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結局のところ、蜂蜜の小瓶を買って食べ比べる以外はやるべきことが増えた、気がするままに侯爵邸に戻る。メッタボンはぶつぶつと「あれとこれを合わせたら……いやそれじゃあ香りが……」とかもう料理のことに意識が飛んでいるようだ。レジーナさんはそんな彼の様子もどこ吹く風、いやもしかして慣れてるのか。
そんな私の視線に気が付いたのか、彼女は勝気な表情を柔らかくして微笑みながら、そっと唇に人差し指を当てた。なるほど、慣れているらしい。良い彼女がいて羨ましいな、メッタボン!!
いつか私もあんな風に誰かを想う日が来るのかしらね……つい最近、プリメラさまに適齢期の問題を心配していただいたけど。正直焦ってはいないし結婚しなくちゃという強迫観念めいたものもない。手に職があって充実しているんだからしょうがないだろうと思う。別に恋愛したくないわけじゃないのよね、ただ縁がないだけでさー。
この世界イケメンが多すぎて目を見てお話しできない段階で他の女性陣よりも一歩も二歩も後れを取っているという自覚はありますよ……でもどうしようもないっていうか……だってキラキラしてんだよ?!
前世で、私は流されるままに生きてなんとなく就職して適当に生きてぽっくり逝くという、ざっくり説明するとなんだか残念な人生を送ったわけだし……まあ、前世の両親を思わなかったわけじゃない。なんつー親不孝な女だったんだろうと思った幼少期が、落ち着いたというか(落ち込んでいたから)根暗な少女時代であったとしてもまあしょうがないとそこは自分で諦めるものの、今世の両親には随分心配をかけたことだろう。
あれ? 私両親に前世でも今世でも心配かけまくってね?
……まあそれは置いておくとして。
とにかく、前世のことを咀嚼して呑み込んで今世をまっとうに生きようと決めた上で就職して充実しているというのは相当な進歩じゃないか!! この上で恋愛して結婚か……難易度高いな。いや、見合いとかでもいいんだろうっていうかむしろ子爵令嬢としてはそういう方向が一般的なのかもしれないんだけど……プリメラさまの筆頭侍女ってところが王族にコネができるってんで問題なんだろうなあ。うーん。
いや、紹介してくれってお願いしたら宰相閣下とか王弟殿下とか王太后さまとか紹介してくれそうだけど怖いしな……かといってリジル商会の会頭とかジェンダ商会の会頭とかもまたなんか違う系統で怖いしな……あれ、私なかなか恋愛系は難易度高くね? ここ乙女ゲームの世界なのに?
あーヒロインじゃないから優遇じゃないんですねわかります。 モブ・オブ・モブですものね!
そんな若干やさぐれた気分をぶつけるように、甘いものを食べて気分転換したい!! とクリームをホイップしていると横でダンがちょっとだけびっくりしたように「ユ、ユリアさまどうかしたんですか……?」と心配されてしまった。申し訳ない。
あれから買い物を終えてナシャンダ侯爵邸の厨房を借りてのババロアの試作中だ。
私が作る横でメッタボンが睨みつけるようにして私の一挙手一投足を見て覚えようとしているけどやめて怖い。そんな難しいことしないからさ!
そんな師匠の顔を幸いにも見ずに済んでいるダンは少年らしい好奇心に満ちた顔で私の手元に注目していたからびっくりさせてしまったらしい。申し訳ない。
「なんでもないのよ、ダン。そういえば買い物は問題なかった?」
「は、はい! 料理長さんにお店を聞いて行ったので迷うこともありませんでした。お店の方も親切でした! どこかの商会に属してるわけじゃなくて、地元の農家さんが兼業で開いてるらしくて……も、勿論商業ギルドに届け出済みのきちんとしたところです!」
「慌てなくていいわ。こちらの料理長さんがご紹介くださったのなら身元もきちんとしている方々でしょうから安心ですね。また買い出しをお願いするかもしれませんが、いいですか?」
「勿論です!! ……それで、あの、クリームをホイップしてどうするんですか……?」
「さっき砂糖と牛乳を温めたものを作ってもらったわね。もう冷めたでしょう、それを持ってきて」
「は、はい!」
「メッタボン、寒天はどうかしら?」
「準備出来てるぜ」
寒天で作る以上は寒天ババロアであって、ゼラチンほど柔らかくは出来ないだろうと思う。
けれど一時期寒天ダイエットにハマった私からすると、生クリームをゆるく泡立てて作れば案外美味しくできたなあという記憶があるのだ! とはいえ、あの柔らかさはやっぱり食べたいしゼラチンもどこかでメッタボンに頑張ってもらおうかなあ。マシュマロとか作りたいなあ……。
まあ寒天でも羊羹とか色々デザートのバリエーションは増やせるだろうし。
卵液を混ぜて最後にホイップしたクリームを混ぜてとろみがついたのを確認して借りたコップたちに移して私の魔力を発動させる。ひやりひやりと私の魔力に応じて冷やされていくコップとその中身。凍らせない程度に温度を保っていけば、ふるり、とコップの中が揺れた。
本当はババロア用の型とかあるといいんだけどね、見た目的にね。でもこれは試作なわけだし皆が気に入るようなら型を作ることも考えればいいし……問題は冷やす方法だけど。
小さめのコップにしてよかったと思うものの、私の魔法力でできる範囲と効果を考えればコップを一個ずつというなんとも燃費が悪い……どうしたものかなあ。もっと大きいのになると難しいし時間もかかるだろうし……。
いっそのこと氷の魔法を使える人に氷の板を複数枚作ってもらって囲むとか。何だろう、昭和初期の冷蔵箱みたいなやつを作ってもらう? 氷を上の棚に入れて落ちてくる冷気で物を冷やすっていう……博物館でしか見たことないけど原理はそんなだったはずだ。
うーん、考えることは多い!
