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プリメラさまが、緊張している。
私は、その背中をただ見つめて心の中でエールを送るしかできません。
なぜならば。
「呼び立てて悪かったわね」
今、プリメラさまとテーブルを挟んで対峙しているのは王妃さまなのですから……!!
一時期に比べると関係がだいぶ改善されたとはいえ、今でもどこかギクシャクしているお二人です。
そんな中、王妃さまから直々にお呼び出しがあり、私たちはこうして来ているわけですが……王妃さまは来客があったらしく少し遅れて登場なさいました。
(一体何の用事なんだろう……連れてくるのは、王女宮筆頭のみとまで制限して……)
まさかとんでもない王家の秘密を、社交界デビューを控えた王女に伝えるとかそんな大事な席なのでしょうか!?
ないとは言い切れません、何せプリメラさまのご生母であるご側室さまはすでにおらず、そうなると母親から伝えるべき内容というのがもしあったとするなら、ご側室さまに代わってそれを教えられる女親の立場にあるのは……王妃さまただお一人。
いえ、王太后さまもいらっしゃいましたね。
でも本来親から子へと引き継ぐ物であるなら、王妃さまがやはり適任でしょうか。
(って、まだそんなワケじゃないけどね!)
まあそう思ったのは、王妃さまの傍に控えていたのが内宮筆頭ではなく後宮筆頭だったからなんですけど……。
普段、こういう執務室だと内宮筆頭が担当するものなのです。
後宮筆頭はその名の通り、後宮……つまり国王陛下の妻たちが暮らす場を守り、管理し、過ごしやすくしてよりよい環境で跡継ぎを儲けてもらうようにするのが仕事ですから。
ちなみに、この国の主が国王陛下なら後宮の主は王妃さまなのです。
陛下の妻が複数存在する場合、その妻たちの筆頭として彼女たちを従え、秩序を保たせるのも正妻の務めってヤツですね……とても大変そうです……。
(……当時、ご側室さまも後宮で生活をしていたのよね……)
見習いだった頃は後宮でも掃除や書類を運ぶ手伝いなどで駆り出されていましたからそれでお会いしたんですけどね!
今となっては懐かしい話です。
(なんて思い出に浸っている場合じゃなかった)
私はそっと失礼にならないよう、周りに視線を向けました。
王妃さまの執務室は、私も初めて入りました。
幼い頃、見習いで見学した程度でしょうか……豪奢な内装に大きな仕事机、そして来客用のテーブルと椅子。
部屋の大きさで言えば、私の執務室と私室を合わせたものが二つは入りそうな大きさです。それでも、王妃さまには書記官や秘書官、侍女たちに護衛の騎士と常にその周りに人がいるのですからこのくらいの広さは必要なのだと思います。
そんな中、応接用のテーブルには見事な茶器と紅茶、そして茶菓子の数々。
(……これは、長い話になるってことなのかしら)
おもてなしするという点において、おかしいってことはないんですが。
今まで王妃さまが率先してプリメラさまと関わりを持とうとしていなかったので、なんとも緊張してしまうのです。
おそらく、プリメラさまは私などよりもっと緊張しているはず……!
「……お前も、わたくしと話すのは辛いでしょう」
「えっ」
「ですから、用件を手短に済ますこととします」
王妃さまはプリメラさまと向かい合ってしばらく沈黙していたかと思うと、ばっさりと挨拶も何もかもすっ飛ばしてそんなことを言い出しました。
いや、一応家族なんだから挨拶はいいのか? いや挨拶は人間関係の基本だよね!
落ち着け私。
私が動揺してどうするってんですか。
この後、退出してからプリメラさまのフォローを今のうちから考えておかねばなりません。専属侍女として、王女宮筆頭として、責任重大です!!
