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手紙を無事書き終えて侍女さんに託した後、鍛錬に出ておられたディーン・デインさまがお帰りになって、バウム家の団らんに交じって私も楽しい一時を過ごさせていただきました。
もっと緊張するかなって思いましたが、アリッサさまの優しい雰囲気ですとか、ディーン・デインさまの明るさがなんとも素敵空間を生み出していたんですよ。
一言で表すならば、尊い……ですかね!
まあそんなキラキラした方々と私も親戚になるのですから、今後はそれなりに身嗜みにより気をつけたいと思います!
黒髪だとか、青い目じゃないとか、まあ美人の条件を満たしていない私でもこうして好いて生涯の伴侶に迎えようと言ってくれる男性も現れたことですし!
今までは『美人じゃないんだし、仕事第一なんだから』って適当にしていた部分を今後は見直していけばいいだけの話です!
とまあ、そんな感じでバウム伯爵家にて楽しい時間を過ごした翌日。
私はアルダールと共に再び馬車で揺られていました。
どこに行くのかって、そりゃアルダールの生まれ育ったという場所ですよ!
(うう、緊張する……)
婚約者の生い立ちを知り、その原点を見聞きするというのはとても良いことだと思います。
思いますが、今回ばかりは少し事情が違ってですね……私たちが向かう先には、クレドリタス夫人がいるのです。
彼女は、アリッサさまからの叱責を受けた後、バウム伯爵さまより別邸の管理人を仰せつかってそこで暮らしているのだそうです。
まあ要するに、役職を与えたことにしてその別邸から離れられないようにしたということですね……なんとなく、複雑な気持ちです。
でもまあ、あの女性にとってはそれが最良なのかも知れませんね。
バウム伯爵さまのお役に立つのだと言われれば、それがなによりもクレドリタス夫人にとっては大切なのですから……。
ちなみに、彼女に対してお目付役として同じ館で働く人々もいるのだそうです。
アリッサさまがクレドリタス夫人から何か言われる前に、他の使用人たちと接触するようにとアルダールは念を押されていましたからね!
「義母上は心配性なんだ」
「それだけ、アルダールのことを案じているのよ。お優しい方ね、本当に」
「……そうだね」
「馬車でどのくらいの距離なの?」
「そうだね、少しかかるかな……一時間ほど走らせるよ。途中で休憩したくなったら遠慮なく言ってくれ」
「わかったわ」
ふふふ、侍女として遠距離の馬車に同乗する訓練も当然受けている私に死角はありませんよ!
ってそんなこと、アルダールも知っているでしょうけどね。
それでもきちんとこうして気遣いを見せてくれるところが本当にもう、紳士だなあ。
「……私の育った別邸は、自然が豊かなところにあってね」
思い出すように、目を細めながらアルダールはそんなことを話し始めました。
アルダールに言わせれば、彼が育った別邸というのはバウム家でいくつか持っている別荘のようなもので、狩猟の際に休憩所として使ったり有事の際に領民を避難させたりするのに使うため、それなりの広さのある建物なんだとか。
なのでクレドリタス夫人だけがそこに暮らしているわけではありません。
幾人かで常時使えるように管理を行っている建物であり、領主の権限で使用する旨が伝えられた際には完璧な状態でおもてなしをするという役割を彼らは担うというわけです。
そして、その長としてクレドリタス夫人が任命されている……ということは、そこで働く使用人全員が夫人を監視していると同等の意味を持つのです。
「なんせ、確か……記憶に拠れば五人は常駐しているはずだ。管理者以外の使用人たちは、近所に住まう者が多かったように思う。だから管理者以外は交代で詰めているんだ」
「そうなのね」
「料理人とか専門職は、領主が使用する旨を伝えた際にバウム邸から派遣されることになっている。普段は彼らが自分たちの食事を賄う程度でしか台所は使われないんだ」
まあそんなもんでしょう。
常に料理人とかを雇ってそこに据えておくには、そこまで使用頻度の高くない邸宅となると余計な出費ですものね。
「あら? じゃあアルダールが過ごしていた時は料理人がいたってこと?」
「……そうだね、いたよ。まあ、まがりなりにも長男だしね」
「またそんなことを言って!」
「ごめん」
まあ当時のアルダールを思えばしょうがないんだろうなと思いますけど!
