397 決別
今回はフィライラ・ディルネさま視点になります。
ルネを連れて談話室で少し時間を過ごし、自分の部屋に戻ったわたくしは休む気分にはなれなかった。
これで正しかったのか、いつから、どこから、なにをどうすれば。
そんな考えが、ぐるぐると頭の中を巡るのだ。
答えは見つからないとわかっていても。
談話室を後にする時、ユナが泣いていたのは聞こえていた。
けれど、振り返ることが出来なかった。
胸が痛むけれど、それでもそうせざるを得なかった。
「……」
「フィライラ・ディルネさま、そろそろお休みになりませんと……」
ルネが心配そうに声をかけてくれる。
ああ、彼女に心配させるような事態になったのも、全てはわたくしたちのせいなのだろう。
ユナが、ああなってしまったのも。
ならば、それを正すのもわたくしがしなければならないのではないだろうか。
そう思った。
「ねえ、ルネ。わたくしは、これまで……ずっと間違えていたのかもしれないわ」
「……姫さま?」
「心を砕いて説得すれば、ユナはいつかわかってくれる。そう思ってきたわ。……でも、それがそもそもの間違いだったのね、わたくしも、家族も」
「……それは」
わたくしの言葉に、ルネが困ったような顔をしているのが振り向かなくてもわかった。
それでも、わたくしは自分の発言を取り消すつもりはない。
冷たい人間のように思われただろうか。
ルネはわたくしとユナが幼い頃から、常に一緒にいてくれた人だから……ユナに対しても、優しく接してくれていた人だから。
それでも、わたくしは間違っていたと自分を省みる。省みなければならない。
「わたくしは、王女だもの」
興味を持って始めた商売。
女である現実、王族としての責務。
ただ嫁がされるのが嫌で、役に立つ人間だと示して見せたかった幼い自分。
夢に現れた、自分ではない自分。
今にして思えば、なかなか面倒くさいことばかり選んでしていたのだと自分でも笑いが出そう。
だけれど、後悔しているわけではない。
(いいえ、やはり後悔はしているわね)
ユナが言うように、わたくしにとって彼女は〝特別〟だった。
いいえ、特別とか、そういった言葉にできるようなものではなかった。
わたくしにとって、彼女は家族の一人、姉の一人のようなものだったのだから。
一緒に笑って、泣いて、あちこち走り回って。
あの日々が、わたくしにとってはとても、とても大切だった。
(だけど、それは……そうね、決して同じではなかったのだわ)
ユナは、わたくしをいつから『妹』として見なくなったのかしら。
それともわたくしを『妹』として見ているから、おかしくなってしまったのかしら。
「……わからないわね」
いくら考えても、答えは出そうにない。
だけれど、わたくしの中での答えは出た。
「わたくしは、王族。ユナは、その臣下」
プリメラさまが示した態度こそ、正しかったのだと思う。
彼女と、彼女の侍女との間には、主従を超えたなにかがあるのだとわたくしの目にもわかった。
だけれど彼女たちはハッキリと示したのだ。
自分たちは主従である、と。
(主従として、守るべき境界を理解し、弁え、その上で心を寄り添えていたならば)
もし彼女たちのように出来たなら、わたくしたちも幼い頃のまま、ユナの言うような『特別』な関係でいられたのだろうか。
わたくしたちは、お互いに中途半端だったのだ。
お互いに、お互いを何者か答えられぬ立ち位置のままでいたから、誰もが曖昧なままどうして良いのかわからない状態が続いてしまった。
いずれはわかるだろうから。
成長すれば。
大人になれば。
そんな言葉で誤魔化して、勝手に理解してくれるとお互いに思い込んで。
(言葉で伝えていれば、わかってくれるって)
何もせずそう思っていたわけじゃない。
だけれど、わたくしたちの間には決定的に足りないものがあった。
自覚。
ただ、それだけ。
「……ルネ、わたくしは、マリンナル王国第三王女として、……いずれクーラウム国の王太子に嫁ぎ、両国の友好を築く人間として、自覚が足りなかったのだと思うわ」
「姫さま」
深呼吸を、一つ。
やることは、定まった。
わたくしは、王女。
ユナは、いくら親しかろうと臣下。
乳姉妹だからと彼女の行動に対し甘くしていたのは、今日でおしまい。
(いいえ、いいえ、本当はわかっていたのかもしれない)
わたくしは、彼女に対して悪者になりたくなかった。
だから、他の誰かが彼女を咎め、遠ざけてくれることを願っていたのかもしれない。
そしてそれは、きっと誰もが一緒だったのだと思う。
彼女にとって、優しい人間でありたかった。それだけだ。
結果として、余計に傷つけることになってしまっただなんて皮肉なことだけれど。
(……誰かにお願いしてはいけない。これは、わたくしと、ユナのことだったのだから)
嫁ぐ以外に何ができるのか。
そう模索した時と同じように、わたくしはこれから己を厳しく律し、そして王女として恥ずかしくない生き方をしよう。
わたくしを未来の姉として見ていると、態度で示して反省する機会を与えてくれたプリメラさまを見習おう。
(ユナがもし)
プリメラさまを支えているあの侍女殿のように、自分の立場を理解した上で寄り添ってくれていたなら、わたくしはどのようになっていたのだろう?
