495 言葉にする
今回はアルダールさん視点だよ!!
「それで、どういうつもりかな」
「……はてさて、これがまた難しいところでして」
私の問いに、弟とそう歳の変わらない少年が困ったように微笑む。
言葉と表情だけ見れば、確かに困っているのだろうなと同情もしたくなるだろう。
だが私もそれを鵜呑みにするほど、お人好しではない。
無言で目の前の少年……リード・マルク・リジルという商人をジッと見つめれば、今度は朗らかな笑みを浮かべた。
「実を申しますと、今回は僕が王太子殿下に無理を言ったんです。お二人にはご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんが……そろそろ彼女にも、現実を見てもらわねばなりません」
「……」
「僕はミュリエッタ嬢と結婚するつもりでいます。彼女が恋に恋していようが、心が成長するのを待つくらいの気概はあります。でもいつまでも現実を見ないままでは、困りものでしょう。今以上に待遇が悪くなる可能性だってありうる」
「……否定はできないな」
この少年の言うことは事実だ。
いかに豪商で、王太子殿下の友人という立場を持っている少年が庇護しようとしたところで失態を続ければ相応しくないという評価があの少女には下される。
そうなれば、行き着く先はどのようなものか。
修道女になるか、一介の治癒師として重宝されるか。
少なくとも、現状の……貴族令嬢としての待遇や、これまで彼女を守ってきた〝英雄〟の名は失われることになるだろう。
徐々に、徐々に。
彼女自身が自分を取り巻く周囲の目が厳しくなっていっていることには気づいているはずだ。
(それでも、気づかせるためにあれこれと手を回されて、過保護なほどだった)
それを無下にしてきたのは彼女自身の責任だ。
最終的に用意された婚約者も、平民ではあるものの王太子殿下の友人で豪商の息子。
普通に考えれば、かなりの好待遇と考えていい話だ。
「それで?」
「自分で僕の婚約者だと名乗らせ、そして幸せそうなお二人を見せることで彼女自身の自覚を促したかったんですよね」
言葉は大切ですからと穏やかに言ってのけるその少年の笑みは、どこか仄暗いものを感じさせた。
だが、確かに彼の言う通りだ。
言葉にしなければまだどこかで期待を燻らせるかもしれない。
自分の立場を、今回の……私たちに〝会う〟ためだけに自分で言葉にしなければならなかった彼女は、痛感したことだろう。
わかっていても、認めたくなかったことを己の口から発さなければならないというのは、なかなかに厳しいものでもあるかもしれない。
そのことは、私自身もよく知っているから苦笑しそうになってしまった。
(そうだな、認めたくないものほど言葉にはしたくないものだよ)
この少年はそれをよくわかっている。
そのことが少し癪ではあったが、あえてそれを口にするほどでもない。
望むものが手に入らない、そのことを口に出すのは恐ろしい。
それは、自分でそのことを事実として認めることと同じだからだ。
そうなればいい、そうだと思い込むために言葉にするように、言葉にすることというのは頭で考えていたり人に言われるよりも効果を発揮することがあるのだと思う。
私自身、自分は愛されていないと思っていた頃、それを口に出しては心が折れてしまうのではないかと危惧したものだ。
今となってみたら、それは誤解に過ぎなかったが……それでも。
あの時、それを口にしていたら。
私にとってそれこそが真実だと、そう思い込んでしまっていたかもしれないのだ。そのくらい、言葉に出すことは大事なことなのだろう。
勿論、言葉を口から発するだけで全てがそうなるわけではない。
ただ実際に言葉を意識して発し、耳にすることでそれを更に強く意識することがそこに繋がるというものなのだと思う。
私は学者ではないし、そういったことを学んだこともないので確かなことは言えないが……。
「彼女はきっと今頃、打ちひしがれていることでしょう。もしかすればファンディッド子爵令嬢さまにもご迷惑をおかけしているかもしれません」
