479 心の軋む音を聞く
今回はミュリエッタさん視点です
どうして、という言葉は聞き飽きた。
それでもあたしの中で、ずっと渦巻く。
どうして、どうして、どうして。
ただ幸せになりたかっただけなのに。
ただ好きな人と結ばれたかっただけなのに。
好きな人に好いてもらおうと努力して、何が悪いの?
好きな人が他の人といたからって、アプローチしてみるくらい、いいじゃない。
だって、あたしが、好きなんだってこの気持ちは、どうしたらいいの。
(……わかってるわよ、これが子供っぽい考えだってことくらい)
あたしはヒロインで、この世界はヒロインのためにあると信じていた。
転生したんだって理解して、その記憶からそう思って最高に幸せだった。
でも、徐々に、徐々に、あたしだって理解してくる。
モンスターが出るまでにあたしができる範囲で、登場人物を少しでも幸せにしようと思った。
エーレンはゲームや、設定集で見たよりも擦れていたし、辛い生活を送っていた。
初めて違和感を覚えたのは、そこだった。
次第にお父さんが思った以上に楽観的だと思ったり……ううん、これはゲームの中で〝ミュリエッタ〟の父親については何も語られていなかったからしょうがないと思うんだけど……。
ここは【ゲーム】じゃない。だから、やり直しはきかない。
あたしはヒロインだけど、逆ハーレムとかエンディングがあるわけじゃないことくらい、最初から理解している。
だからこそ、エンディングという形で〝愛する人と結ばれる〟ことさえできれば、その後は手を取り合って生きていければなんとでもなるって……そう思ってたのに。
そこまでの過程で他の登場人物たちをみんな幸せにしてあげれば、彼らも手助けしてくれるって、そう思ってたのに!
でもそれこそ、結局【ゲーム】頼みだったと、ようやくわかった。
(幸せそうだった)
仕事でくたくたのあたしの前に現われた二人。
仲良く腕を組んで、笑い合っていたその姿に思わず目が奪われた。
(あれは、あたしがいるべき場所だったはずなのに)
だけど実際に……アルダールさまが恋したのは、あたしじゃない。
恋するだけじゃなくて、もっと……あたしにはわからない気持ちを、あの人に向けている。
(どうして、あたしじゃダメだったのかな)
わからない。
どうして、そう自分の中から聞こえる声にあたしは答えることができない。
好きならそれで良かったはずなのに。
お母さんとお父さんが、恋愛結婚だって聞いて素敵だと思ってたのに。
それなのに二人は駆け落ちだった。
素敵だと言う人もいるかもしれないけど、それって誰にも祝福されなかったからそうするしかなかったってことじゃないのかと思う。
両親が、互いに愛し愛されてあたしが生まれたはずなのに。
あたしは、愛された子。
そうだよね?
じゃないと、だって。
(違う、違う、あたしは前世のあたしのままじゃない!)
あたしは、この世界で幸せになるために生まれてきた、愛された子なのだ。
今はちょっとボタンの位置がずれた服を着ているみたいなもので、だからそれさえ直せば――直せば?
「ああ、帰ってきたんだ。お疲れさま」
学園の、女子寮に行くまでの道を、重い足を引きずって戻る。
治癒魔法そのものは、あたしにとってなんてことのない魔法で、それでも礼儀作法がどうの、使う威力がどうの、愛想笑いが……そういう面倒なことが多くて、疲れてしまう日々だ。
そんな中かけられた声に、あたしはぎくりと身を竦ませた。
「……リジルさま」
「いやだなあ、マークでいいってば。ぼくらは婚約者同士なんだから!」
他の人が見たら素敵な笑顔って呼ばれるような、そんな笑みを浮かべたリード・マルク・リジル。
あたしの、婚約者。
望んでいない、婚約者。
(どうして、あたしは、ただ)
好きな人に好かれたかった。
多少強引だったことは自覚している。
アルダールさまが好きだという相手に対して、失礼な態度を取っているってこともわかってる。
でもそれって普通でしょ?
好きな人に好かれている人を羨んだりするのって当然のことじゃない!
