46 とある少女たちのおしゃべりな夜
今回は小話的な第三者視点です。
次回から本編に戻りますので宜しくお願い致します。
少女たちが、暗がりの中で小さなランプを囲んでくすくす笑う。そこは王宮の端にある、使用人区画の寮にあたる部分だ。侍女とメイドの大半が、そこで暮らしている。
そのうちの一人は王女宮で働くメイナだ。
一般家庭の出身だが裕福な商家であり、また彼女の父親が商業ギルドの顔役の一人であるということから侍女として扱われている。
クーラウム国では、女性使用人は侍女、メイド、召使、下働きと地位が分かれている。
侍女の多くは貴族出身の、庶子であったり嫁ぎ先が実家で見つけられない立場、そして兄弟姉妹が多い家系のご令嬢たちだ。王城で勤めることで良い縁を結ぼうとする者、貴族位の誰か相手に御手付きを狙う者、騎士たちとの出会いを求める者、様々にいる。
次いでメイドは一般家庭の子女が殆どだ。家庭の裕福さや親の顔の広さなどからその中のひと握りが侍女に上がれる。侍女になれば貴族位にある者との接点も増えるので、親が必死に売り込むこともあるという。一定以上の収入がある家庭の出自であること、学があり、健康であり、身内に犯罪者がいないことなど他にも多岐に渡る条件を満たしたものがメイドになれるのだ。
召使、下働きは一般家庭の出身者の中でも学がない、健康が取り柄だという者が中心だ。
こちらは殆ど貴族位にある人々と知り合うことは皆無と言ってもいい。仕事の内容も掃除や使いっ走りなどが中心になっている。時にはその真面目な働きっぷりにどこぞの領主が引き抜くこともあるので、悪いことばかりではない。
「メイナは侍女って呼ばれるようになって何か変わったのー?」
「なぁんにも! メイドの時と同じで、お掃除したりお茶の準備したりだもの。でもメイドだとなかった書類仕事とかはちょっとだけさせてもらってるの」
「へえーいいなあ! カッコいい感じがする!!」
「そう? 実際にはそんなことないと思うけどねー」
「最初の頃はさあ、王女宮に配属させられたってんで統括侍女さまに恨み言も言ってたアンタがねえ……」
「あーあーあーあー、そんなこと忘れました!!」
王城は広い。それ故に、王に給仕する侍女をすべて統括する『統括侍女』の下で各宮に筆頭侍女がいて、侍女がいて、メイドたちがいるのだ。
それぞれの場所で人手不足となればそれを筆頭侍女が報告、人員を補填という流れになる。
その際には書類や見た目、統括侍女の長年の勘により配属先が決められる。否やは許されない。
預けられた筆頭侍女は責任をもって新人を教育していくのだ。
当時、メイナは王子宮と王女宮両方で人手不足と聞いて正直なところ、王子宮を内心希望していた。
見習いのメイドたちの中で王女宮にいる筆頭侍女は不愛想で大柄で、無表情で仕事熱心で怖い、という噂があったからだ。仕事熱心は悪口ではないだろうけれども。
そんなところに配属になった日には毎日イビられるんじゃないかと気が気じゃなかったのだ!
なので統括侍女に「お前は王女宮で良いでしょう。真面目に勤めなさい」なんて言われて気を失いかけたのは今ではいい思い出だ。あまり人に言えた話ではないが。
メイナは当時、こうして一緒に過ごす位の低い侍女やメイドで同室の女性陣相手に「あのババア!!」と憤慨したものである。
勿論、表立って行動なんて何一つできないが。
「で、王女宮ってどうなの? 私は外宮だから色んな人がいて面白いけどねー。この間は城内を巡回してる騎士の人に声かけられちゃった!」
「外宮が殆どだったもんねー結局王子宮は新人が行かなかったしさ」
「それってあれでしょ、王子が言い寄ってくる女の子を鬱陶しがったからでしょ?」
夜寝る前のおしゃべりに花が咲くのはいつの時代も女性ならではなのか。
明かりを抑えたランプを中心に、二段ベッドが二つ並ぶそこから少女たちが顔を覗かせて好奇心を隠しもしない。
「それで、鉄壁侍女さまってどうなのよ!」
「ユリアさまをそんな風に呼ばないで」
「あれっ、メイナったら随分好いているようじゃない」
意外そうに言った少女に向かってメイナは不満そうに頬を膨らませた。
なにせ彼女自身も“鉄壁侍女”なんてあだ名がついている自分の上司を勝手に怖がっていた事実があるので大きく同室の少女たちを非難はできないのだ。
だが王女宮で働き始めてまだ数か月だが、噂は噂でしかなかったと言い切れるくらいには王女宮での仕事にメイナは満足していた。