「……それを理解して、王太子殿下は許可を出したと?」
「王太子殿下は〝英雄の娘〟が僕の婚約者に決まった時に不満そうでしたから。もっとも、合理的な彼はそれが最適であると理解もしているので反対はしませんでした」
「……」
「今回のことで僕があの子を見限ってくれたらという期待もあるでしょうし、更生してくれればそれはそれでいいと思ったんでしょうね?」
小首を傾げるようにして目の前の少年は私に向かって、無邪気な笑みを浮かべてみせる。
綺麗なまでに作られたその笑みに、今度こそ苦笑が漏れた。
「勿論、ご迷惑をおかけしましたからね。リジル商会は今後もミスルトゥ家に対し誠実な対応をさせていただくとお約束させていただきます」
「ほう」
「少なくとも、僕の代から……そうですねえ、子供ができたとしても跡を継いでくれるとは限らないですが次の世代くらいまではお約束したいところです」
「曖昧だな」
まあ、できもしない約束をされても困るからその方が都合もいい。
私がそう思っていると、リード・マルクが悪戯っ子のような笑みで私を見た。
「人の約束事なんてそのようなものでしょう? ……ですが、それではさすがに申し訳ありませんので、厩務員の給与に関しては本日より一年、それから大工の施工料に関しては当商会で負担させていただきたく。それから馬具に関しても勉強させていただきますので」
「大盤振る舞いだな」
「それだけの価値があると僕は思っておりますよ」
私にとって、ミュリエッタ・フォン・ウィナーという少女は何も価値のない、ただの少女だ。
だがこのリード・マルク・リジルにとっては価値ある少女なのかもしれない。
『恋は人それぞれ、十人十色。理解できないものも含めて美しい』
そんな舞台の謳い文句を思い出しながら、私は頷いてみせた。
どうせ、この遭遇が計算尽くの上に許可を得て行われたものであるならば、義理を果たしたことにもなるだろう。
これ以上は隊長を通して苦情を申し立てておけば、それで十分なはずだ。
そもそも関わり合いになるなとユリアは言われているそうだから、彼女の方からも話がいけばきっと今回の件で何かしら起こるかもしれないが……王太子殿下もまあ、それもこれも自業自得と割り切ってもらいたい。
「これを最後にと思っていいのかな」
「ええ。そのように受け取っていただければ」
「……では今後とも取り引きではリジル商会も頼りにさせてもらうとしよう」
「ありがとうございます」
厄介ではあるが、敵に回していいこともない。
ある意味で手綱を握る相手と連絡が取りやすい関係であれば、いつだってその対応を頼むこともできるだろう。
(これからは人を雇って、直接やりとりをしない方向で対応すればそれでいいだけの話だしね)
ユリアの意向を大切にするならば、リジル商会よりはジェンダ商会との繋がりの方が多くなりそうだし私も異論は無いけれど。
それでも、利用できるカードは手にしておくべきだと以前、笑顔が胡散臭い先輩から教わったことを少しばかり手本にしてみるのもいいかもしれないと思ったのだ。
(私もこれからは当主の一人として、家族を守らなければいけないのだから)
そうだ、これからは一人ではないのだから。
そのことを胸に私も笑みを浮かべてみせる。
「私たちもそろそろ戻るとしよう。お互い大事な婚約者が待っているのだからね」
私の言葉に含みはない。
ただ。
ただ、ユリアが大事なだけだ。
だから最愛の人を守るために、私は私で堂々とするとしよう。
リード・マルクは何かを感じ取ったのか、それまでの笑みを消して私を見つめていた。
私はそれを笑顔で見返した。
だがそれも、ほんの僅かの時間だ。
「……そうですね、お手間をおかけいたしましたミスルトゥさま」
「ははは、その名で呼ぶのはもう少し先にとっておいてくれ」
「かしこまりました」
今はただ。
どういった内容かはともかくかして、お互い婚約者を大事にする者として私たちは彼女たちが待っているであろうところへと戻るのだった。




