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治める領地は領主の意向に染まりやすい、とは言うものの。
ナシャンダ侯爵領地の直轄地は、まさに侯爵さまの望んだ様相なのだろうと思う。
まあ、流石に侯爵領の端の方になればまた変わってくるのだろうけれど、と思いつつ視線を巡らせれば甘い香りがそこかしこに漂っている。どこの家にも薔薇がある。
垣根が薔薇、店の意匠に薔薇、売り物に薔薇の刻印、飲食店に入ればカトラリーが薔薇模様。
いや、うるさいほどじゃないの。そっと、さりげなくってのがすごく素敵なんだよね。私も欲しいなあこのティースプーンの柄にある薔薇模様とかすごい素敵だよ。これお客様来た時に出したらすごくいいんじゃないのかな。
うーん、カトラリーは買う予定はなかったんだけど、これは食器類もチェックするべきか。
脳内であれこれまとめて見るけど、うーん人手が足りないかもしれない。
食品はやっぱりメッタボンを頼りにしたいし……女性観点でレジーナさんに同行してもらうとして。
そうするとそっちは忙しいだろうから他の人の手を借りないとなあ。
どこか工房とか紹介してもらうか。
そしてようやくわかったことだけど、どうやら侯爵領はとても薔薇を育てるのに適した土地らしい。そこは私も知らなかった。ただ侯爵さまが薔薇を好んでおられるだけなのだとばかり……代々薔薇がお好きで品種改良に余念がないというところまでは知っていたけど、侯爵さまが薔薇を特産品として売り出したがっているとは聞いていたけど。
売り出したがったのがつい最近だから、薔薇の栽培やらを広めたのもつい最近なのかと思いきやこの規模は驚くべきものだと思わずにいられない。
やはり私は世間知らずなのですね……。
しみじみ実感しました。
「さてそれではいくつかお店に入って実食していこうかしら。リジル商会とかに問い合わせればきっと届けてくれるとは思うけれど、こういうのは食べてみないとね!」
「楽しそうですなあ……」
今日の私は一応オフなので針子のお婆ちゃんが作ってくれたワンピースにアルダール・サウルさまがくださった髪飾りをつけてみました。うん、ちょっと観光地に来て頑張ってオシャレしちゃった感があるんですが気にしない!!
ワンピースの方は青地のシフォン生地でできたAラインのロングワンピースです。
髪飾りも青い石飾りのバレッタでしたので、合うかなと思って……王宮で使うとアルダール・サウルさまが身に着けるものを贈ったと噂になりそうでしたので(大体そういう話題になるというのは恋愛話になりますし、女性はいくつになってもこういう話題が好きな方が多いのです)なかなか使うことができませんでしたが貰ったからには使わねば勿体ないですからね!!
しかしシックな中にも小さな花とかで可愛さを持つとか、うん、大人が着ける可愛さと言いますか。
こういうのが贈れるというアルダール・サウルさまはやはり女性慣れしていらっしゃるんでしょうね。ぱっとああいう場所で選ぶことができるとか。
まあそれらは置いておくとして。
当初の目的としては蜂蜜です。あとローズウォーターとローズオイルです。
おそらくそれなりの量を使うものですし、またこの領地の特産品となれば粗悪品をお膝元で売るような真似もしないでしょう。その分お値段はそれなりと思いますが……まあ、財務官を納得させる理由を考えるための市場調査です。あと私の財布事情で化粧水作りの為に取り寄せるかどうか考えるためにも!!
え? 自分の為なのが大きくないかですって?
いえいえ、蜂蜜が一番です。
ええ、ええ、プリメラさまに喜んでいただける薔薇ジャムを作りたいですからね!!
美味しいスコーンに美味しいジャム、そしてケーキと紅茶があればきっとティータイムが待ち遠しくなること請け合いです。そういう時間を大切な方にご用意するのが侍女の務めです。
ああでもクラッカーのようなのを焼いてジャムを塗るのもいいし、パウンドケーキなどに入れてもいいかもしれません。勿論紅茶の中に入れてもいいですし……夢が広がりますね!!
