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結局、なんだかんだスポドーロ隊長のおかげでまともな話が穏便にできて、無事エイリップ・カリアンさまにはお帰りいただけました。
まあ……疲れたことは疲れたとしか言いようがありませんけどね。
とりあえず、エイリップ・カリアンさまが何も知らなかった……ということはこの婚約に横槍を入れる行動はパーバス伯爵の独断によるものということになるでしょうか。
まあ、アルダールと私が付き合っているという事実、それを周囲も認めている現実を考えればかなり可能性の低い話だというのにわざわざ申し出たってことは何か勝算が有ってのことだと思いますけど……。
え? ないとか言わないですよね?
お義母さまが従うだろうとか、パーバス伯爵家からの申し出なら喜んで! って私の方がアルダールをフってエイリップ・カリアンさまの所に行くとか考えてませんよね?
(そりゃ、貴族の一員として横の繋がり云々は私だって考えますけど)
別にそれがパーバス伯爵家じゃなきゃいけないってことはないんですよねえ……。
お父さまが縁を結んだ理由だって、妖怪……じゃなかった、先代のパーバス伯爵が仕事上の上司だったからだし。
その点を考えるなら次代を担うメレクは文官の位をいただくことなく領地経営だけに専念するんだから別にパーバス家に対して気負うものは何もないのよねえ。
何か援助してもらっているとかパーバス伯爵領とでなければ取引できない何かがあるわけでなし。
そういう意味で『縁を大事に』っていうなら、メレクからしたらセレッセ伯爵家とってことになるわけですよ。
(王弟殿下にお目通りを……なんてしたら変に大事になっちゃいそうだしなあ。最近は忙しいのか私の執務室にお菓子を漁りにも来ないし)
かといって将軍……バウム伯爵さまにお目通りも変に目立つ気がします。
私が軍部に出入りする方が変なんですからね!
「あれ? ユリアちゃん」
「……これは、レムレッドさま」
そんな風に悩みつつ、アルダールに相談できないかと騎士寮へと足を伸ばしたすぐのところで意外な人に会いました。
ハンス・エドワルド・フォン・レムレッド……ミュリエッタさんに恋し、スカーレットに想われる方。
でも、以前に言葉を交わしてどこかちぐはぐな印象を受けた人でもあります。
アルダールの同僚なのだから、きっと大丈夫なのでしょうけれど。
思わず身構える……ほどではありませんが警戒してしまった私の様子を見ても彼は気にすることなく、朗らかに笑いました。
「やだなあ、ハンスって呼んでくれていいってば」
「それはできかねます」
アルダールに叱られそうな予感がするからね!
それにスカーレットも一応? 彼への気持ちに一区切りはついているみたいだけど……あの子の気持ちに気づいているのかいないのか、ハンスさんの対応ってのはとても微妙な気がして私としては親しい友人になるつもりにはなれないのよねえ。
まあ、それを本人に告げるつもりはこれっぽっちもないですけど!
「騎士寮の方に用事ってことはアルダールかな? でもアイツは今隊長に連れられて王宮に行っちまってるからいないんだよなあ、ごめんな」
「……さようですか、では出直すことにいたします。ありがとうございます」
「待って待って、ここまで足運ばせて何もしないとか騎士の名折れでしょ! 騎士に相談したいことがあるなら俺でも役に立つかもよ!?」
アルダールがいないなら用はない。
そう態度でハッキリ示したものの、ハンスさんの言葉は魅力的だ。
なにせ時間が惜しい。
アルダールに頼ることができれば最善だけれど、今回の件に関しては軍に関する人にお願いできればそれでいいというのが正直なところ。
少なくともハンスさんはアルダールの同僚、友人、そういった立ち位置なのだからある程度彼にとって味方と考えていいはずで……それなら、最低限お願いしても大丈夫だろう、と私は頭の中で瞬時に考える。
「では、お願いしても?」
「うん。とりあえず立ち話もなんだから、王女宮に送らせてもらうついでに話を聞かせてもらえたらいいかな。……用事が済むなら仕事に戻るんでしょ?」
へえ、空気が読めない人だとばかり思っていたけれどそうじゃないようです。
まあ普通に考えてそのくらいの気遣いができないで近衛隊に入るなんて無理な話ですよね……ってなるとこれまでのあれこれはただただタイミングが悪かったってだけなのかしら。
とりあえず王女宮に戻るまでに私とアルダールが婚約間近であること、そこにパーバス伯爵が横槍を入れてきたこと、パーバス伯爵のご子息は何も知らないこと、勝手に辞めさせられそうになっていること。
それらが事実であるのかどうか確認するためにも将軍に話を通したいが侍女の自分ではいささか目立ってしまうのでアルダールにお願いしたいと思ってここに来たこと。
それらをかいつまんで話し、ハンスさんには将軍にどうにかして急ぎお伝えいただけないかとお願いしました。
「なるほどねえ」
「できれば、余り人に知られないうちにお伝えいただければと思うのですが」
「うん。でも気にしないでいいよ」
「え?」
「あとはこっちで片付けておくからさ!」
私の執務室前まで来たところでお願い事の説明が終わり、後はよろしく……と言ったところでこの反応。
私は思わず目を丸くしてしまいました。
それだけハンスさんの言葉は驚きをもたらしたわけですが、当の本人は相変わらず朗らかな笑みを浮かべたままです。
当たり前のように執務室のドアを開け私を誘うスマートさは貴族令息として間違いなく教育を受けたスマートさなんですが、それがかえって不気味と言いますか……。
「レムレッドさま……?」
「大丈夫。こういうことは任せてくれていいからさ。ユリアちゃんはアルダールと幸せになることだけ考えてくれればいい」
「……それは、どういう」
「アルダールが戻ったらこのことは伝えておくし、多分夕食あたりは時間取れるだろうから行かせるよ! 面倒だろうけどもっかいアイツに説明してやってね!」
ひらり。
ハンスさんは私に向かって軽く手を振ったかと思うと、踵を返してあっという間にその場を去ってしまいました。
(任せていい? というか、知っていた?)
あの反応は、そういうことでしょうか。
パーバス伯爵が自信を持って私たちの婚約話に横槍を入れたこと、それは誰かの入れ知恵で……そのことはすでに近衛隊の方で知られていた?
私が知らないところで、また何か起きている?
もやもやとした気持ちが胸の中にあるけれど、アルダールはこのことを知っているのでしょうか。
だとしたら私に話してくれるのでしょうか。
(ハンスさんは後でアルダールをこちらによこすと言ってくれたけれど)
仕方のないことだとわかっていても、蚊帳の外ってのは嬉しくないものです。
知らないままでいられれば、不快に思うこともないのでしょう。
けれども当事者であることも煩わしいと思っていたのですから、自分でもなんともままならない感情ですね。
「っはー、やってられない!」
どいつもこいつも!
私たちのことを案じてなのか、或いは鬱陶しいと思っているのか、それ以外の感情なのかわかりませんがほっといてくれってんですよ。
(もしアルダールが事情を知っていて私に連絡を寄越さなかったんなら、デザート追加で頼んでやるんだから!!)
私はやりきれない気持ちを八つ当たりするかのようにテーブルの上の書類を乱暴に掴んで、アルダールが来るまで仕事してすごそうと決めたのでした。