「今日呼んだのは他でもありません。これを、そなたに託します」
王妃さまの言葉に、後宮筆頭が小さな箱を恭しく持ってきてプリメラさまの前に置きました。
小さな宝箱のような形状のそれは、プリメラさまの両手に収まる程度の大きさです。
「……これは?」
「そなたの母が生前身につけていた物です。他に持っていた装飾品は全て、共に葬られ残っていません」
「……おかあさまの……」
プリメラさまはそう零すように呟いて、ゆっくりとした動作で箱を手に取り視線を落としました。
王妃さまが何故、ご側室さまの装飾品をお持ちだったのでしょうか?
お二人の関係は、同じ国王陛下の妻というものでしたが寵愛の差により良い関係ではなかったと耳にしていましたが……。
いえ、良い悪いではなく互いに接点を持たないようにしていたみたいな……?
詳しくはわかりませんが!
「それは、唯一彼女がこの城に来た時に実家から持ってきたもの。他の装飾品は陛下からの贈り物であり、それらは彼女への愛故に宝物庫に戻されることも、娘であるそなたに引き継がせることもなく共に埋葬されました」
生前身につけていた物は、その持ち主と共に埋葬するのはこの国でごく一般的なことです。それでも、母から子へ受け継ぐような物はいくつか残されたりしている物ですが……なるほど、今までそういった物がなかったのはそういう理由があったんですね。
つまり、陛下が原因か!
(この城に、身分を得た後本当に身一つで嫁がれたんだなあ……)
それは、どれだけ強い覚悟を持てばできたのだろうと私は想像してみて……何もわかりませんでした。
アルダールと身分差があったら、私は家族を捨てる覚悟で彼の元へ行ったでしょうか。
誰一人知らない場所で、今まであった自由を手放して、本当の家族を家族と呼べない生活……愛のためという言葉は美しいですが、それは相当の覚悟がなければできなかったに違いありません。
「わたくしと彼女は、役目が違いました」
「役目」
「そうです。陛下が背負う責任は、我々などが到底肩代わりできぬ重いもの。それはそなたも知っているはずです」
「……はい」
王妃さまはプリメラさまをひたりと見据えて、淡々とした口調で言葉を続けました。
けれど、その眼差しは……幾分か、優しいもののような気がします。
「わたくしは、国王の妻として内外共に公務をお支えする役目。そして彼女の役目は、あの方の人としての心を支えることでした」
「……」
「お前はもう幼い子どもではありません。知っておいてもよいだろうと判断しました」
「……はい、お義母さま」
王妃さまはプリメラさまをじっと見つめ、そして目を伏せて数秒そのままじっとしていらしたかと思うと立ち上がりました。
「話はこれだけです。わたくしは公務に戻りますから、それを持って下がりなさい」
颯爽と出て行ってしまった王妃さまの背を、プリメラさまはどこかぼうっとした面持ちで見送って、私を振り返りました。
小さな宝箱を持つ手は、かすかに震えているようです。
「……プリメラさま。王女宮に戻りましょう」
「ええ……」
「それでは後宮筆頭、失礼いたします」
「王女宮筆頭も、ご苦労さまでした」
人々に見送られ、私たちは廊下を歩き……ふと、庭先に出て私は足を止めました。
思い出すのは、在りし日の幼い自分とご側室さまの姿。
女の子ならば花の名前をつけるのだと優しく笑っていたご側室さま。
(王妃さまは、きちんと……ご側室さまを、理解しておられたのだろうか)
だとしたら、あの方は孤独ではなかったのかも知れない。
国王陛下や王弟殿下が傍にいたけれど、同じ女として理解者がいたのだとすれば私が思っていた以上に孤独ではなかったのかもしれない。
少しだけ……そう思うと、ほっとしました。
そして、それはプリメラさまも同じだったのかもしれません。
私と同じように足を止めて、まだつぼみも何もつけていない木々を眺めて私の手をぎゅっと握ってきました。
ほんの少しだけ、私よりも小さなその柔らかい手の感触は温かくて、私たちはしばらく何も言葉を発さずにその場に立ち尽くすのでした。