「だって、ちゃんと仕事教えてくれるし。丁寧だし。優しいし。時々、頑張ったご褒美ってミッチェラン製菓店のチョコレート菓子とかもくれるの。お茶の入れ方だって、あの人が直接根気よく教えてくれたのよ。執事のセバスさんなんて呆れてあんまり教えてくれなくなったのに」
「ええー! ミッチェランのチョコレート菓子って言ったら門外不出だからっていう技術料だけでぼったくりって言われてるアレでしょ?!」
「でも確かにあれ、美味しいわよ。うちの実家で時々特別なお客様をお迎えするときに買ってたけど」
「うちもうちも。あれって値段が結構するもんねー。筆頭侍女さまになると、お給料もだいぶ違うのかな?」
「どうなんだろ、そういうのは流石に聞けないよ。でもね、……頑張ってるからってお茶とチョコレートで労ってくれるのよ、たまにだけどね!」
初めてそんな風に労わられた時にはびっくりして思わず泣いてしまったのはメイナとユリアの秘密である。
彼女がお仕えするプリメラ姫も、王女様だからきっと我儘で一般出身の人間なんて人間として見てないんじゃないかとか考えていたメイナを良い意味で驚かせたものだ。ちょっと考えすぎだと今では彼女自身でも呆れてしまうが当時は真剣にそう思っていた。だってそういう噂があったのだから。
実際にはユリアの尽力と、プリメラ姫本人の努力によって肥満も回避、我儘を言って周囲の気を引こうという計画も回避されていただけの話だったのだけれども。
「今回避暑地の同行を許された時には本当に驚いたのよ。でも私は頑張っているし、ちゃんと一人前の侍女として外に連れていけるからって言われた時には感動しちゃった」
「……ええー鉄壁侍女さまって実は良い人?」
「まあ良い人っていうか、悪い人って話はもともとないじゃない。ただ不愛想で大柄で化粧っ気が無くて、仕事熱心ってだけでしょ?」
「不愛想で大柄でっていうけど、ちゃんと笑ってくれるんだから! お仕事中無駄ににこにこしてるわけにはいかないってだけの話! 大柄っていうけど、噂ほどじゃないしすっごく優しいのよ?」
「そうねえ、新人をちゃんと直接指導してくれるっていうのはポイント高いわよねー!」
羨ましい、と溢した外宮担当のメイドが言えば、他の少女たちもそうだそうだと同調した。
外宮担当の侍女たちの仕事は、主に来客のご案内と掃除だ。にこにこ笑って何かするようなものでもない。寧ろそんなことをすれば何をヘラヘラしているのかと咎められてしまうので、そういう意味で“不愛想”な筆頭侍女は正しい対応なんだろうね、と少女たちは勝手に納得したのだった。
「それじゃ、お偉いさんに鉄壁侍女さまが人気っていうのは?」
「それは強ち嘘じゃないかなー、プリメラさまの一番なのは当然として、ちょいちょい王弟殿下が執務室においでだし、この間なんてあのリジル商会の会頭が来てたのよ。姫さまの御用聞きのついでにって随分話し込まれてたから、ユリアさま本人も取引とかしてたのかも……!!」
「わあ、すごーい!!」
有数の商会の会頭が自ら御用聞きのような真似を王族以外にもした、というのは少女たちからすれば“すごい”ではしゃぐだけの価値があるのだ。
ユリアがこの場に居ればそれは違うと言えただろうが、そうはいかない。
「宰相閣下も、奥様のビアンカさまを通じて時々お話はするみたい。やっぱり財務官とのやり取りで書類形式を作ったとかなんとかってのが大きいみたい」
「ええ、ほんとすごくない?! それなのに怖くないの?」
「怖くないよ! 私がお茶を溢したり、カップを割っちゃったりしてもまずは私の心配してくれるの。その後勿論注意はされるけど! わざとじゃない限り、まず人の心配ができるところがユリアさまがいい人って証拠だと思うの!!」
「うわ、優しい……」
「それに財務官のとこに持ってく書類とか、書き方とかの雛型とか書式とか基本のに加えて見本を作ってくれててね、それに従って書いてたら書き方覚えられたの。そういう細やかなところの気遣いっていうのかな、そういうのがきっと偉い人に気に入られる秘訣なんじゃないかな。ユリアさまはそんなの当たり前の事でしょうって顔してるから、本当に普通の事としてやってるみたいだけど」
この時、ユリアは書類があって、それに対して雛型と書式があれば新人の育成に便利じゃないか程度の考えで行動している。それは彼女の前世での事務仕事に起因していたのだが、この世界ではそんなものはない。書類が用意してあるんだからなぜ書けないというものだ。不親切である。
書式があると言っても紙があって枠があって程度だったので、“書き方”はそれぞれの自由になっていたのだ。だからこそ、教わった通りに書いた、が正しいとは限らない。それ故に、教えた人物が間違えて覚えればその後はその誤りが伝えられるのだ。恐ろしい負の連鎖。
