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そして翌朝。
若干あれこれあって今日は髪を結い上げず、サイドで緩く三つ編みを作る程度に済ませました。
そんな私の後ろを歩くアルダールが少しだけバツの悪そうな顔をしていますが……いえ、もうその件については触れないでおきましょう!
「ユリア。ええと」
「アルダール、何も言わないで」
「……ええと」
「何も言わないで」
「……本当にごめん」
「もういいから」
今後の結婚生活が思いやられるっていうか、これは話し合いが必要だなって思うことがあったとだけ申し上げるといたしましょう。
「……アルダールも寝ぼけてたんだし。気をつけてくれさえすれば、別に……その、お化粧で殆どわからなくはなってると思うし」
「うん。でもごめん」
我慢を強いているのは私の臆病さのせいですし。
いや? 別に我慢してほしいとか言った覚えはないっていうか、だからって率先してどうこうしてほしいとも言ってませんけども!?
いや、うん。
とにかく。
私の後ろでしょげかえるアルダールは決して一線を越えるようなことはしていませんし、紳士でしたよ。ええ、間違いなく。
ただ寝起きでちょっと甘えたな感じが可愛かった……じゃなくてですね、とにかく反省してくれているなら私はそれで構わないわけです。
(……新婚生活の時はしばらく部屋から出られない覚悟だけしておこう)
アルダールは独占欲が強いってことは理解しているし、こちとら王城育ちの耳年増ですし? あーんなことやそーんなことを先輩侍女たちから聞かされてますし?
そこに前世の記憶があるから男女のアレコレなんて知識だけはたくさんあるものですから?
(だから余計に緊張するんじゃないか……!?)
なんということでしょう、今更ながらに衝撃です。
知識はあっても損はないとはいえ、知識がありすぎてもこんなことがあるのか……!
(いや、性格がものを言っている気がする。どっちもか?)
しかししょぼくれるアルダールが大きなワンコに見えてくるからもうね、元々怒っちゃいませんけど怒れないわ!
んんん、可愛い。
でもこのまましょげさせておくのもね、いけないと思うんですよ。
未来の妻としてどうフォローしたらいいのか……。
はっ、そうです。
こんな時の『淑女の嗜み』で以前ビアンカさまが教えてくださった手法を試してみる時がきたのです!!
「ねえ、アルダール」
「! なんだい」
「……この髪型、似合わない? だめ?」
私が教わったのは、夫が必要以上に凹んでいる時は物事から目を逸らさせることだと聞きました。
髪型を変えてみる、アクセサリーについて感想をもらう、そういった小さなことに答えを求めるとどんな場合でもまず罪悪感から褒めてくれるとビアンカさまは言っていましたっけ。
「似合うよ。いつもきっちり結っている姿も可愛いけれど、そうやっている姿は新鮮でとてもいいと思う。……これからはそういう髪型も見せてくれる?」
「ええ。褒めてもらえると嬉しいわ」
「……お詫びに新しい髪飾りも買わせてほしいな、その髪型にも似合うやつを」
「そう? じゃあ、甘えてしまおうかな」
ありがとうございます、ビアンカさま!
なんかこれ成功じゃないですか!!
ただ気をつけないとアルダールは今後もいろいろと私に買い与えてきそうな予感がしてならないので、そこは今後の課題ですね……。
(まあこのくらい仲の良いところを周囲にも見られておけば十分でしょ)
私たちの小旅行の主目的以外にもこうした『どこで誰に会うかわからない』場所での行動も大事ですからね!
いや普通にしてただけですけども。
それでも未だに政略結婚なんじゃとか、偽装だの契約だの好き勝手言う人たちにあちこちから『仲よさげに旅行してたぞ』って噂が届けばいいなと思います。
なんで悪いことを何もしていない私たちがこんな風に地道なアピールをしなきゃならないんでしょう……普段通り過ごしているだけですけども。
「……どこかで声をかけられるかしら」
「さあね。かける勇気があればだろうけど。ユリア、どこかの商会に愚痴を言ったりなんかしなかった?」
「さあ、したかもしれない。アルダールは?」
「そうだなあ、ハンスには言ったかもしれない」
おっと、シェレラトス準男爵にはもしかしたらとんでもないことをしてしまったかもしれません!
(……思っていた以上の効果が出るかもしれないなあ)
シェレラトス準男爵の件を私は親しい商人に愚痴って、それが商人たちの間でどう噂されるかはこれまでのシェレラトス準男爵の行動が物を言うでしょう。
アルダールはハンスさんってことはレムレッド侯爵家関連の商人さんでしょうから、どういう交友関係かは判断が難しいところ。
いずれにせよ、フィッシャー男爵およびフィッシャー侯爵家、そしてシェレラトス準男爵が商人たちとどんな関係でどう動いていくか……きっと貴族たちはしっかりと見ているに違いありません。
これに懲りてくれたらいいんですけどね!
逆に商人たちの信を得ているミスルトゥ家となんとしてもお近づきになりたい……なんて人たちが出てくるんでしょうが、愛人以外の方法を選んでいただきたいものです。
もっと正攻法だったらこっちだってもうちょっと対処の方法もやりやすいんですから!
「それにしても晴れてくれて良かった。昨晩はあんなに降っていたのに……」
「ああ、そうだね。……だが地面のぬかるみの問題でキャラバンが出るのが遅れているようだ」
「……私たちの出発はもう少し後にしましょうか。慌てても良いことはなさそう」
「そうだね、そうしよう」
旅にはトラブルがつきものですからね!
そのために余裕あるスケジュールを組んだんですから……。
とはいえ当初予定していた町よりも手前であるこの町は目立った産業があるわけでもなく、また、昨晩の天候のせいで町中もごたついているのが二階の窓から見えました。
雨だけでなく風もすごかったから修繕に追われている箇所があるのかもしれません。
田舎町だと良くある風景ですね。
ファンディッド子爵領でもたびたび被害報告が上がってお父さまが頭を抱えたものです。
当時の私は幼かったので発言権も何もありませんでしたし、お父さまも今以上にこう……領主のお仕事が嫌いだった時期ですから、天候の悪い日の翌日はどんよりした気分になったものです。
今となっては懐かしい思い出。
「失礼、そこにおられるのはファンディッド子爵令嬢さまではございませんかな?」
そんなことを考えながら食堂に行くべく階段を下りていると、声をかけられました。
声の主には覚えがあったので、私はよそ行きの笑みを浮かべてゆっくりと階段を下り、その人の前に立ちました。
「……お久しぶりですね、このような場所で奇遇ですこと。お元気でしたか? タルボットさん」
そう、そこにはこの場所にいることが不思議でならない……タルボット商会の会頭であるアバリッツァ・タルボットさんがいたのです!
今度はなんの面倒ごとを持って来たんでしょうか。
是非ともお持ち帰りください!