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涙に暮れるミュリエッタさんと、それを見守る私と、遠巻きにそれを困ったように見ている厩務員さんと我関せずな馬たち。
うん、なんだこの状況。
いえ理解はしておりますけどね?
(こうして考えると、やっぱりミュリエッタさんってちょっと幼いんだよなあ)
ぶっちゃけ、恋愛するとあの人が好きだって感情で、それが一対一で完結するってものじゃないですよね。
それこそ恋愛ゲームだって複数キャラを同時攻略すると取り合いイベントが発生する……みたいなさ。
あれはゲームだからその後も後腐れが無いけど、現実はそうもいかないから現実なんです。
それを彼女はどう理解しているのか、それとも本当に心の底から『ヒロインなら登場キャラたちに愛されて当然』と思っているのか。
ぼんやりと、そんなことを思いながら泣いているミュリエッタさんを前に立ち尽くす私たちの元にアルダールが戻ってきました。
勿論、リード・マルクくんも。
「お待たせいたしました。馬具の手配も済みましたので、本日はこれでお帰りいただいて問題はございません。お土産を用意させていただきましたので、是非お持ちください」
淀みなくそう言うリード・マルクくんは変わらず柔和な笑みを貼り付けている。
おいおい、泣いている婚約者を慰めてやりなよ……とは思うものの。彼はここで商人として立っているからこそこの対応なのでしょう。
一応、ミュリエッタさんの前に立つようにして私たちの視界から隠したのがこの場における最善であることは確かです。
人を呼んで彼女を下がらせる、叱責して泣くのを止める、我々に一声かけてから慰める……など手はいろいろありますが、何に重きを置くかで判断したのでしょう。
(判断力は大人並み、か)
たとえば私が彼の立場でも、おそらくそうしたでしょう。
時間がかかる、もしくはミュリエッタさんがごねてごねて厄介だ……という場合は同時に人を呼びこの場から力尽くでも退場させるでしょうが、不幸中の幸いというか、彼女はスンスン泣くばかりですからね。
私は小さく息を吐き出して、隣に立ったアルダールの方へ視線を向けました。
(アルダールはどう判断したの?)
馬具の話だけをしていたなんてことはさすがに鈍い私だって思ってませんからね!
私の視線に気がついたアルダールがふっと目元を和らげる形で笑ったので、どうやら彼らは彼らの間で話がついているようです。
(なら、いいか)
おそらく先ほどリード・マルクくんが言っていたお土産にはお詫びの意味も含まれている、そう考えて良いのでしょう。
「婚約者もまだ慣れない環境で最近は涙腺が脆いようで。大変失礼をいたしました」
深々と彼女の代わりに頭を下げるリード・マルクくんは、傍から見れば婚約者を大切にしている青年に見えることでしょう。
実際のところは……まあ、ミュリエッタさんが嫌がっている、ということしか私にはわかりませんが、いずれにせよ簡単にこの婚約が解消されることもないという感じでしょうか?
「……いいえ。若い時には不安で涙が出てしまうこともままあると思いますから。彼女に寄り添って差し上げて」
「温かいお言葉、痛み入ります。いずれ二人でこの店を切り盛りする際には、お二人が利用したくなる店としてあれるよう精進して参ります」
重ねられる言葉にミュリエッタさんがまた顔を歪めて涙を零しました。
婚約者、いずれ二人でという結婚は確定なのだという言葉の鎖。
そして私たちがこの店を利用するもしないも自由なのだという彼女にとっての決別。
意地が悪いとは思いません。
これは、ただの現実ですから。
「アルダール、良い馬具は選べたの?」
「ああ。満足いくものがあったよ」
私の問いかけにアルダールはそっと肩を抱き寄せて、額にキスを一つ。
そのことに思わずカッと頬が熱くなりましたが、文句を言うのは堪えました。
ええ、ええ、ここお外ですけど!?
でもまあ必要な行動だったのでしょう。
ミュリエッタさんに対して、ね。
(でも後で文句は言う。ミッチェランでチョコ買ってもらう!!)
それかワインでも……って喜んで買うなこの人。
私に対して財布の紐がゆるっゆるなんでした。
クッ……未来の妻としてそこは矯正していかねば……!!
まあそんな馬鹿なことを考えながらちらりと視線だけミュリエッタさんの方に向ければ、案の定彼女は涙を止めて絶望たっぷりの表情でこちらを見ていました。
アルダールはもう彼女のことなんて眼中にもないのでしょう。
そもそも、あまり好意的ではないっていうか、好感度で言えばマイナス表示がないからゼロじゃないでしょうか?
「さあミュリエッタ、ファンディッド子爵令嬢にお詫び申し上げて。これ以上お二人の邪魔もできないからね。君はお見送りはできなそうだから部屋に戻ってくれていていいよ」
「……もうし、わけ」
「謝罪は結構ですわ。それよりもリジルさんもお見送りは不要ですから、婚約者に付き添ってあげてください。私たちは私たちで勝手に帰りますから。ね、アルダール」
「そうだな。土産はありがたくいただいていくとしよう」
そう、謝罪を受けてはいけない。
そんな気がしました。
受け取ったら、私と彼女の縁は繋がってしまいます。
だって、謝罪されたら貴族として許さなければならないでしょう?
人の目がほぼないとはいえ、貴族は見栄と体面を大事にする生き物です。
謝罪をされたら鷹揚に受け入れることも、また一つの美徳。
勿論それを許容できないものであれば、拒絶も許されますが……基本的には今後の付き合いを考えて優位に立つために許すのです。
特に、泣かれた程度の平民を許すしかないでしょう。
でも謝罪を言えなかったら、宙ぶらりんになりますからね!
拒絶もしておりませんし、私はあくまで心配してのことですから!!
(私って性格悪かったんだなあ)
案外、私も貴族らしい貴族だったのかもしれません。
このやりとりの意味を理解しているアルダールは小さく笑い、リード・マルクくんは苦笑しながら首を小さく横に振り、そして何もわかっていないであろうミュリエッタさんだけがオロオロしていました。
その中で私はただ、優雅に微笑むだけです。
淑女教育で学びに学んだ渾身の淑女スマイルですよ!!
「……それでは今回はご厚意に甘えさせていただきたく思います。この無礼に関しましては、またいずれ機会を得ることができるよう努力を重ねることでまずは誠意を見せたいと思っております」
「そうですか。そのような機会があれば、また」
社交辞令も堂に入ったものですね、これが平民だってんだから商人は侮れないです。
いえ、リード・マルクくんが特別なのかしら?
下手をしたらメレクの方が舌戦では負けてしまうのではないかしら。
(ああ、そうか)
お礼をしたいっていうなら、別に私にじゃなくてもいいのよね。
それも今じゃなくたって構わない。
まあ、いずれ必要になったらお願いしようかな。
弟夫婦の温泉計画が上手く行ったら、ね。
「それじゃあ行きましょうか」
「ああそうだね。良い買い物ができたが……この後はどうする?」
問われて私はにこりと笑みを浮かべました。
ええ、勿論わざとですよ?
「せっかくだからジェンダ商会にも行きたいわ」
「わかった。愛しの婚約者殿の仰せのままに」
アルダールもそんな私に乗っかって、さらりと照れる発言をするんだから全く困ったもんですよね!!
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