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「誰に許しを得て発言をしているんだ?」
「……え……?」
冷たい声。
一番近くで聞いている私も思わず「ひぇ……」と小さく声を漏らしてしまいました。
うん、他の人には聞こえていなかったようなので一安心。
もしかしたらアルダールには聞こえていたかもしれませんけども。
しかし言われたミシェルさんは顔色が真っ青です。
まさかいきなりそんな突き放されるなんて想像もしていなかった……と言ったところでしょうか?
私からしてみれば過去に一方的にオツキアイしていたと言い張るミシェルさんがなぜそんな自信満々にアルダールに相手してもらえると思っているのかが不思議でなりませんが……。
(ああ、もしかしたら当時のアルダールは周囲に対して平淡だったから、それをいいように解釈していたのかな?)
これまでアルダールについて、本人や他の方々から聞いた話を総合するに、複雑な家庭環境から誰にも、特にバウム家関連に関しては心を開かずに誰にでも平等な態度で接していたと。
近衛騎士隊に入ってからは態度が柔和だったからこそ、周囲には『誰にでも人当たりの良い優しい人』と思われていたわけですが……。
(単純に、それって誰が相手でも最低限の礼儀を払っていたってだけなのよねえ……)
八方美人とはまた違って、確かに平等と言えば平等なんだけど。
実際には人に対する好き嫌いは結構はっきりしているし、苦手な人は避ける傾向にあるし、嫌いな人は視界に入れたくないタイプなんですよね。
いい例が脳筋公爵とミュリエッタさんに対する態度でしょうか。
だから、それを踏まえて考えるに当時のミシェルさんに対しても『父親が決めた見合い相手だから最低限失礼がないようにしよう』と思ったに違いありません。
加えて、自分の意見なんてどうせ聞いてもらえないと当時のネガティブキャンペーンから彼女の言うことをよほどのことでもない限りハイハイ聞いてあげてたんじゃないでしょうか。
結果として彼女が増長し、それを見た父親が増長し、バウム伯爵さまのお怒りをかってお見合いの話はなくなったと……。
(当たらずとも遠からずでは!?)
思わず推理なんてしてしまいましたが、そんなことしている場合じゃありませんでした!
「どっ、どうして……」
「聞こえなかったのか。誰の許しを得て私に話しかけているんだ? 招かれざる客な上に、私の婚約者から帰るよう言われたばかりだというのに」
「あっ……あたしよ! ミシェル・シェルラーニよ!! 流れてしまったとはいえ一度は婚約の話が出た相手を忘れてはいないでしょう!?」
「たかが一、二度会ったことがある人間をどうして私が覚えていると?」
クッと喉を鳴らすようにしたアルダールの、その笑みの冷たいこと!
嘘ですよね、一、二度会った人でも大体覚えてるでしょうアナタと突っ込みたいところですがここはおとなしく口を閉ざしておくのが賢いってものです。
(しかもぐいぐい来る女性が苦手な原因でしょ、彼女……)
悪い意味で忘れられない女性には違いないんでしょうが、アルダールったら今の今まで覚えてませんでしたって感じで突き放すから私が突っ込みたくてたまらないんですけども。
「三度よ!!」
「んんっ……」
しかもそれに対して真面目に答えるミシェルさん。
漫才かな?
回数はどうでもいいんだって気づいて!!