(……きっと、今と変わらないわね)
失敗しなければ学べない、そんなどこにでもいる子供だった。
ただの子供だったなら、それできっと良かったんだろう。
無茶な子だって、笑って済ませてもらえたのだろうから。
だけど、わたくしは王女で。
ユナは、乳母の娘に過ぎない。
女の身で、王女でありながら商売を始め、その上、商会まで興したわたくしは風変わりな人間として周辺諸国では奇異の目で見られていたことは知っている。
商会の財力を目当てに縁談が来ることもあったけれど、わたくしはそれを突っぱねた。
今思えば、王であるお父さまがお許しくださっていたことも随分甘いことだと理解している。
でも、当時は……まだ、強がる子供だったのだ。言い訳にしかならないけれど。
王族として国の役に立ちたい。
だけれど結婚の駒にはなりたくない。
商会の主として牽引していかなくては。
そんな感じだったと思う。
「ルネ、明日の朝一番で騎士をタルボット商会に向かわせて。これ以上護衛の騎士を割くわけにはいかないけれど、ユナは出来る限り早く国元に戻さなくては」
「かしこまりました」
「……あまりあの商会に借りは作りたくなかったのだけれど、仕方ないわね」
クーラウム国の方々には迷惑をかけすぎた。
これ以上はお願いする方が失礼というものだろう。
ユナが仕出かしたことは、総じて主であるわたくしが責任を負うべきもの。
今更ながら、それを強く感じる。
ああ、わたくしは大人になったつもりだったけれど、どこまでも家族に甘やかされて育った子供でしかなかったのね。
(……恥ずかしいことばかりだけれど、自覚が出来たのであればそれに甘んじず前を向けばいい。それだけだわ)
タルボット商会とは以前、商売の関係でツテがある。
リジル商会とはこれまであまり縁がなかったので難しいけれど、タルボット商会ならば今までの商売で培った関係もあるしユナを丁重に送ってくれるようお願い出来るだろう。
少々、商売としては痛い出費が生じるかもしれないがこれも必要なことと割り切るべきだ。
「ルネ」
「はい」
「ユナの出立が決まっても、わたくしは見送りません。……だけれど、貴女は見送ってあげてね。勿論、国元の両親には、今回の件を報告しないわけにはいきませんから、処罰は免れないでしょうが、それも彼女にとっては必要なことなのです」
「……フィライラ・ディルネさま」
「わたくしは、王女です。王女だったのです。……ユナの、妹ではないのだから」
「かしこまりました」
「……もう、休みます。貴女ももう休んで良いわ」
ルネが、頭を下げて出て行ったのを見届けてわたくしはベッドにうつ伏せた。
涙が零れる今日という日を、決して忘れまいと思った。
あの日、わたくしではないわたくしに、お別れを告げた時と同じように。
5の倍数日で更新をしておりますが、今月は28日までなので次回は3/1になります。よろしくお願いいたします。




