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アルダールが幼少期を過ごしたという館は、今はもう殆ど使われていないようでした。
勿論、きちんと手入れをされているのは外から見てもわかるくらい綺麗です。
いつ誰が来ても十分対応できる状態を保っているのでしょう。
馬車を少し前で止めてアルダールは一度外に出ました。
私も一緒に下りて館の門よりも手前から眺めたわけですが……懐かしむような……悲しそうな表情を見せていました。
「……アルダール?」
「うん。……この館を最後に見た記憶は、私がここを去る時のものだ。変わらないなと思ってね……」
彼がここを去ったのは、アリッサさまが迎えると宣言した頃だから……多分、十二歳か十三歳……多感な年頃ですね!
その頃はきっとここに良い思い出などなかったでしょうし、そして次に行くバウム邸での暮らしに対しても期待などしていなかった頃でしょう。
(色々と複雑な思いがあるんだろうなあ)
それでもここでアルダールは育ったんだなと思うと、なんとなく私の感想としては『こんな広いところで一人だったのか』というものですね……。
この別邸のサイズはファンディッド子爵邸よりも少し小さいくらいでしょうか。
つまり私が実家の家族四人で暮らしていた程度の家に彼は一人だったということです。
(それって、やっぱり寂しいわよね)
しかも傍につけられた使用人たちは、クレドリタス夫人を筆頭に彼のことをバウム家のお荷物扱いしていたんでしょう?
今はアリッサさまによって改善されているとはいえ、当時のことを考えると胸が痛みますよね……。
「あれえ、お客さまですか」
そんな私たちに庭仕事をしていた使用人が気がついたようでした。
慌てた様子でこちらに来たその人は、雇われて日が浅いのか、まだ若い印象があります。
ところどころ泥に汚れてはいますが朗らかな笑みを浮かべている姿に、どことなく張り詰めた空気を纏っていたアルダールも目元を和らげました。
「客ではないよ、……長居をするつもりはないが」
「え?」
キョトンとした様子の庭師さんに向かって、私たちが乗ってきた馬車の御者さんが呆れたように声をかけてくれました。
「そちらはバウム家のご子息、アルダール・サウルさまだ。さあさ、門を開けてくれないか!」
「え……ええ!? ぼ、坊ちゃん!? もももも申し訳ありませんでしたあ!」
慌てた様子でガチャガチャと門を開けてくれる姿は、普段こういった来客に慣れていない様子が見て取れます。
御者さんはなんとも言えない表情でしたが……うん、まあ……普段使っていない邸宅とはいえ、使用人のレベルがどうとか御者さんは思っているんでしょうね。
彼は本邸の人間だということですし、アリッサさまが信頼できる人物だと言っていましたから。
御者を務めてくれているだけで、本来は執事のお一人だということも聞いています。
元々はバウム家の私設騎士団所属の方で、ご高齢を理由に引退後は執事の一人としてアリッサさまにお仕えしているんですって!
動きもキビキビしているし、まったくもって年齢を感じさせないんだけど……出掛けにアリッサさまからは護衛としても頼りになるって言われてたから実力も相当なのでは……?
まあともかく、クレドリタス夫人がいるであろう館に行くにあたり、心強い味方であると私は考えている方です!!
(いえ、今のアルダールならクレドリタス夫人なぞ何するものぞってな感じだとは思いますけどやはり今までのトラウマっていうの? そういうのはどうしたって簡単に拭えるものじゃないしなにせ実母って理解して色々と腑に落ちたとはいえ確執そのものはなんにも変わっていないし問題のクレドリタス夫人側は相変わらずっていうか触れずに済めばそれが一番だろうけどこれはケジメ、そうケジメだから……)
なんだか私の方が緊張してきました。
どうしたってこの館に来るということは、クレドリタス夫人とも会わずに終われないということでしょう。
実はこっそりとアリッサさまが教えてくださいました。
何故アルダールが育ったこの場所に彼女を留めるのか、それはアルダールが最も近寄りたくない場所だろうからということだったのです。
それをまさか彼自身が行くと言い出すとは思っていなかったらしく、それはそれは大変驚かれてしまいまして……息子のことをよろしくねと言われてしまって、私としてはわかりましたとしかお答えするしかないじゃないですか……。
(まあ、アルダールに酷いことを言うようなら私も黙っちゃいませんよ!)
前回も黙っちゃいませんでしたが、今回だって負けるものですか。
あの時は恋人という立場よりも、王女宮筆頭侍女としての気持ちの方が強かった気がしますが今回はアルダールの婚約者という立場ですからね!
……いや、うん。特別何か対応が変わるわけじゃないですが。
こう、気持ちの問題でね?
「騒がしいと思ったら、呼んでもいない来客でしたか。ようこそおいでくださいましたアルダールさま。ご用がないならばお帰りください」
思った傍から嫌味を言いながら現れた……だと……!!
まあ庭師の方があれほど騒いで門を開けたからね、中に聞こえていてもおかしくはないんだけどね。
クレドリタス夫人は以前と変わらない様子で、キツめの眼差しをそのままアルダールにだけ向けています。
私や御者さんは目に入っていないのかも知れません。
「アルダール……」
「大丈夫」
いきなりの先制パンチに私が心配になってアルダールを見上げれば、彼は優しく笑って私の肩を抱いてくれました。
以前だったら彼女の存在を目にして、厳しい表情を見せていたであろう彼のその様子は随分余裕があるように見えます。
でも、心配じゃないですか!!
「バウム家の人間が、バウム家所有の館に足を運んだだけだ。クレドリタス夫人に迷惑はかからないだろう?」
「……バウム家の人間。ええ、確かに。アルダールさまは確かにあの方のご子息ですから間違いはございません。たとえ庶子であろうとも」
相変わらず、言い方ア!
どうしてこの人は、ずっとこうなのでしょう。
こうすることでしか自分の心を守ってこられなかったのかもしれませんが、それはなんとも悲しいような気がします。
事情を知ったからこそなのですが、以前はあんなに腹を立てたのに私も現金なものですね……でも、許さないけどね!
アルダールに視線をチラリと向ければ、彼は変わらず穏やかな表情でクレドリタス夫人を見ていました。
「ああ、そうだ。私は、バウム家の長男だからね」
「……お越しになることを事前にお知らせいただけておりませんでしたので、おもてなしの準備が整っておりません」
「構わない。少しだけ邸内を確認したら、すぐに帰ると約束しよう」
堂々としたその様子に、クレドリタス夫人の方が戸惑っている様子です。
今まで彼女が知るアルダールではない、その変化を感じ取っているのかもしれません。
(ああ、そうか)
アルダールは、彼女が母親だと知ってすべてに納得して、バウム家の家族を家族として受け入れて前に進んだけれど。
クレドリタス夫人は、アルダールの母親としての自分を認められず、認めることのできない存在に苛立ちながらどうすることもできないまま、立ち止まっている。
わかってはいましたが、それを目の当たりにして私は……この二人が、これを最後にきっともう二度と、交わることはないのだと、そう感じたのでした。
「行こう、ユリア」
「はい」
差し出された手をとって、歩き出す。
クレドリタス夫人の横を、何もないように通り過ぎるアルダールを、彼女は信じられないものを見るような目で見ていました。
この辺、さらっと終わらせちゃおうかなとも思ったんですがせっかくなんで。
あと1,2話お付き合いくださいませー




