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そう……お墓参り。
領地にある、私の実母……つまり前ファンディッド子爵夫人。
正直なところ、幼い頃に母を亡くしている私は彼女の記憶がほとんどない。
(あるのは、優しい声で私を抱き上げてくれてたってことかしらね)
記憶を取り戻した頃は赤ん坊でそう視力も良くなかったし、あまりに幼い頃に母を亡くした為に交流らしい交流もできなかった。
けれど、私の……ユリアという娘の幸せを願ってくれた、良き母だったと思う。
昔から仕えてくれていた庭師によれば、お父さまからメレクへと管理の権利が移ったあの花壇も母が私のためにと花を育て始めたものらしかった。
(……私の誕生日に、小さな花束を作るために)
お父さまはそのことについて私に何かを言ってきたことなんてありませんでしたから、庭師が教えてくれなかったらただ母が好んでお花を育てていたんだろうなって思うだけだったのだと思います。
多分、告げても私が悲しむからとかそういう気遣いだったのでしょうが……今は、メレクとオルタンス嬢が仲良く使ってくれたら、母も喜ぶだろうなと思うのです。
そして私も結婚して……まあ、いつになるかはわかりませんが母親になるかもしれないじゃないですか。
だから、母のお墓参りもしたいなって。帰省する度にちゃんと行ってますけどね!?
ただなんて言うんでしょうね。最近バタバタしていたから……落ち着いて、ちゃんと報告したいなって改めて思ったんです。
まあね、取り立ててどうこうっていうものでもないんですけど……ちょっと婚約式を前にセンチメンタルな気分っていうかなんていうか。
で、そのことを話したら、アルダールも一緒に行くと言ってくれたので……二人で行くことにしたのです。
なんかねえ、マリッジブルーってやつとは違うと思うんですよ。
これまで新居の準備とかもすっごく楽しかったですし?
おそらくこれは……ストレス!
そう、爵位、夫人になる、なんかよくわからない権力争いから派生したらしい愛人騒動(?)。
こんなのばっかりだから疲れて当然といえば当然じゃないですか。
「はあ……」
「おや、ため息が多いと幸せが逃げますよ?」
「……ニコラス殿」
「失礼いたします。こちら王太子殿下よりお預かりした書簡です」
打てる手は打ったけど胃が痛い。
思わず漏れたため息は、執務室に入ってきた相手を見てより深いものが出るかと思いましたね!
とはいえ、王太子殿下からのと言われればお仕事なんだから仕方ありません。
他の侍女に託してくれても良かったのに……と思ったりなんかもしましたが、ニコラスさんも王太子殿下の専属ですものね。
「拝見します」
受け取ったその手紙はとても綺麗な字で、内容は簡潔。
非常に王太子殿下らしいなあと思いました。
来る夏の、プリメラさまのお誕生日より少し前にフィライラ・ディルネ姫が少し早くクーラウム王国へ来てお祝いをしたいと打診をしてこられたそうなのです。
元よりフィライラさまは賓客として招かれる予定ですし、その辺りからクーラウム王国でお暮らしになる予定であることは私も耳にしております。
王太子殿下が十五の齢となられる今年、フィライラ・ディルネ姫が〝王太子妃として〟正式に発表、お披露目されるのは年末になりますが、それまでの事前準備と言ったところでしょう。
成婚まではもう少し猶予があるとはいえ、他国の風習や王族としての慣習、貴族たちを相手にするだけのあれこれと地盤を作るのに時間はいくらあっても足りないでしょうしね。
基本的にこの間は王妃さまがフィライラさまの面倒を見るという扱いになるので、後宮にある王妃さまの客間でお暮らしになるということも統括侍女さまより伺っております。
(まあフィライラさまの問題はすでに解決しているし……プリメラさまもお喜びになるだろうし)
王太子殿下からのこの書簡の意味は、公務の合間に時間をとれって意味でしょうからね。
打診があったけどどうだろうかっていう確認じゃなくて『打診が来たから準備しろ』ってことでしょう?
わかってますとも、わかっておりますとも。
ついでにライアンとの面通しもしておきたいのでしょう。
将来仕える相手がどのような人物か、王女宮で執事のことを学びながら知っておけと……本当に要求が多いな、王太子殿下ったら!
「そうそう、ライアンのやつはどうです? 迷惑をかけていませんか?」
「……ええ。彼はとても良い青年ですっかり王女宮で打ち解けています。貴方のところにまだ挨拶に行っていないのなら、きっと業務に慣れてからと思っているのかもしれませんね」
「ははは、そんな風に優しく仰らなくてもいいですよ。あいつはそんな可愛らしい男ではありませんから!」
楽しげに笑うニコラスさんですが、その笑い方はなんだか含みがあってですね……。
いやですねえ、私を巻き込んで〝影〟内部の争いとかないですよね!?
「ユリアさまにはお伝えしておかないと。きっとあいつは猫を被っていることでしょうからね……ボクとあいつは幼い頃から共に修行をした間柄でして」
「そ、そうなんですね」
ああー、うーん。
その話は聞かなくちゃいけないやつですかね!?
いや、雰囲気からしてニコラスさんが楽しんでいるのはわかるのでこれはなんだかんだお喋りしないと納得してくれなさそうではあるのですが……。
私はニコラスさんを見つめながら呼び鈴を鳴らしました。
ちりりん、ちりりりん。
それを見た彼が『おや』とわざとらしく残念そうな表情を浮かべたのを見て、内心で胸をなで下ろしつつ私はにっこりと笑みを作ってみせました。
「失礼いたします。……害虫駆除をすればよろしいでしょうか?」
「いいえライアン。少しやらなければいけない仕事ができたから手伝ってほしいだけよ。……ああ、ニコラス殿。書簡、ありがとうございました。近々王太子殿下にはご報告させていただけるかと思いますので、そのようにお伝えくださいませ」
「はい、確かに。……いやあ残念だなあ、ボクも王女宮で働きたかったなあ」
ニコラスさんはにんまりとした笑みでライアンを見るし、ライアンは無表情だけどニコラスさんをジロッと睨んでいて……ああもう、犬猿の仲だかなんだか知りませんが、私の執務室で止めてくれませんかね!?
(まったく……自分たちが〝影〟だってバレてるから好き勝手するんだからもう!)
まあ、ある意味それも信頼というか、懐かなかった野良猫が腹を見せてくれたあの瞬間みたいな気持ちになるので……私も随分と絆されているのでしょう。
ニコラスさんがひらりと手を振りつつも最後は優雅にお辞儀して出て行く姿を見送ってから、私はまた小さくため息を吐き出しました。
「やはりアイツ、後で殴っておきますか」
「暴力はだめよ、ライアン」
「……冗談です」
ライアンって割と脳筋なのかしら?
思わず止めたけど、どこまで本気だったんだろう。
(でも普段は理知的な行動が多いし、合理的な方法を好んでいるように思えるのでニコラスさん相手限定なのかもしれないな……)
……猫のじゃれ合いだって割り切ったら胃も痛くならない、かな……?
本気で『じゃれ合ったら』とんでもないことになりそうだけど……あっ、やっぱり胃が痛い。
助けてお父さま、今こそお勧めの胃薬を教えてください!!




