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侯爵さまとのお話を終え、私は今回の避暑地での生活の場として与えられた使用人の部屋の一室に戻った。
さすが侯爵さまと申し上げるべきか、プリメラさま付きにしか過ぎない私たちにも客人としての部屋を与えてくださり、私とメイナが同室です。同様に女性護衛騎士たちも二人一組でお部屋をいただけたそうです。
窓の外は侯爵邸の庭園が良く見えます。
流石に花弁をいただいたりご協力をしていただけるとなったからと言って続けて厨房をお借りするわけにはいきません。なにせ料理人たちはこれからの晩餐に向けて準備があるのですから、私の我がままでご迷惑をおかけするわけにはいきませんからね!
というわけで今はメイナから報告を受けているところです。
プリメラさまについていますが、侯爵邸のメイドさんたちがいるので休憩してきて構わないとお許しをいただいたのだそうです。
「本当に美しい光景ですねえ~……」
「こらメイナ、気を抜きすぎですよ。今日は姫さまのご様子はどうでしたか」
「あ、はい! 午後から王太子殿下と侯爵さまと話をしておいででした。その際には人払いをなされましたので内容までは存じません。その後シャイナを慣らすとのことで新しい鞍をつけられ30分ほど護衛騎士を伴い練習をしておいででした。その後刺繍をしておいででしたがティータイムに王太子殿下がお誘いになり、その際は侍従のアーロンさんが給仕を務めました。以上です」
「そうですか。晩餐の際は私が給仕に付きます」
「はい、かしこまりました!」
メイナは元々商家の出でとても明るい性格の女の子です。
先日16歳になったばかり。ダンのことを弟のように可愛がっていますが、彼女自身が王女宮のメイドや執事たちに可愛がられている、そんな存在です。
今回連れてきたのは勿論優秀であることもありますが、よその家での侍女たちの立ち居振舞いを見て学ぶことも多いだろうと思ったからなのですが……どうも緊張しすぎて疲れているようですね。まあそれも仕方がないのかもしれません。プリメラさまの意向で私がいない時間が多かった分、気疲れしてしまったのでしょう。今も少しウトウトしているような気がします。
「……メイナ、少し眠ってもいいのよ」
「えっ、あっ! すみません!! 大丈夫です、起きてます」
「大丈夫よ、時間になったら起こしてあげるから」
「……ごめんなさい、恥ずかしい」
顔を真っ赤にしているのは年頃の女の子だ。
私も可愛いなあと思いながら、座る彼女の頭を撫でた。
いつも明るく元気で頑張る彼女だが、やはり親元を離れようやく王女宮での生活に慣れたところで侯爵家に来ているのだから緊張しない方がおかしいんだろう。私はもともと貴族だから、貴族の生活とはなにかとか侍女や召使のいる生活に慣れてはいたけれど(勿論規模は桁違い)、彼女はそうではないのだから。
少しばかり私もお休みを貰ってはしゃぎ過ぎたのだろう、この年下の女の子の緊張を気遣ってあげる気持ちが足らなかったのかもしれない。反省だ。
「さ、少し横になりなさい。私も楽に過ごしますから」
「……すみません……じゃあ、あの、ちょっとだけ」
やっぱりすごく疲れていたのだろう。
後で昼間買ってきた蜂蜜を使ってお茶を淹れてあげよう。この子が好きそうなクッキーも買ってきてあるから……明日はもう少し、私も配慮してあげなくては。年長者としても、仕事の先輩としてもね。
すぅすぅと寝息が聞こえてくるのを確認してから私はいつものお仕着せと髪型に変えて鞄から刺繍糸とハンカチを取り出した。
刺繍を覚えたのは、ユリアに生まれ変わってから。
前世で裁縫なんてものは学校の授業以外は経験もなくて、貴族の子女の嗜みですよ! なんてよく家庭教師に叱られたものだ。今では特別なものでなければ人並に刺せると思う。うん、多分……。
アルダール・サウルさまにお菓子は何がいいかな、と思ったのだけれど私にできることと言ったら特別なことは何もない。書類を手伝うとかそんなことしか思いつかなかったポンコツである。
近衛騎士団の書類を手伝うとかないだろ……他にないのかよ自分……って思ったわ。誰に言われるまでもなく。
なので月並みなのだけれど良い生地のハンカチに刺繍でも施して、あとはお菓子でも作って渡そうかと……だって貰ったものが高級品だとしてももう大分時間も経っちゃってるしさあ、今更感がハンパないんだよね!!!
