538 飲めないコーヒー
今回はミュリエッタさん回。大分本性を隠さなくなっております。
「そういえば、あの父娘の顛末を君に話したっけ」
「……なにが?」
あたしはとりあえず相槌を打つ。
特に気になっているわけでもないし、どうでもいい会話だ。
だってあたしたちの会話に、実なんてない。
(恋を楽しむこともなく、結婚しなくちゃいけない間柄だなんて)
そりゃあクズ男に引っかかったり、恋だと思っていたら遊ばれていただけ……ってのよりはずっとマシだと思う。
でも、ドキドキしない。
大事にされているかどうかって言われたら、されているとは思う。
将来は安泰だって言われたらその通りだと思うし、世間体ってやつもあるからきっと浮気をするにしたってあたしへのフォローはばっちりだろうし、そもそも上手く隠すような気もする。
最初から疑ってるのかって、こんなこと考えているって知られたらいろんな人から叱られそうだけど……だって、それも仕方ないと思うのだ。
あたしとリード・マルク・リジルの間に恋心もなければ、信頼関係すら築けていない。
恋する気持ちがないのに、相手をキラキラしたものには見えない。
それがたとえ〝攻略対象〟だったとしても。
(……あたしが望んだ、ものじゃない)
じゃあ何がしたかったのかって、あたしはただ、あのゲームと同じように恋に落ちて愛し愛され、キラキラした未来をつかみ取りたかっただけだ。
ただそれが〝シナリオ〟のない世界では、上手くいかなかっただけの話。
あたしが頑なに〝シナリオ〟を信じてしまったから、ミスが取り戻せなかっただけの。
ただ、それだけ、で。
そのそれだけ、が。
とてつもなく、大きい誤算だった。
「あの二人は鉱山に連れて行かれて、父親は鉱夫、娘の方は彼らの給仕として宿舎で住み込みとなったよ。……きみとも縁あった女性が最悪の事態にまでならなくて、良かったね?」
「……そう」
どうでもいい。
その言葉は呑み込んだ。
そんなことを言ってしまったら、あたしは誰にでも優しく朗らかな〝ミュリエッタ〟からは遠ざかってしまうから。
シナリオやゲーム、そんなものが当てにならない現実だと理解してもまだ、あたしはどこかで縋っている。
それをおかしな話だと笑いたいのか、泣きたいのか、正直自分でもよくわからない。
あたしの今の状態って、あたしが望んだものではないけど。
イケメンな婚約者がいて、定期的に会ってくれてプレゼントをくれて、ときどき意地悪だけど……でもいろいろなところに連れてってくれるし望んだことは大抵叶えてくれる。
ただ、あたしが恋していないってだけ。
(リード・マルクを好きになれていたら)
きっとこの状況は、もっとキラキラしたものだったんだろうなって思う。
アルダールさまだったらって、今でもちょっと思ってしまうのだ。
でも、あたしが恋したアルダールさまは、現実には存在しないんだって、理解してしまった。
ずっと前から、本当は気付いてた。
ゲームとは違う、シナリオは関係ない、努力したって周囲の目や、貴族がどうのって面倒なことがあって……ただ指定されたクエストやイベントをこなすのとは、ワケが違うんだって。
わからないはずが、なかった。
ただ、信じたくなかっただけで。
(あたしが恋したアルダールさまは、現実のアルダールさまとそっくりで、でも……あたしが知らない部分がいっぱいある、男の人で)
ゲームをプレイしていた時には、わからなかった部分がたくさんある。
あんな風に優しく笑うだけじゃなくて、好きじゃない人に対して冷たい顔をするとか……家族を大切にしているのは知っていたけど、歩み寄ったらあんなにも表情が柔らかくなるんだとか。
あたしにも、できると思っていた。
「いろいろと思うところがあったみたいだね。話してみたら? 少しは楽になるかもよ」
「……別に、なにも……」
「本当に?」
重ねて言われて、断ろうとした言葉が途切れる。
でももう一度断れば、この人はあたしの意思を尊重して、きっと引いてくれるのだろう。
大切にされている。
だけど、あたしが望んでいる大切じゃない。
でもあたしはどうされたいのか、わからない。
「……よくわからないわ」
「わからないの?」
「うん……」
アルダールさまのストーリーをプレイしていた時、家族関係に悩んでいたこと、女性関係で面倒くさいことに巻き込まれていやになっていたこと、そんな感じの描写があった。
シナリオはディーン・デインの兄ってことで家族関係の方をメインにしていたから、裏話的に女性関係……つまりお見合いの話は追加版の裏話的なところで語られていただけだけど……。
その相手については、詳細なことは何も書かれていなかった。
当時のあたしはあんな素敵な人なんだから元カノの一人や二人いたって仕方ないし、最終的に本当の愛情をあたしと育んでくれるんだから元カノなんてモブだよねーなんて思っていた。
でも実際に目の前にした時、ものすごくイラッとしたんだよね。
ユリアさんに対しては、そんなこと思ったことないけど。
(……アルダールさまのこと、うわべしか見ていないような女だったくせに)
でもそれは、ゲームのアルダールさましか見ていなかったあたしにも言えるってことなのだ。
それに気付いてしまった。
あんな人を見て、気付かされるなんてとても腹が立った。
「……あたし、リードさまにムカついてます」
「あれ」
「でも、感謝もしてます」
「……そう」
リードさまが、嬉しそうに笑う。
なによ、ムカついてるって言ったのに。
だってこの人は、あの女があたしに近づいてきた時、こうなるってわかってたんだと思う。
腹黒で、優しい笑顔を浮かべながらあたしに現実を叩きつけてくる。
みんなみたいに優しく諭そうなんて、リードは考えちゃくれない。
ただただあたしに現実を突きつけて、いい加減わかれって見せつけてくるのだ。
(そういうとこ、きらい)
口には出さないけど。
この関係は好ましくないけど、嫌われて面倒になるのは、いやだから。
あたしはこの人に恋心なんてかけらも抱いていない。
もう〝ゲーム〟に出てくる人間と同じだとは思っていないけど、どこかでデブ専のくせにって思っている自分もいるし、急に意識は変えられるものじゃないし。
(見てなさいよ、あたしは……あたしは、この婚約を解消しても許されるくらい、学園生活で成功してみせるんだから)
あたしにとっての理想だったアルダールさま。
現実のアルダールさまも素敵で、きっと……きっともっと上手くやってれば、あたしが彼の隣にいたんだろうけど。
あたしには騎士のアルダールさまを受け入れる強さもなかったし、貴族の奥さんなんてものには、なれそうにない。
ミシェルみたいな変な女が来ても、どうしていいかわかんなかったくらいだし。
でもこの恋心は、偽物なんかじゃない。
だから、まだもう少しだけ。
目の前にあるコーヒーに手を伸ばす。
「えっ」
リードが少しだけ驚いた声を上げた。
それは彼のカップだったから。手つかずだけどね。
ぐっと飲み干したそれは、あたしにはまだ飲めないブラックだけど。
少しだけ、驚かせてやったからまあいいかと思って顔をしかめたのだった。




