかなかそういう方向に気持ちが向いてないのかなあ。
というよりは、私。
恋をするほど男の人とあんまり会ってないのかもなあ!
自分で気が付いてびっくりです。
いや、王城に男は腐るほどいるけどさー毎日の生活圏で顔を合わせる財務官……も最近はメイナに行ってもらってるし、メッタボンは彼女持ち、執事勢はご老人。仕事中はそういうことは考えないし、プライベートは自室にいるとか買い物に出るとかでそういう出会いは覚えがないし……。
ま、まあ見目が悪いからとそういう方向に諦めていますからね。
今更です!!
安定の拗らせっぷりである。