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リード・マルクくんは笑顔のままです。
そしてその笑顔のまま、言いました。
「王太子殿下よりお二人の仲睦まじさは伺っておりましたし、僕とミュリエッタ嬢もお二人を倣って良い関係を築きたいと思っております」
そう、笑顔で言ったのです。
私に向かって。
わざわざ王太子殿下の存在を言葉に乗せて!
(その言葉の裏を考えるならば……今回、ミュリエッタさんが私たちの前に現れたのは王太子殿下が許可したからということよね)
そして私たちの仲が云々は、改めて結婚生活に向けて準備をするアルダールと私の姿を見せ、その上で『ミュリエッタ・ウィナーはリード・マルク・リジルと結婚する』と自分の口からも言わせることで全ての望みを絶ちきる……そういうことでしょうか。
だとしたら、とても酷い話だと思ってしまいました。
「……そうですか、お二人の未来が明るいことを私たちからも願わせていただければと思います」
定型文的な答えを返す以外に、思いつかない。
けれど、きっとミュリエッタさんからしたら私に言われたくはないお祝いの言葉です。
むしろ誰であろうと……好きでもない相手との未来を祝われたくなんてない、って感じでしょうか。
「他の書類が整うまで、お茶の準備をさせていただきました。大丈夫、厩務員たちと馬がいるところで申し訳ございませんがここに運ばせますので、ね」
どうやらリード・マルクくんはどうあっても私たちとミュリエッタさんを、相対させたいらしい。
その意図がどこまで私の推察した通りかはわかりませんが、彼女はそれを理解しているのでしょうか。
(少し痩せた、かな?)
会う必要は無い、私がそう上の人たちから言われてそこまで期間があったわけではありません。
ですが目の前に立ったミュリエッタさんは、変わらず愛らしい姿で……けれど、どこかくたびれているというか、生気がないというか。
胸の前で組んでいる彼女の手は微かに震えていて、その指先は少し傷ついて血が滲んでいるようで……なんだか痛々しい。
奥からまた別の店員さんらしい人がお盆を持ってやってきて、私たちにカップを渡していく。
中身は温かいコーヒーだった。
「良い香りでしょう? 南方から良い豆が手に入りまして……この国では紅茶が主流ですが、僕はこちらの方が好きなんです」
「……確かに良い香りですね」
「砂糖とミルクが必要でしたら、そちらもどうぞ」
にこにこと笑うリード・マルクくんからは、何も読み取れない。
私も諦めてアルダールの隣に立った。
アルダールは、無表情だけど……ああこれ、むかついてますね。
(せっかくさっきまで楽しそうだったのに)
まあ予想外の遭遇とはいえ、王太子殿下の名前を出されては私たちも知らんぷりをするわけにもいかないっていうかね。
全くどういう意図があるのか、後ほどニコラスさんを捕まえて問い詰めなくてはなりません。
勿論一人で会いになんて行きませんよ?
セバスチャンさんに同行してもらうに決まってるでしょう!!
あんな厄介な人に文句を普通に言いに行ったら逆に言いくるめられてしまうのがオチです。
(……それにしても)
アルダールと私、リード・マルクくんとミュリエッタさん。
コーヒーの入ったカップを持って、向き合う私たちですが……誰も口を開きません。
リード・マルクくんはニコニコしたままですし、アルダールは不機嫌を隠そうともしない。
ミュリエッタさんはアルダールに視線を向けていて、私はそんな彼らを見ているわけでして、はい。
(なんだこれ)
とてもじゃないですが、不穏な空気がバッチバチですよ!
一体全体、王太子殿下は何をさせたくてこんなことをしたのでしょうか。
それともそれ自体がリード・マルクくんによる計画?
いやさすがに王太子殿下の名前を勝手に使うのはいくらオトモダチだとしても不敬は不敬ですからね……殿下のお名前を騙ったってことはないでしょう。
「そういえば紋章を刻まれるとのことでしたが、よろしければ馬具の方に家名も彫り込みましょうか」
「……そうだな、お願いしよう」
「では字体などをお決めいただきたいので、こちらへ。ミュリエッタ、ファンディッドさまのお相手を頼むね」
朗らかに、有無を言わさない言い方。
思わずそれに私は目を丸くしましたが、リード・マルクくんはにこりと微笑んだだけです。
アルダールも眉を顰めましたが何かを言うこともありませんでした。
おそらく彼もまた、王太子殿下の……という部分で私たちが何かしら試されている、あるいはミュリエッタさんが試されているのかもしれませんが、とにかく何かあると踏んでいるのでしょう。
(これが、狙い? だとしたら、なんで?)
私はアルダールに小さく頷いてみせました。
人の目もあるし、極端な行動はミュリエッタさんだってしない……と信じたい。
これ以上の醜態を晒すことは、彼女にとっても後がないのではないでしょうか?
(王太子殿下の名前が出てこなければ、とっとと帰れたんだけどな)
いや、それこそが狙いなのでしょうが。
離れていく二人の背中を見送って、私は小さく息を吐き出してからミュリエッタさんの方に視線を向けました。
彼女はまだ、アルダールの背中を見ています。
「……」
私はあえて話しかけませんでした。
彼女が私との対話を求めていたとは思えません。
あくまで彼女の、ミュリエッタさんの望みは、アルダールだとわかっているからです。
(……それにしても、ブレないなあ)
じっとアルダールだけを見つめる彼女を、私はぼんやりと見ていました。
思いの外、心がざわつくことはありません。
これまでの私は、彼女もまた前世の記憶があるからと子供のように思えて心配ばかりして……それで逆に周囲の人々に心配されていたわけですが。
それではいけないと心に決めていたとはいえ、再会したら動揺するのだろうかと少しだけ自分に自信がなかったのも、事実です。
しかしこうして久しぶりに会ってみると、痩せたなあとか指先痛そうだなあとは思うものの、自分から話しかけてどうこうしよう……という気分にはなりませんでした。
いい感じです!
このまま乗り切りましょう!!
若干良心が未だにちくちくと痛むような気がいたしますが、それこそ私の責任の外にある話。
お節介が人のためになることもあれば、ならないこともあるのです。
余計なお世話、まさしく私が行動してはミュリエッタさんのためにならないと王弟殿下にも言われていますからね!
(しかし、このまま沈黙が続くのも困るというか……)
何も話すことがないなら、私も馬具を見に行きたかったんですが。
だってもしかしたら私も遠乗りとかするかもしれないじゃないですか。デートで。
これでも乗馬は得意なんですよ!
騎竜だって乗りこな……せてはいませんが、一応乗れるんですから!
馬の方に視線を向けると、こちらを見ています。
まるで『乗るの?』と期待されているような……ああー、可愛い!
あれうちの馬ですからね! うちの子ですからね!!
これまで実家のファンディッド家ではペットもいませんでしたし、王城でも乗馬の練習で触れる程度でしたが……可愛いなあ可愛いなあ。
どうしましょう、アルダールと一緒に可愛がる未来しか見えませんね!
そんな未来を思い描いていると、いつの間にかミュリエッタさんがこちらを見ていることに気がついて思わず肩が跳ねました。
だって、ものすごく虚ろな目をして静かに、本当にただ静かにこちらを見ていたんですもの!!
思わず私も彼女を見つめ返して、沈黙が続く中……彼女が口を開きました。
「……どうやったら、幸せになれるの?」
掠れたその声に、私はただ目を瞬かせるのでした。
「転生しまして、現在は侍女でございます。」9巻が2023年3月発売予定です!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°




