428 ようやく手放せた
今回はユナさん視点です。
「ユナ嬢、それじゃあ次はなんだったかな?」
「本日の予定はこれで終了でございます。明朝は市場の生鮮食品担当との話し合いの後、学園への入学準備でそちらに赴く予定となっております」
「ああ、そんなものがあったか……面倒だがしょうがないね。明朝は馬車ではなく徒歩で行くことにするからそのつもりで」
「かしこまりました」
リード・マルク・リジル。
リジル商会の、跡取り息子。
何故か、罪人と同然の私を気に入って秘書にして連れ回す、その意図はまるでわからない少年。
……めまぐるしい日々に、おかげで余計なことは考えないで済むけれど。
「良い顔をするようになったね」
「……何がでしょうか?」
「ふふ、リジル商会に預けられた時は随分と酷い面構えをした女だと思ったんだけど、今は落ち着いて見られるようになったじゃあないか。……何かきっかけがあったのかい?」
言い方がいちいち腹が立つが、この人は私のことをまともに部下とは思っていないのだろう。
実際、私も上司とは思っていない。
働いている商会の上役であることは間違いないけれど……私の忠誠は、今もマリンナル王国にある。ひいては、フィライラ・ディルネさまに。
だけれど確かに私は少し落ち着いたのだろう。
「……そうですね。あえて申し上げるとするならば、ウィナー男爵令嬢にお目にかかってから、でしょうか……」
「へえ?」
珍しく興味を持ったようにリード・マルク様がこちらを見てきたけれど、私はそれ以上何かを続けるでもなく彼を馬車に押し込めてお辞儀をする。
「それでは明朝、本店にお迎えに上がります」
私の部屋は、本店にはない。
当然だ、私はリジル商会に預けられただけの、罪人なのだから。
馬車が出発してくれてホッとする。
(でも、そうだ。私は……私がただの取るに足りない人間だと、思い知ったから)
ミュリエッタ・フォン・ウィナー。
彼女のような人が、きっと神様に愛された人なのだろう。
マリンナル王国の王女であるディイや、この国の王女プリメラさまが特別輝いているのは当然だと思う。
彼女たちは私たちとは違う世界の住人であり、輝く宝石であり続ける方々だから。
王族と、平民。その隔たる壁は、あまりにも大きい。
そんな彼女たちの近くに居る自分も、特別だと思いたかった。
特に、ディイは商才もあって大人にも負けない知恵があって、勇気があって……今ならそれが、彼女に対して勝手に抱いていた……いいや、今でもそう思っているけれど、とにかく重荷だったのだろうと思う。
私の、勝手な、この感情は彼女にとって邪魔だった。
わかっていたけれど、認められなかった。
でも、認めざるを得なかった。
(私から見ても、特別な女の子)
ミュリエッタという少女は、平民出身だという。
父親の功績で貴族籍に身を置くこととなり、希有な治癒能力を持っているだけでなくその能力は極めて高く、その上計算術などもこなす才媛。
まるで王族がごとき〝特別〟な能力を有した少女。
祝福の花と同じ色の髪を持つ美しい少女がそこまで有能なのだから、これを〝特別〟と呼ばずになんと呼べばいいのだろう?