日頃のお礼ですーって感じで渡せばいいよね? 許されるよね?
ま、まあ何か次の機会でもあったらきちんとしたものを買いたいと思います。あの時はほんと色々あり過ぎてキャパオーバーだったんだよね……とはいえそれは言い訳にしかならないと反省はしている!
窓の外ではうっすらとした夕焼けの始まりで私たちの眼下に広がる白薔薇が、少しずつ茜に染まる様を見ながら私は針をゆっくりと動かした。
白地に白の糸で、目の前に咲き誇る薔薇を真似て刺繍する。折角薔薇の美しいところに来ているのだし、お手本にさせてもらおうと思ったのだ。
できるけれど得意というほどでもないから、ゆっくりと、丁寧に。普段使ってもらえるように、華美にはせずにひっそりと小さく薔薇と葉を刺していく。確か白薔薇には『尊敬』の花言葉があったはずなので、若くして近衛騎士として頑張っているアルダール・サウルさまへ。
夕焼けは直ぐに部屋中を茜色に染めてしまうので、イメージが出来ている中で手を止めるのはもったいない気がしたけれどランプにそっと火を点けた。
(……こんなありきたりのもので喜んでもらえるとは思っていないけど)
きっと今までも色んな人にたくさんのプレゼントをもらっているに違いない。
そんな中に埋もれてしまうものかもしれないけれど。やっぱりもらいっぱなしは、気分が良くないから。
引き出しにしまった髪飾りを次使うのはいつだろう。
アルダール・サウルさまに、やはり一度は使っているところを見ていただいた方がいいだろうか。
貰っておいて使っていませんなんてお話にもきっとならないから。心遣いを無駄にするのは、気が咎めるし。なんせ空気が読める日本人ですから! 元がつくけど……。
「ん……」
「あら。メイナ、メイナ、そろそろ起きて!」
「んぁ……ゆりあしゃまー……?」
「ええ、私よ。ほら顔を洗って。そろそろ他のメイドさんたちの所に行って晩餐の手筈を確認しましょう。朝方大体の流れは定まっていたけれど変更が出ているといけないから」
「ふぁい……」
「私は先に行くから、ちゃんと鏡を見て髪も整えてらっしゃいね!」
まだ眠いのだろうメイナは目をこすってへらりと笑った。
ああ、可愛いなあ。もう! 妹がいたらこんな感じなのかなーちょっと手がかかって、いっつも心配しちゃうんだろうなあ。うちの弟はしっかり者だからなあ。こういうのなかったもの。
……メレクも元気かな。お父さまも……あれから会っていないけど、やっぱり一度会って話すべきよね。
前回責めてばかりだったから。お父さまだって色々辛かったのかもしれないし……はぁ、大人だ大人だと思ってたし前世の分もプラスしたら結構精神年齢行っててもいいと思うんだけど、こうしてみると私は足りないところばっかりだなあ……。
「あらユリアさま! ちょうどよろしかったですわ!」
「……どうかなさいましたか?」
「はい、晩餐の準備は恙なく。いえ、王女殿下がユリアさまをお呼びでしたので……晩餐はこのままでよろしいですか?」
「はい、よろしくお願いいたします。少し遅れてメイナがそちらに行きますので手筈の通りにしていただければ……私は王女殿下の元へ行きますので失礼いたします」
「はい、よろしくお願いいたします」
侯爵家の侍女の方とお辞儀をしあって私は足を厨房からプリメラさまの部屋へと変更した。
……なんだろう? あの悪戯顔と関係があるのかな?