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「改めてご挨拶いたします、わたくしはフィライラ・ディルネさま付きの侍女でルネと申します」
私たちは別の部屋に入り、対面するような形で座りました。
ケイトリンさんはドアの側に立ち、誰かが盗み聞きなどしないように警戒してくれています。
ルネさんは私たちに対して丁寧な態度でしたし、何よりとても真剣な表情でしたので話を聞くに値すると判断してのことですが、内容によってはプリメラさまの公務スケジュールを考え直さなければならないかもしれません。
「フィライラ・ディルネさまが先ほど、プリメラ姫さまにご説明なさったことを補足する形になりますが……あれは全てではございません」
「……と、言いますと?」
「これは誓って申し上げますが、フィライラ・ディルネさまは隠そうとしたというお気持ちなどなく、またあの方は病などを患ってなどいないとどうかご承知おきくださいませんか」
「……それは……」
いきなりそんなことを言われても、内容によっては私もそう簡単に頷ける話ではないっていうか。
病ってなんのこっちゃと思わず面食らっていると、ルネさんもちょっと急いてしまったと気づいたのでしょう。ばつが悪そうな顔をして俯いてしまいました。
「申し訳ございません……突然のことで、無理ばかりを……ユナの件でご迷惑をおかけしているというのに」
「いえ……」
「ですが、どうかお聞きくださいませ。わたくしには、このままユナが引き下がるとはどうしても思えないのでございます」
ルネさんいわく――マリンナル王家の人々は大変仲睦まじく、勿論フィライラ・ディルネさまも愛されて育ち、その頃はユナさんもまとめてそれこそ国民との壁なく王家は存在する、その理想的な形で周囲の人々も笑顔だったそうです。
「ですが、フィライラ・ディルネさまがある日から夢をご覧になるようになって……」
「夢……ですか?」
「はい。ただそれだけでしたら、わたくしたちも幼子が怖い夢を見て恐れているのだと慰めもできましたが……その内容があまりにも具体的で」
「伺っても?」
「……誰も知らぬ世界で、仕事をしているのだそうです。勿論、当時まだ幼かったフィライラ・ディルネさまの言葉は拙く、わたくしたちが解釈した範囲でになりますが」
「誰も知らぬ世界……?」
その言葉に私はまさかと思いました。
ですが、そうと決めつけてかかるわけにもいかないので、ルネさんの言葉を待つと彼女は昔を思い出すように目を細めて、ほうっと切なげにため息を吐いたのです。
そして、ルネさんは意を決したように言葉を続けました。
「フィライラ・ディルネさまは、夢を見た翌日わたくしたちも知らぬような知識を口になさることがありました。そしてそれがなんであるか問われてもご自身ではよくわからず、泣かれるのです」
別に咎めたわけではなく、ただの疑問として『今なんと言ったのか』と問われても答えられないことに泣いてしまったフィライラ・ディルネさま。
私はルネさんに気がつかれない程度に息を呑みました。
「あの方は、当時それをとても怖いと仰いました。自分がまるで別の自分のようで、自分の中に誰かがいて、己が消えてしまいそうで恐ろしいと……幼子が悪夢で泣くのはよくあることでございますが、それは不思議なことに数年にわたって続いたのでございます」
「まあ……」
「勿論、国王陛下やご兄弟方もとても心配なさいましたし、心の病の疑いも考えられて医師たちを頼ることもいたしました。しかし、そのような兆候は見られず、フィライラ・ディルネさまは至って健康であると診断されるばかり」
私は思いついたそれが、正しいと確信しました。
フィライラ・ディルネさまは、転生者であり、記憶を幼少時代に取り戻したのでしょう。
前世を夢として見て、彼女はその知識を知らず知らずに口にして、けれどもはっきりと記憶を取り戻したわけではないので今世の自分との齟齬が生じ、そのせいで恐ろしいと思ったに違いありません。
(私はすぐにそれを受け入れたけど、それはまあ、赤ん坊だったし……そういえばミュリエッタさんはどうだったのかしら?)