そんな存在は、話を盛ったものだとばかり思っていた。
巨大なモンスターを退治した父親、それだけでは足りない何かを補うために男爵の娘をより民衆受けするように話を盛っていたのだろうと思っていた。
実際、最近までミュリエッタという少女に関してはクーラウム王国から正式にお披露目があったわけでもなく、彼女の存在自体隠されてはいないものの表に出てくることはなかったからだ。
それが学園への入学だけでなく、治癒師となり活躍しているとくれば各国が調査するのは当然のこと。
希有な治癒師としてその能力が高ければ高いほど、利用価値は上がるのだから。
(調査で、本当だと聞いても……目の当たりにするまで、信じられなかった)
リード・マルクさまに連れられて一度だけ会って軽くご挨拶をしただけだけれど。
彼女のような存在こそが〝特別〟なのであって、私は取るに足らない凡人であると理解するのはそう、時間は必要なかった。
私は才媛だと母国で評されることがあった、ディイの傍にあってその評価は当然であり、私は彼女の横に立ち並びずっと支えていく〝特別〟であるのだと思っていた。
それは、驕りだと気づいていても、蓋をした。
だって私は、努力するしか能がないのだ。
いいや、努力は大切な能力だろうと思う。それを否定するつもりはない。
だが、誰にだってやろうと思えばできることであり、その中で結果が伴ったというだけの話。
(才能は、最初から存在する)
私は努力をして、知識を得た凡人だ。
けれど最初から才能を持つミュリエッタという少女は、私が努力してなし得たものを手にするスピードが違うのだろう。
彼女だって何かしら努力はしていると思う、だけれど……比べてしまった。
努力して、知識しか手に入れられず、その知識から何かをなし得ることができなかった私と。
努力しているのかどうかは不明でも、その能力を遺憾なく発揮して必要とされて表舞台に引っ張り上げられた彼女とでは違うのだ。
(妬みでも、僻みでもなく、これは事実だ)
彼女に会って、それまで受け入れ切れなかった『自分は努力ができる凡人である』という現実が何故かすとんと胸の中で落ち着いた。
私は特別な何者かではなく、それを理解して受け入れ、ただ努力をして『特別である』ディイの後ろに控えて彼女を支えられれば良かったのだろう。
でもそれができなかったのは、小さな自分ゆえだった。
きっと私は特別だ、特別な人の傍らにある私もまた特別でなければならない、そう想い続けていた。
そうでなければ、私は……ディイの隣に、居られないと、思ったから。
(でもそれは、誤りだった)
特別であろう、特別であろうとしたそのことで私は大切な幼馴染の隣に立つ権利を失った。
私は、自分のエゴで、全部をなくして、それがどうしてなのか本当は知っていたのだ。
とっくの昔に知っていた。
私が特別なんかじゃないってことくらい。
ただ、認めるにはもう遅すぎた。遅すぎると思って、もう止まれなかった。
だってそうでしょう?
そこで止まったら、過ちを犯した私を周りはどんな目で見るかわかったもんじゃない。
いいえ、そうよね。
(その頃に止まれていたら、今みたいにはならなかった)
周りからの目は厳しかったでしょうし、いくら反省したって言っても許されないこともあったでしょう。
けれど、きっと……母国を追われることは、なかった。
母に叱られ、ディイも呆れながら隣にいてくれたはずだ。
私が再起するため、きっと力を貸してくれたに違いない。
だけれど、私は誤った。
その結果が、現在のこの状況だ。
(そういえば)
今日会った、彼女……ユリア・フォン・ファンディッド。
貴族でありながら侍女となることを望み、王女の信を得ている人物。
彼女は己が何者か問われた時に、迷わず『王女の侍女である』と誇らしげに応えた。
私の目から見ても、特別でもなんでもない平凡そうな女性だった。
事実、今日来て茶葉を眺める姿は普通の女性そのもので、私の謝罪を受け入れてくれた姿もごくごく普通の、善良な人物そのものだった。
ミュリエッタという少女を見て、私は自分が特別ではないと知ったけれど。
(でも、そうね)
ユリアという女性に会っていたからこそ、平凡でも大切な人の傍に努力さえすれば、ずっといられる未来があったのだと知ったのかもしれない。
それをちゃんと理解するには、遅すぎたけれど。
もう少し早ければ良かったのにと、後悔ばかりだけれど。
私は、ただ一人……遠くから、大切な人たちの幸せを祈り、そして大切な人たちにこれ以上悲しい顔をさせないために、真人間として生きていくことだけを心がけるだけだ。
「さあ、明日の朝も早いんだからさっさと寝なくちゃね」
成長しているようで、あまり変わっていないなりに変化を受け入れたユナさんでした。




