526 自分勝手な女たち
今回はユナさん視点
はあ……。
ため息が零れるそれが、いやに大きく聞こえるのは自分一人、部屋にいるからだろうか。
今日もこれからリード・マルクさまと共に取り引き先に赴く予定だというのに暗い顔をしていてはよくないとわかっているが、それでも気分は良くない。
ここのところ、ようやく商会内で働くことにも慣れてきたというのに、和やかだった空気が一変、ピリピリしている。
(まったく、面倒だわ)
それもこれも、あの女が来てからだ。
クーラウム王国で老舗の窯工房と縁ある女性とは聞いているけど、私からしてみれば私と同じよそ者にすぎない。
ただでさえ、リード・マルクさまの婚約者であるミュリエッタさまへの扱いに商店でも困惑があるというのに……そこに迷惑な人間がいてどうして苛つかずにいられようか。
(とはいえ、私も似たようなものだったことは想像に難くない)
今となっては、理解できる話。
だからこそそれを挽回したくて頑張っている最中だというのに!
ようやく販路やその他、この国でのパイプが作れるかもしれないところまでさしかかって仕事が楽しくなってきたところで雰囲気を乱されるのは、良い気分ではない。
ただ冷静になってみると、過去の自分もあのように傍若無人だったのかと思って少し、いや、大分気恥ずかしいのだけれども。
(……それにしてもなんであの女はミュリエッタさまに……?)
ミュリエッタさまはリード・マルクさまの婚約者。
そのため今すぐではないけれども商会のことを学ぶために、週に何度か店舗に足を運ばれる。
本人は笑顔を浮かべているものの、あまり楽しくはなさそうだ。
商会の人間はそれを察してはいるが、リード・マルクさまとミュリエッタさまの婚約はどうやら大物貴族が絡んでいるとかで政略的なものであるということから、どうにもならないのだろう。
噂ではかの筆頭侍女殿の婚約者に、ミュリエッタさまが想いを寄せておられたと聞く。
そしてあの女も。
だからこそ、今の空気がいやで……そして、何かあってはディイに迷惑がかかることに繋がってはたまらないと、事前に私は何も関与していないという証拠を残すためにも手紙を送った。
面倒なことが起きてミュリエッタさまが彼女に突撃するとは思わないが、あの女の狙いがアルダール・サウル・フォン・バウムだとしたら彼女との縁はまだ切れていないと考えるべきだろう。
そこであの女を招いたのも、ミュリエッタさまに近づけたのも、私を陥れるためのものという考えが出る恐れがあったのだ。
私はマリンナル王国の人間、しかも王妃となるべく嫁いでくるフィライラ・ディルネ姫の側近だった女。
罰せられて側近から外されたと知る者は知っているが、それでもこの商会で働いている姿は深読みする連中からすれば『異国の王女が手足を置くための口実』と見るに違いない。
(いいえ、ディイを蹴落としたい連中にとっちゃなんでもいいんだわ)
私が本当に手足だろうと、そうでなかろうと関係ない。
この国の王太子、その妻……ひいては将来の国母、その立場を必要とする連中はなりふり構わず行動をするはずだ。
クーラウム王国は今代の国王夫妻は国内の貴族家と縁を結んでいるから次代……即ち王太子との縁に関してはできる限り国外でと明言していることは私も知っている。
だがもしもディイとの縁談が不祥事によって破談となれば、どうなることかはわからない。
(……私の手紙を、拒絶する可能性だってある)
あんなことを仕出かした相手の手紙を、彼女が受け取ってくれるかはわからない。
リード・マルクさまは静観の構えだ。
私が手紙を誰に出したかも、きっとあの方はわかっていて放置している。
ミュリエッタさまに対しての感情は、わからない。
手を出したくないのか、出せないのか、それとも様子を見ているのか……。
(たかが従業員の一人、それも秘書官としてあちこちに連れ出されるだけの私が何かを言える立場ではないのはわかっているけれど)
政治的な利用をされ続けているミュリエッタという少女を、哀れに思う。
彼女はそういったこととは無縁な人間だ。
少し言葉を交わし、彼女が『特別』な……選ばれた人間であるとわかったからこそ、よりそれを強く感じる。
望まずとも多くを得られる立場だけに、望まないものを与えられる人間だ。
それに適応できたならば、きっと……身分などという垣根を越えて、もっと上すら目指せただろうに。
それができない。
ただの『非凡』で『平凡な』少女だから。
(……能力ばかりが特別で、中味は普通の女の子、か……)
憧れていた特別を持つ人間が、日々憔悴していく姿は……幼いディイを思い出させた。
あの時の私は何故あの子がそれを受け入れられないのか理解できなかったし、したくなかった。
だけど、今はなんとなく、そう。
今だからこそ、わかる気がする。
(私はもう特別を求めない)
でも、ミュリエッタさまを取り巻く環境はどうなのだろう。
少なくとも国はこれ以上の利用を望んでいないようだし、リード・マルクさまもそうだ。
(求められているのは、本人の気持ちなのかもしれない)
全てを諦めたような表情しか見せなくなったあの少女の、気持ちを待っているのかもしれない。
でもそれだって、私が『そうであったらいいな』と勝手に……かつて自分ができなかったことを、ミュリエッタさまに重ねて見ているだけかもしれない。
「ユナ、いる?」
「はい」
「また例のお嬢さんが来て、ミュリエッタお嬢さまが体調を崩されたみたい。それで坊ちゃんが傍にいるから今日の外出はなしで調整してほしいって」
「……わかりました」
またか。
あの女はいったい、何を目的としているのか。
「坊ちゃんもあの人の出入りを禁止してくれたら良いのに……」
「……そうですね」
窯工房との付き合いなのか、それとも他に目的があるのかわからない。
従業員たちも不満が増えている。
私は国外の人間だから、過去にあの女が何をして、どこにどう影響が出たのか……そして今もどう繋がりがあるのか今一つわからないけれど、それでも現状としては客に影響が出ていない以上、リジル商会としてはどうにもしようがないのかもしれない。
(それとも未来の女主人が、どんな対応をするのか見定めているのか)
だとしたら相当、性格が悪いと思う。
あの少女は、人に何かをしてもらう側の人間だ。
彼女の力を求めて誰かがやってきて、言われるままにそれを行使する様がいつのまにか本人の実力のように思われるタイプの人間のように思う。
だから今、彼女はここにいる。
「……厄介ね」
あの女そのものはただ鬱陶しいだけだ。
だがその目的がなんであるかで起こりうる可能性を考えれば、放置しておくことは良くない。
しかし私にできることはすでに限られていて、手紙を出すだけで精一杯だ。
直接的な行動を取れば、私の今の立場ではその分不利になるだろう。
(……私の手紙、受け取ってくれただろうか)
あの人の善意に懸けるしかないだなんて、とんだお笑い草だ。
だがあの人だって筆頭侍女という立場からただの善意では行動しないだろう。そうであってほしい。
でなければこのちっぽけな矜持が、いとも簡単に砕け散ってしまいそうだから。
(……勝手なのは、私もか)
伝えに来てくれた従業員が去ったのを確認して、私はため息を吐くのだった。