それなのに、どうしてあたしがアルダールさまに、好きでもない男との婚約を言い渡されなきゃいけなかったの。
(あたしは、そんなに……悪いことを、したの?)
両親は愛し合ってはいたけど、みんなに祝福される夫婦じゃなかった。
あたしは両親に愛されているけど、好きな人には振り向いてもらえない。
好きな人には、好きな人がいて、諦められなかったから……それは、悪いことなの?
「よほど疲れているんだねえ。治癒師のお仕事、ご苦労さま」
にっこりと笑ったあたしの婚約者が、笑顔であたしを労る言葉を投げかける。
傍目に見たら、きっと良い婚約者だ。
お金持ちで、年も近くて、見た目だって悪くない。
すでに店舗を任されるくらいの実力があって、将来性も認められていて。
だけど。
(だけど……この人も、違う。【ゲーム】で知ってる、リード・マルク・リジルじゃない)
あたしの足元が、ぐらついている気がした。
あたしが知っているはずの世界と、少しずつ異なる人たち。
これが現実だって、突きつけられているみたいだ。
(どうして、あの人は幸せなのかな)
あたしみたいに、特別じゃないのに。
どうして、あの人はアルダールさまに選ばれたのかな。
「……ありがとうございます、部屋で休めば、大丈夫です」
「ふうん」
一緒にいたくなくて、この人が婚約者だなんて思いたくなくて、あたしはさっさと部屋に戻ろうとした。
ゲーム通りじゃないリード・マルク・リジルは、あたしにとって得体の知れない存在だ。
彼が悪いわけじゃないことくらい、わかってる。
あたしのことを押し付けられたから、あたしに意地悪なんだろうってことくらい、わかってる。
でも、あたしはアルダールさまが好きで、諦めろっていくら言われたってそんなの無理なの。
だって恋って、そんな人に言われたから諦められるものじゃないでしょう?
それなのに、気持ちが落ち着かないところに婚約者だなんて言われて、どうしてその人に好意的でいられるっていうの?
もしそれが大人になることだっていうなら、あたしはそんな大人になんてなれなくていい。
でもきっと、周りはそれをわがままだって言うんだ。
悔しい。
あたしは、この世界に来て主人公になれたはずなのに。
どこからどう、間違えてしまったんだろう。
ミュリエッタらしく、朗らかで、身分も気にせず、みんなの幸せを祈っていたのに。
(……ううん、わかってる)
あたしは、あたしのために周りを幸せにしたかった。
知っているくせに知らない振りをして、罪悪感に押しつぶされたくなかった。
できるのに、できないふりをしてズルいって言われたくなかった。
それと同時に、周りよりもできることが、すごく気分が良くて。
(だから、あたしは……ヒロインに、なれなかったのかな)
軋む音は、どこから聞こえるのか。
あたしは学園の中にいて、そんな音の聞こえる場所にはいないはずなのに。
ぐらぐらと揺れる足元は、まるで船に乗っているかのよう。
「今日、あのお二人に会ったんだってね。御者から聞いたよ」
「えっ……」
「会いたいの? 会って、話がしたいんだ?」
しまったと思った。
あたしの家は男爵家、貴族といえど裕福じゃなくて……治癒師としても新人で、治癒に向かう先によっては迎えの馬車もくれないことがある。
それでも治癒師である以上、行かなきゃいけない。
そんなあたしに、婚約者だからという理由で、リジル商会から馬車をただで貸してくれている。
だから、あたしの行動はこの人に、筒抜けなのだ。
きっと、気分を悪くしたのだろう。
あたしが、未練がましく、アルダールさまに声をかけたから。
だけど、居心地悪く地面を見るしかできないあたしに、リード・マルクは言った。
「会えるようにしてあげようか、あの二人と」
とびきりの、その笑顔の意味は、あたしにはわからない。
だけどあたしは、頷いていた。
一も二もなく、頷いていたのだった。
今のところミュリエッタさん視点だと結構しんどい状態ですが、この小説「ハッピーエンド」目指してますんで……!