とりあえず一個出来たっぽいし……受け皿をダンに取ってもらってと。
「えい」
少しだけ隙間から空気を入れてひっくり返せば流石寒天。ぷるっと滑るようにして出た。
そんな私のババロアに周囲の目は釘付けだ。
私は次のコップを手に取って、視線を巡らせた。
「そうね、先ずはメッタボンが試食してみて頂戴」
「お、おう! ゼリーの時もそうだが、ぷるっぷるしてやがんなぁ……」
「今回はカスタードババロアにしてみたけれど、フルーツババロアもいいわねえ。私はイチゴのやつが食べたいわ」
「そんなのもできるんですか?!」
ダンの目が輝いている。
そうよね、お菓子はみんなを笑顔にするから不思議よね!
私がただ微笑んでその問いに返せば、ダンが待ちきれないのか私の手の中のコップを熱い視線で見つめていた。次のはダンにあげるとしましょう。
レジーナさんも気になるようだけど、ダンに譲ってあげるつもりらしく私と視線が合うと笑ってくれた。
ほんといい女ねエ……メッタボンはツイてると思うの、とことんね。
「どうかしら、メッタボン」
「うまい……うまいですぜコレ! 今までの菓子とはまた違う感じで……ゼリーよりクリーミーです」
感動しているらしいメッタボンに私も大満足だ。
ダンに渡せば上から下から見ているけれど、下からはどう見たって皿だというのに……可愛いなあ。
レジーナさんの分を作っていると、彼女は感慨深げに私の作業を見ていた。
「すごいですね、お菓子とはただ砂糖を加えたものを焼いて食べるだけだと思ってましたけれど………コップの形で出てくるお菓子だなんて考えたこともなかったわ。メッタボンが可愛らしいケーキを持ってきたときも驚いたけれど……ユリアさまのお菓子に宰相閣下が魅了されているという噂も否定できませんね」
「え、そんな噂が流れているの?」
「はい、宰相閣下だけではありません。王弟殿下や王家の方々が子爵令嬢にしか過ぎない貴女を筆頭侍女に据えたのは菓子作りの腕を他所にやらぬためだという噂も出ていますよ。ご存じなかったですか?」
「いいえ、まったく……変な噂ねえ。私よりもずっとメッタボンのほうが価値があると思うのだけど」
首を傾げてしまうような噂だね。まあ噂だから色々と尾鰭背鰭が生えて巨大魚となって泳いで行ってしまったのだろうけれど……迷惑な話だなあ! 私なんて前世の知識があるからちょっと珍しい菓子が作れるだけで、私の独創ではないんだし。だから独占的になんて考えずにメッタボンに相談して広めてもらって本職の作ったのを食べたいと思ってるわけですし。
寧ろちょっと話を聞いたり見たりしただけでそれを進化させていっているメッタボンの方が何十倍もすごいのに。
ま、まあそのメッタボンを見出したのは! この! 私ですけどね!!
勿論口に出して自慢なんてしませんよ……偶然ですからね。
しかしそう考えると前世はまさに飽食だったのでしょうね。
もう少し私に知識と技術があればミルクチョコレートとかも作れたでしょうに……今の所ホットチョコレートを作ることは成功しましたが、カカオパウダーだけではクッキーとか生クリームに加えるとかくらいしかできません……あっ、でもアイスにはできるかしら……。
そういえばあとカステラも作れそうです。
うんうん、私のお菓子事情が豊かになりますね!
これであとは薔薇ジャムですが、それはこの後侯爵さまにお時間をいただけているのでその際にでもお話しすることにいたしましょう!
出来上がった寒天ババロアは、なんだか懐かしい味がしました。
うん、次はイチゴを作って可愛くしてからプリメラさまにお出ししてあげよう。