365 現実
今回はミュリエッタ視点です。
どうして。
「あーあ……」
今日は治癒師としてのお仕事がない日。
だからってどこに出るにも色々文句を言われたりするし、お金もそんなにあるわけじゃないし、何かほしいわけでもないし……結局家でゴロゴロしてる。
最近の、あたしの頭の中は『どうして』でいっぱいだ。
治癒師としての活動を始めたおかげで、周囲からの扱いは良くなったと思う。
ちょっと前までは『英雄』の娘だからとちやほやしてくれていた人たちも、それが普通になってしまった。
英雄の娘はすごい。
英雄の娘は天才。
そんな風にもてはやしていたのは周囲のくせに、ちょっと時間が経ったらもう特別でも何でもなくなっちゃうだなんて……なんて、あっけないんだろう。
なんて薄情な人たちなんだろう!!
治癒師として活動を始めても、色々制限があって……治癒師を守るためだっていうから、あたしだけ強い力を示したって何にも得にはならないってわかってるから文句はない。
だけど代わりに聖女扱いされたり、そういう特別なこともない。
しかもまだ見習いってことで、お給金は最低限。
(つまんないの。お金だって思ってたより稼げないし……)
それでも男爵の娘という立場だから、最低限の生活費は国庫から出ているとかなんとかで暮らしは安定しているのも事実。
冒険者時代は、あり得なかったと思う。
割のいい仕事が入るなんてことは、そうあるもんじゃないしね……。
だけど、あたしが想像していたようなきらびやかな暮らしとはほど遠いのが現実だ。
(お父さんは喜んでるけどね)
あれだけ紙切れとか読むのは性に合わない、計算とか適当に食えればいいんだと言っていた頃が懐かしい。
最近のお父さんは勉強に熱心で、家庭教師の人が嬉しそうだ。
あたし?
あたしは優秀だから、最低限きちんとこなしていつだってオッケーをもらっているからこそ治癒師として行動しているんだけどね!
まあ、そこにはタルボットさんの口添えがあってこそっていうのが……ちょっとだけ、悔しいけど。
(あたしは、ヒロインなのに)
そう、ヒロインだ。
ヒロインなんだから……でも、ヒロインってなんだろう?
この世界が現実で、あたしはここに生きている。それはわかってる。
そしてあたしが知っている通りの展開があって、出てくる人たちのことも知っている。
なのに、少しずつ違う関係性だったり、彼らの感情だったり、あたしが知っているものとは違った。
それについてはあたし自身も本来のミュリエッタじゃないからそのくらいの誤差があったっていいと思っていたけど、そうじゃないのかも知れないって思い始めた。
ううん、違う。
本当は、もっと前から気づいていた。
あたしはヒロイン。
ヒロインだから、みんな失敗とかしたって好感度が低くても見捨てたりなんかしない……そう思っていた。
だけど、現実はどう?
王太子殿下はあたしに興味なんて欠片もない。
そりゃゲーム開始前だから、始まればまた何か変わるかもしれないけど……それに縋るには、あまりにも今がハードモードすぎる。
(それに)
この間、あのワガママ坊ちゃんが仕事で疲れてるあたしに難癖をつけてきた時。
あたしはあの男がユリアさんの姿を見つけて突進していくから、思わず庇ってしまった。まあ、そこは人として当然よね。
あたしだったら並の男……少なくともあのヒョロい坊ちゃんくらいなら一ひねりできるもの。
庇ったのは本当に無意識だったけど、ユリアさんのことだって嫌いじゃないしね。
まあ、アルダールさまと別れてほしいなとは思うけど……、でも庇ってからこれってちょっとした好感度あげイベントじゃないかなって思った。
ほら、ゲームでのアルダールさまルートのライバルキャラは本当だったらスカーレットだけど、違うみたいだし。
で、あたしは思ったの。
きっとこの現実でのライバルキャラはユリアさんなんだろうなって。
なら、ライバルキャラとの好感度イベントがあったっておかしくないでしょう?
(なのに、なんで? ゲーム開始時期でもないのに、なんで隣国の人があんなところにいるの?)
隣国の公爵だって名乗った、バルムンクって人。
あの人はアルダールさまルートで現れる敵キャラみたいので……アルダールさまに対して辛辣なことばっかり言う人だった。
そうやって心が疲れちゃったアルダールさまは、とどめと言わんばかりにクレドリタス夫人の話を聞いて『ミュリエッタ』と手を取り合うことになるのに……。
あの時、ユリアさんに話しかけていたバルムンク公爵は、まったくもってゲームとは別人じゃない!