ふとそんなことを思い出しましたが、彼女に聞けるはずもなく。
フィライラ・ディルネさまは今どうなのだろうかと思ったところでルネさんはにこりと笑いました。
「ご安心くださいませ。フィライラ・ディルネさまはもうその夢をご覧になっていません。夢で話をしたのだと仰っていました……そこについてはわたくしにもなんとも申せませんが」
それ以降、その話題はフィライラ・ディルネさまにとって触れられたくない出来事なのだそうですが、夢の中でその相手……つまり、私が予想するに前世の自分ですね。その人に別れを告げたから出なくなったのだろうと零したことがあったのだそうです。
ルネさんも意味がわからなくて困ったそうですが、まあとにかくそれでフィライラ・ディルネさまの悪夢事件は終わりを告げたということで彼らは安心したそうなのですが……それを良しとしなかったのが、ユナさんだったのだとか。
「フィライラ・ディルネさまが商売に関して興味を持たれたのは、市井で平民たちとの触れ合いがきっかけなのは確かでございましょう。ただ、あの悪夢に悩まされておられた時、あの方は商人たちを相手にまるで経験者かのような行動をとられることがあり、ご本人も戸惑うことは多かったのですが……」
なるほど、彼女の前世はそういう系統の職業だったんですかね。
ただのOLだった私とはえらい違いだなあなんてこっそり思ったのは内緒です。
「悪夢をご覧にならなくなったのは、商会を立ち上げてしばらく経った頃でしょうか。それまでまるで経営経験者かのように常に力強くあられたフィライラ・ディルネさまは、初心者らしいミスも増え、落ち込むこともありましたが……生き生きとしておいででした」
自分が自分らしくあれる、そのことに失敗したり挫けたり、そうやって楽しんでいる姿に周囲は付き従っているのではなく一緒に商会をもり立てようと意識も変わってきて、全てが上手く回り始めたかのようにルネさんには思えていたそうです。
けれど、ユナさんはどうしてと言わんばかりに、逆にフィライラ・ディルネさまを叱咤するようになったそうです。
どうして、今までできていたのに。
どうして、以前のようにできないのか。
どうして、どうして、どうして。
初めの頃は申し訳ないと頭を下げていたフィライラ・ディルネさまも、次第に彼女が自分ではなく自分を通して、夢で見ていた女性を見ているのだと気づいてそれを正そうとしたらしく、衝突が絶えない日々が始まった……というわけですね。
「ユナは……その悪夢にうなされてきたフィライラ・ディルネさまに、神を見出していたのです……」
「なんですって……」
だからこそ、ルネさんには彼女が簡単にフィライラ・ディルネさまの側を離れるなんて想像ができないのだそうです。
なんてはた迷惑なんでしょうか!!
「フィライラ・ディルネさまはユナに傷ついてほしいわけではないのです。今までは立場の問題もあって難しいところではありましたが、物理的な距離さえ置けば彼女も冷静になってくれるのではと期待しておられるのでしょう」
でも、ルネさんは違うのでしょう。
だって、私にこんな話をわざわざ聞かせたのですから。
「お恥ずかしい話ではございますが、主の秘密を話してでもわたくしはフィライラ・ディルネさまをお守りしたいのです」
ユナさんは、フィライラ・ディルネさまの側にいれば最低限大人しかったそうです。
だからフィライラ・ディルネさまは彼女が面倒でも側に置いていたというわけで……特別悪いことをしているわけでもなければ、与えられた仕事はまっとうするし、乳母は良い人だしで切り捨てる方が難しい状況ではありますしね。
でも、この婚約を機にユナさんを母国へと戻せばあるいはという淡い期待。
ルネさんはそれを甘いと思っている。
そして、なにより彼女が心配しているのは……ユナさんがこれらの動きを察して暴走した挙げ句、婚約が破棄される危険性……でしょうね!
ちょっとあれこれわかりづらかったような気がするので、修正できるところは少しずつやっていきたいと思います……すみません!