さすがにアルダールも思うところがあったのか遠い目をしていましたが、まあ本当にそれはどうでもいいんですよ、ええ。
「……回数云々はどうでもよく、私も婚約者もあなた方のような無礼な人間と関わり合いになるつもりもない。お引き取り願おう」
「待ってよ! 一度は結婚を考えたでしょう!?」
「考えてなどいない」
スパッと言い切りましたが、それじゃあ言葉が足らないと思いますよアルダール。
まあ冷たい物言いと視線で普通なら諦めてくれるでしょうけども……なんだか切羽詰まっている人間というのは諦めが悪いって相場が決まっているじゃないですか。
私の視線に気がついたのか、アルダールは渋々といった感じではありますが……彼らに向き直りました。
「バウム家当主の意向で見合いの席には座ったが、それ以上でもそれ以下でもない。ましてや当主が認めない人間をなぜ改めて私が認める必要が? 何度も言いたくはないが、いい加減理解してお引き取り願う。これ以上は憲兵を呼ぶが」
「その方がよろしゅうございましょう、旦那さま」
いつもは優しい笑顔で私たちに接してくれるマーニャさんも今回ばかりはとても冷たいまなざしでミシェルさんたちを見ています。
なんだったらカルムさんはまだ父親とおぼしき人物を押さえ込んだままですし。
「別に! その、あたしは別に正妻にしろとかそんなことを言っているわけじゃないわ! 縁があって、いろいろ……その、あたしが幼かったせいでアナタを傷つけたことを謝りたいの。それで関係を修復して……」
「必要ない。私がいつ謝罪を求めた?」
「アナタの口利きがあればシェルラーニに戻れるのよ! ねえ、お願い……! お礼に、そうよお礼にあたしが愛人にだってなんだってなるから! あたしはまだ魅力的でしょ? 例の〝英雄の娘〟はお気に召さなかったみたいだけど、小娘だったからでしょ!?」
「……話にならないな」
アルダールは吐き捨てるようにそう言うと私のことをぐいっと抱き寄せて、何を思ったのか満面の笑みを見せてから頭にキスを一つ落とし彼女に視線だけ向けました。
「私には最愛の婚約者がいる。これ以上、二人の時間を邪魔されたくはないのでね……カルム、悪いが憲兵隊に突き出してくれ」
「かしこまりました、旦那さま」
「……そんな! そんな人のどこがっ……」
「どこが?」
おかしなことを言われたと言わんばかりのアルダールが、私をジッと見てから彼女に向かって嘲るような笑みを浮かべたではありませんか。
あ、これはいけない。
「まずもってきみのどこが私の婚約者に勝るとでも? 謙虚で博識、礼儀作法も心得て多くの人から信頼も厚く、家宰だけでなく事業にも明るい。私の仕事にも理解があって使用人たちにも優しい。その上こんなにも愛らしい」
「あいらしい?」
思わず疑問形で復唱しちゃいましたが、私は悪くないと思いますよ。
今日もプライベート用としては化粧もきちんとしてますし、髪だってマーニャさんが気合い入れてブラッシングして整えてくれたからまあまあ見られる状態ではありますけどね?
「うん。私にとっては世界一だよ。ユリアが婚約者で本当に私は果報者だと思っている。さあ、朝の支度を手伝ってくれるんだろう?」
「えっ、あの」
朝の支度。
それは一般的には結婚した夫婦がすることで、つまり寝室を共にしていると暗に示す言葉でもあります。
そしてこれは平民も貴族も一緒で……いやまあ貴族の場合は使用人たちがいるので、実際にはそう支度を手伝うと言っても服や装飾品はどの色にすべきかアドバイスを送るとかそういう感じになるのが多いかなとは思いますが……。
要するに、仲のいい夫婦ですよっていうアピールの、迂遠な説明ってやつですよ。
そしてそれはミシェルさんにも伝わったのでしょう。
愕然とした表情のまま、カルムさんに連れられて去って行きました。
思いのほかあっさりと終わってしまったことに私は拍子抜けですが、去って行く彼らをちらりと見たところで……きっとこれを見て笑っていた人がどこかにいるんだと、少しいやな気持ちにもなりました。
(……女は別れたら上書き保存、男はフォルダ保存だっけ? そんな感じでミシェルさんもアルダールは自分に惚れててきっと忘れてないとでも思ったのかな……)
実際に彼女とアルダールがどんな過ごし方をしたのかまでは詳しくありませんが、少なくともアルダールにとっていやだったんだから楽しいデートにはならなかったんだろうなって思うんですけど。
「三回も会ってたの?」
「食事会と親同伴の顔合わせと、それから見合いの席で三回だね」
「ああー……」
デートですら! なかった!!