朗らかで、親しげにユリアさんに話しかけて、アルダールさまによろしくって?
しかもその後、ライバルキャラになるはずのスカーレットが現れてあのお坊ちゃんに説教をしていった。
あたしには、あの時すべてが理解できなかった。
だって、スカーレットはワガママで、能力が低いのに自分はできる!って言い張って失敗ばっかりして、できるヒロインであるあたしを敵視してくるキャラだったはず。
それなのに、あの時見たスカーレットは凜として、堂々とあのお坊ちゃんに正しいことを言っていた。
難癖とか癇癪とかじゃない、言い方はちょっと上から目線だったけど……それでもあたしが聞いても正しいと思える意見を言っていた。
『あの方は、ご自分の役目をきちんと担い、全うなさっているの。身分がどうこうアナタは言うけれど、それすらできてない男があの方に偉そうになんかしないでくださる?』
そうやって、ユリアさんを慕っているってはっきり言ったスカーレット。
バルムンク公爵も言っていた。
『モンスターを前に我が母を庇い、守り抜き、傷を負った名誉ある侍女だ。そして決してその功を驕らずにいたと聞く。それだけで十分価値がある女だ』
そんな、まるでそんなのあの人の方が主人公みたいじゃない。
ただ、普通に仕事をしているだけで、地味で真面目なところが取り柄の人じゃないの?
(違う、そうじゃない)
そうじゃない。
これは、現実だ。
あたしは、ぐっと唇を噛みしめる。でないと、よくわからない叫び声を上げそうだった。
真面目に生きて、ちゃんと評価されている普通の人。
それがあたしから見たユリアさん。
これが、現実だ。
バルムンク公爵の言葉はまだよかった。
でも、追い打ちを掛けるみたいなスカーレットの言葉に、【ゲーム】なんて関係ないところで起きている生活の、当たり前の評価なんだとすとんと心に来てしまった。
あれはあたしに向けた言葉じゃないってわかってる。
(ヒロインなんて、関係ないんだ)
ううん、ヒロインはヒロインなんだろうけど。
でもそれは、ミュリエッタの人生におけるヒロインだってだけの話。
(じゃあ、あたしと何が違うの?)
あたしだってみんなの幸せを願って行動してきたし、ちゃんと真面目に暮らしてる。
ユリアさんと何も変わらないじゃない。
それなのに、どうしてあたしじゃだめなの?
どうしてあたしは評価されていないの?
どうして、どうして、どうして。
目を逸らしていた現実を理解してしまうと、どうしていいのかわからない。
(あたしは、ヒロインのはずなのに)
幸せが確定しているって、思っていたのに。
だからこそ、頑張れたのに。
そうじゃないんだとしたら、あたしはこれから何を目標にしたらいいの?
憧れていた、恋していたアルダールさまと現実に恋ができるって思ったのに!
今のままじゃ、誰にも祝福なんてしてもらえない。そんなの、いやだ!!
「ミュリエッタ? お前にお客さんが来ているよ」
「……はぁい、ちょっと待って」
ノックの音と共に、お父さんの声がした。
なんだか楽しそうだから、多分顔見知りなんだろう。
動きたくなかったけど、行かないわけにもいかない。
あたしはのろのろした動きで髪を手で整えて、客間に向かった。
「や、久しぶりだねミュリエッタちゃん!」
「……ハンスさま」
お客さんは、ハンスさんだった。
ああ、コレはチャンスかも知れない。
アルダールさまが何しているのか、知る術のないあたしにとって彼と同じ近衛騎士隊に所属するハンスさんなら。
あたしに好意を寄せてくれるハンスさんなら、きっとあたしの味方に違いない。
「お土産に城下で人気のお菓子を買ってきたよ」
「わあ、嬉しい! なんですか?」
「マシュマロだよ」
にこっと笑ったハンスさんに、あたしの笑顔は引きつらなかっただろうか。
マシュマロ。
狐狩りの日に食べた、嫌な思い出が蘇る。
「好きだって聞いたんだけど、ね?」
あたしの様子に気がついているのかいないのか、ハンスさんがにっこりと笑った。