それはそれで本当にバウム伯爵さまの言葉が足りないせいなんだから、誰が悪いってやっぱりバウム伯爵さまだよなあ……。
長男だけど跡は継がせることができない、だけど息子として愛しているよってきちんと伝えておいたならきっと拗れることも少なかったんですよ。
周囲の目とか、クレドリタス夫人からの悪態とかに対してアルダールが一人で耐える必要もなかったし、愛されていると知っていれば相談する手段くらいいくらでも見つけられたに違いありませんからね!
(何度考えても伯爵さま、ギルティ)
まあ、将来の義父なんだと思うと色々言いたいことはありますが。
ここはオトナとして、ぐっと呑み込むのが大事なのでしょうね……。
でももう迷いませんよ!
いざって時にはアルダールの妻として、ガツンと言ってさしあげましょう!
やっていいって王太后さまも似たようなことを仰っていたし、万の味方を得た気持ちでやってやろうじゃありませんか!
……本当にやる時は、事前にちゃあんと王太后さまやアリッサさま、それとアルダールに相談してからね?
「私が本邸に迎えられた後はどうなっているのか、知らないんだ。正直……良い思い出のない場所だから、今はどうなっているんだろう」
「アルダールの部屋も、そのままあるのかしら」
「どうだろうね、残っていたとしても元々物はなかったし……本邸に迎えられた時は違いに驚いたことは覚えているよ」
そりゃまあ、本邸に比べたら簡素な造りなのでしょう。
バウム伯爵本邸のあのすごさったらねえ……。
それでもファンディッド子爵邸に比べて立派だったりしたらどうしようとどうでもいい考えが頭を過りましたが、なんとか顔には出さずに済みました。
「アルダール、どうするの? 邸宅に着いたら……中に入るの?」
「いや。……遠くから眺めて、もしできるならば」
「できるなら?」
「クレドリタス夫人に、別れを告げたいと思う」
それは、静かな声でした。
今までのように感情的になることもない、静かなものです。
決して賢いことだとは思えませんが、アルダールにとってはきっと大切なこと。
「わかったわ。……私は、傍にいてもいいのかしら」
「いてほしい」
「……うん」
どちらからともなく手を繋いで、少しだけアルダールの表情が強ばっているのに気がつきました。
(緊張しない方がおかしいよね)
アルダールが何を思ってクレドリタス夫人と対面したいと考えたのか、私にはわかるような、わからないような……でも、きちんと見届けたいと思います。
私が傍にいることで、彼が落ち着いて思うままに行動ができるなら、嬉しいじゃありませんか。
今まで私が怖かったり、悔しかったりした時にはアルダールが傍にいてくれました。
だから立ち向かえた時もあると思うのです。
脳筋公子に絡まれた時ですとか、エイリップ・カリアンさまに馬鹿にされた時ですとか、あ、なんか思い出したら腹が立つな……?
「見えてきた」
内心ムカムカしていると、アルダールのそんな声が聞こえて私はハッとして彼が示す方角へと視線を向けました。
緩やかな馬車道の先、少し古めかしい建物が確かに見えます。
(いや、待って……?)
ナシャンダ侯爵さまのところで小さな温室って言いながら民間の一軒家レベルだったことを急激に思い出して、私は頭を抱えたくなりました。
だってあれ、狐狩りの際に行った王族御用達のあの館を一回り小さくしただけの……要するに、それなりのお屋敷だったんですから。
小さいっていうスケール、本当に高位貴族の方々は言葉の意味を考えていただきたい物です!