とは思ったものの、薔薇の生花は売っていますし蜂蜜もありました。でもジャムはありません。
まあ手作りしようとはもともと思っていたのですが、あれば特産品のひとつになるのではないのかしら。
お店で頼んだ薔薇の紅茶はとても美味しかったです。こういうのはあるのですね。まあ前世でも薔薇のフレーバーティーは人気でしたし、種類も豊富だったからあると踏んでいたんですよ。しかし種類はそうないようです。残念……とはいえこれだけでも相当美味しいです。ちょっとお高めだけれど普段使いに買えない値段ではないし、これは定期的に王女宮に届けてもらうリストに入れておきましょう。
脳内メモをまとめつつ、スコーンに添えられたアプリコットジャムと蜂蜜を堪能いたしました。うまぁ。
このお店のスコーン美味しいですね、と感想を口に出そうとしたら厳ついおっさん……ではなかったメッタボンが難しい顔をして「ううん……そうか、なるほどな! これなら……」なんてブツブツ言っていました。
レジーナさんは気にせずスコーンを蜂蜜たっぷりかけて召し上がってました。
「ユリアさま。私はこちらのミナス村産の薔薇蜂蜜が美味しいと思いました。淡い香りがするのが好きです!」
「それを言うならチェンナ村の蜂蜜は甘みも色も薔薇が強く出ててそのまま使うのに適してるだろ。そっちのは紅茶に溶かすと香りが広がっていいとは思うが」
「ええーそうかしら、私はこの蜂蜜が好きよ?」
「しかしひとつの飲食店だけで複数の蜂蜜を取り扱っているとは思いませんでしたね……これは嬉しい誤算です。一体いくつの村が蜂蜜を扱っているのか調べるのが先かもしれません。メッタボン、今日はこのまま街を散策しますが小さめの瓶で幾つか購入していこうと思うのだけれどどう思う?」
「いいと思う。食い歩きするにゃぁちっと腹が重くなるしなあ。買ってもどれも損はないうまさだと思うから色んなものに使えるんじゃないかと思いますよ?」
メッタボンの言葉に私も頷いて会計の紙を手に取ると、慌てたようにレジーナさんがそれを奪い去った。
あらいやだ、ここのお代くらい私払えるわよ? と思ったけれどそういえば今いる中で私が一番身分があるんでしたね。身分あるものが支払いするんでいいじゃない、というのは現代っ子の考えなんでしょう。レジーナさんからすれば上司と同レベルの人にお支払いなんぞさせられませんという立場らしい。
こういうのが何とも面倒な身分社会です。
まあその分、私はほかのことで報いていくのが良いのでしょうと割り切って「ではここはお願いしますね、レジーナさん」と言っておきました。
しかしスコーンと紅茶を頼んで一軒目からお腹がいっぱいですね。
うーん、薔薇と言えばあとは何でしょうね。
今回街に視察に来たのは“一般の人は一体どの程度の薔薇グッズを使っているのか”を知ることによって値段を知りたかったのですが……それを元に侯爵さまとお話をして、計画を練りたかったんですが。
蜂蜜はとりあえず数種類存在することはわかっているのでそれも聞いてもいいかもしれません。
と言っても何も知らずにご相談しては侯爵さまが気を利かせて全部揃えてくださるかもしれないということが危惧されるので、ある程度は知っておきたい……。ジェンダ商会の会頭曰く、大層気前の良い方だということですので。
いくらプリメラさまにとって義理のおじい様という立場の方であろうと、たかが侍女が良くしていただくことはまた別問題。
そこの所はしっかりと線引きが必要ですからね!!
ふふふ……私もただ翻弄されているだけじゃないんですよ。
さて、レジーナさんが会計を済ませてメッタボンが蜂蜜を持つ姿、うん。まるでご夫婦のようですね。
思わずそうつぶやいてしまうと、途端に2人が一斉に顔を真っ赤に染め上げました。
君ら2人して初心だったのか。新しい発見でした。