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とはいえフィッシャー男爵と私の共通点なんて王城内で働いているくらいしかありません。
そもそも経理部に私が直接足を運ぶことなんて今の王女宮ができたばかりの頃くらいでしたからね!
あの頃は人手不足もありましたし、私が書式を作ったことで経理部から『これはなんぞや』の問い合わせも多かったので直接出向いて説明をしたものです。
今となってはメイナもスカーレットもいますし、書式も認められて……っていうか宰相閣下に採用されて使われることも増えていると思います。
まあ部署によっては書式で形式化できないものもありますし、マニュアル化できないものもあるんでしょうがそこは私の知ったこっちゃない。
ともかく、フィッシャー男爵が私に何かをしようとするなら王女宮に来るか王城を出る、もしくは新居付近ということになる。
なんせまだ自分専用の馬車がありませんしね!
王城で馬の貸し出しも一応あるんですが、さすがにそれはね。
(……でもフィッシャー侯爵家は確か、とても手堅い領地経営をしているという話。私も直接お言葉を交わしたことはないけれど、内宮筆頭が以前、褒めていらしたことは覚えている)
確かあれは……貴族議会か何かの帰りで、意見が通らなかったことに不満を抱いた方が近くの侍女に八つ当たりをしたとかそういう内容だったと思います。
その際にその場を収めてくださった上に、八つ当たりされた侍女のことも気遣ってくださったとかそんな話でしたね。
私の記憶が正しければ、フィッシャー侯爵は男爵の兄にあたる方だったと思います。
放逐するよりもある程度の財と職を与えて手元に置いておく方が良いだろうと判断したとかなんとか噂にありましたが、おそらくその噂は正しいものなのでしょう。
(じゃあキース・レッスさまが『侯爵から話が』って言ってたんだから、さすがに男爵も大人しくならざるをえないかな?)
まあ、ああいうタイプって叱られたり責任を問われると大体周囲の自分より弱そうな相手に不満をぶつけたり責任転嫁したりするんですよね!
今回の場合は私でしょうか。
だってアルダール相手に噛み付く勇気は多分あの人にありませんから。
美形で、現役の騎士を貶すのは難しいでしょうが、地味で目立たない私なら文句も言いやすいでしょう。
ふふふ、しかし私はそうは見えなくともやられたらそれなりにやりかえす女です。
どうせ容姿を貶したり王女宮は平和で自分たちばかり忙しいとかそんなことをチクチク言うくらいしかできないでしょうから普段は気にも留めませんが……。
「スカーレット」
「はい、どうかなさいまして? ユリアさま」
「もしかしたら今度経理部に顔を出した際、フィッシャーさまからいろいろと言われるかもしれませんが……何も言い返さずにっこり笑っておいてください」
「えっ? ええ、わかりましたわ」
スカーレットはキョトンとしていましたが、すぐに頷いてくれました。
普段の様子から聞いている限り、フィッシャー男爵はメイナやスカーレットに対して本人たちに直接ではなく、聞こえるような声であれこれチクチク言っていたそうなんですね。
それに対してまあ基本スルーってことにしていますが、どうしようもなく腹が立ったらスカーレットも独り言を喋るかのように嫌味を言って戻ってきているようです。
まあどっちもどっちも、小学生か!
いえ、この場合はもういい年齢のオッサンが年若い子に嫌味を言っているのがアレなんですけどね。
しかも面と向かってすら言えないとかどんだけ小心者なのか。
(まあ、本当にこちらに何もしてこないにしてもこのくらいの意趣返しは、ね……)
普段からそんな嫌味を言っているやつがいきなり改めた行動をできるかっていうと絶対無理だと思うんだよね!
ただまあスカーレットやメイナに対して嫌味を言うだけなら可愛いもんだろうけど、それはそれで怒りの矛先をあの子たちに向けられても困る。
そこでいつもならやり返してくるスカーレットが何も言い返さずににっこり笑顔で去って行ってもらうことにしたのだ。
ものすごーく地味な方法ではあるのだけど、フィッシャー男爵は私に対して腹を立てているけれどキース・レッスさまや他、上層部の方々に対してはとても恐れているわけです。
私自身は大したことないと思っていても(実際そうだけど)、私経由で上の人たちに何かを言われたらたまったもんじゃないわけです。
そんな状況でいつも言い返してくる生意気だと思っている子が『いつものように嫌味を言ったのに』にっこり笑顔で去ったら?
気になるでしょうねえ。
(ま、何もしてこないならそんな遠回しな嫌がらせをしなくてもいいっていうか、まあスカーレットに笑顔対応させるだけなんだから誰も損はしないし!)
むしろ何も後ろ暗くない方々は美少女の笑顔を見られるのだから得なのか?
うちのスカーレットは美人系美少女ですからね!
あんまり詳しく事情を話すとスカーレットが高笑いに戻ってしまいそうなのでそこは後でそれとなく事情を話すとして……。
「ライアン、貴方も」
「はい。なんでしょうか?」
「経理部にスカーレットやメイナが行く際には、同行してちょうだい」
「かしこまりました。……何かしら対処いたしますか?」
「いいえ、それは必要ないわ」
即時断りましたがそれってどういう対処なんですかね……?
まあ普通に考えれば、風紀を乱す行為と見做して経理の上層部に苦情申し立てってところでしょうが……たかが嫌味程度で動いては王女宮が厄介な部署と思われますし。
ある程度は言い返しているっていう事実も存在しているので、やり過ぎはよろしくないでしょう。
でもどちらかというとライアンの言葉は『見えないところで片付けるか』っていう風に聞こえるから不思議ですね!
爽やかイケメンな柔らかい笑みを浮かべているはずなんですけど!!
(……まあ後はフィッシャー侯爵家がどう出てくるかよね。噂通り真っ当な人物なら、今回の件の危うさをよく知っているでしょうし……裏で手を出しているにしても、男爵のやらかしたことで一度引いてくれることでしょうし)
キース・レッスさまたちが相手が小者だからとどこまで見逃してくれるかはわかりませんけどね!
最近、本当に上の人たちの気苦労ってのを感じるようになりました。
ちゃんとわかってはおりましたが、これまで私は当事者ではなく一歩引いた側のところから見ていたものですから。
これからは貴族家の夫人としてこういうことも捌けなくっちゃいけないわけですね!
うわ、ものっすごく面倒極まりないな……本当にどうしてくれようか。
次の休日、泊まりがけで実家に帰ろうと思っているから可愛い後輩たちに何かあったり面倒ごとには極力巻き込みたくないんですよね。
(……もうこの際、セバスチャンさんに私が不在の間にあちらが何か仕掛けてきたら思いっきり反撃してもらおうかしら)
あまりこういうのを人に頼って片付けるのも気が引けますが、私個人に対してではなく王女宮に対して行動をしてくるなら、それもありと思うべきでしょう。
公私は分けるべきと思いますが、業務に支障を来すなら容赦はいたしません。
いえ、私個人だったとしてもある程度はやり返しますけどね!?
(折角アルダールも忙しい合間を縫って私のお墓参りに付き合ってくれるんだから、後顧の憂いはきっちり払っておかないとね!)
私は改めて気合いを入れるのでした。
晴れやかな気持ちでお墓参りしたいじゃありませんか!!