それ故に財務官は「この書き方では」と棄却することもあったし、「使途不明」扱いされることもあったのだ。
ところがメイナはユリアが作った雛型と書式に従って書くと物事はスムーズに進む。
例えば多くの侍女がやっている「タオル(種別・サイズ記載なし)複数枚、備考欄空欄」のような財務官にとって困ってしまう曖昧な表現から「バスタオル通常サイズ/無地/白色/10枚、生地破損の為。古いものは下働きの掃除用に下げ渡す予定」とまあ明確になっているのだけの違いなのだけれども。
明確な分、当然財務官の所で書類はすぐ通るし修正があったとしても早い。必要事項だけチェックすれば良いのだから。
今まで他の宮で侍女たちが何往復もして修正をかけていたそれを王女宮では省けていて、その分彼女たちは自分の仕事に集中できる。だから時間を有効に使えて尚且つ終えることができるのだ。
文官たちからはお手本としてそのフォーマットを各筆頭侍女に配ってくれないかと意見まで出ているところだ。勿論ユリアは構わないと見本を作って提出はしている。
だがそんな功績が出てもユリアが誇ることはない。今までそれらが無かったなら作って新人育てればいいじゃない、としか思ってないのだから。他の宮で使ってもらえるなら、どうぞどうぞと言ったところだ。本人的には後輩が育ってくれたらその分自分が楽だという打算なのだけれど、それは他人の知らぬことである。
まあ、頭の固い人々には「今までのやり方で財務官と使用人が会話するきっかけを……」だの「そこは察しろ」的な人がいないわけでもないので浸透には時間がかかっているが、あったら便利だと思う人間も多くいるというのが現実だ。
よって、文官たちにはこの“雛型と書式を作った”ことでユリア・フォン・ファンディッドという女性が有能であり、かつ自らの功績を驕らず誇らず、自由に使ってよいという心の広さを持った職業人であるという認識がされているのだ。
勿論、良く思わない人々にそれで“仕事の鬼”なんて陰口を叩かれたりもするのだけれども。
主に財務官にそういう細かいところをつっこまず好きに買わせろ! 実家のものを買え!! としてきた豪商や貴族の娘たちであったのだけれども(勿論、それを好き勝手させないために財務官がいるのだが)。
だから当のユリアは知らない。
文官たちが彼女を“すごい”と評価していることを。
フォーマットなんぞ作って業務をスムーズに、なんて考える人間はそういなかったことを。
苦労なんて文官とか地位の低い人間がすればいいのよ、なんて上流階級思想が王家付きの侍女たちの間に出来ていた腐った思想であったのを、彼女は自分が面倒だったからと筆頭侍女になったときにさっさと改めてしまったことを。
……王女宮の侍女が、プリメラさま生誕の段では空いた部屋にしか過ぎなかったために掃除担当の下働きと、管轄官としての年老いた侍女がひとりしかいなくて引継ぎがあっさりしたものになったというのがおおきいのかもしれなかったけれども。
生まれてすぐは後宮で過ごし、プリメラ姫の乳母と共に王女宮へ移ったころにはもうユリアは姫君の侍女であったことから国王が筆頭侍女として彼女を据え、管轄官として働いていた老女は彼女の希望通り退職願を受理されて去った、なんとも円満な形だったことを知る人は――正直、少ないのである。
だから知らない人々は言うのだ。
貴族出身の侍女なんて高慢ちきで仕事を仕事と思わず、上の人間に媚びへつらうものとまで思っていた人たちが。腐った思想の中から、職業人もいるのだ、なんて勝手に光明を見出していた、なんて。
まあ、ごく一部の人間が非常に鬱屈していたものが弾けた結果、それが周囲に広まっていった、というだけのお話だったのだ。
結果として、であるが。
ユリア・フォン・ファンディッドという侍女が現れたことによって、書類には書き方があるのだ、と知る人が増えたというのは事実であり、それが財務官の負担を軽減し、負担を軽減された財務官がきびきび働くのでまたその上にも支障が出ず、という良い連鎖が始まったのもまた、事実なのである。
そしてそれを、文官を統べる立場の宰相が知っていておかしくはなく――宰相が一時期、本気でプリメラ姫が降嫁した際にはユリアを文官として抜擢すべきだと考えていたことがあった。
けれども、姫溺愛の侍女という現実を知った宰相は、あっさりとその考えを諦めたのは知る人が知る事実のひとつ、というやつであった。
要するに、本人が知らないところで功績が独り歩きするとろくでもない、という実例のひとつである。