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ニコラスさんにミュリエッタさんのことを押し付け、もとい、お願いしてから数日後。
私は、ちょっとだけ困惑しております。
「……」
「ええと、あの。アルダール?」
任務があるらしく忙しくて最近時間が合わなかった恋人が、休憩時間の私のところにやってきたかと思うとぎゅうぎゅう抱き着いてきて身動きが取れないのです。
いやもうこれ抱擁っていうか、抱き枕にされているっていうか。
最初こそ唐突な抱擁に盛大に照れたものの、様子があまりにもおかしいので気持ちもすっかり落ち着いてしまいました。
「どうかしたんですか……?」
「ごめん」
「え?」
「急に来た上にこんなことをしたから、びっくりしたろう?」
「それは、まあ……そう、ですけど」
休憩時間だったから、まあいいかなと思ってしまう私はアルダールに甘いんでしょうね。普段甘やかしてくれる人にだからこそ、だと思いますけど。
ちょうど私室にいる時で良かったです。これが執務室だったらと思うと……いつ人が来るかわからないじゃないですか!
「ハンスからこの間の話を聞いた」
「え? ああ……近衛騎士さまに護衛されて買い物に行くなんて滅多にないことでしたけれどね!」
「ごめん」
「……どうしてアルダールが謝るんですか?」
ようやく抱き着く力が弱くなったので少し距離ができた私がアルダールを見上げれば、彼はばつが悪そうな顔をしています。
その理由がわからなくて首をかしげると、大きなため息を吐き出したアルダールが私の額にキスを落として、小さく疲れたような笑みを浮かべました。
「実は、ユリアに色々迷惑がかかっているのが気になっていてそういうものから君を遠ざけようと親父殿に言っておいたんだ」
「え?」
「だけど、さらに上層部からの指示で君が囮みたいなように使われて……それに反対しようにも私は任務を言い渡されて出ていたものだから、知ったのは全部終わってからになった」
「まあ!」
最近忙しくて休みが合わないなあと思ったらそういうことでしたか。
近衛騎士が遠方に出るだなんて珍しいとは思っていましたが……わざわざ私を囮に使うためだけに、えらい大掛かりですね。いや待て、でも私の護衛をしてくれたのも近衛騎士で、ということはこの件には国王陛下が絡んでいる……?
「その辺りのことは私も正直詳しくは教えてもらえていないからわかっていないんだ。親父殿には文句を言いたいところだが、今はあちらも忙しいらしく私も会えていない」
「……遠ざける、というのは?」
「……私に直接文句を言ったり行動を起こせない連中がユリアにちょっかいをかけてくるのが鬱陶しいから、直接こちらに来るよう誘導してくれと、お願いしておいたんだ」
「それって」
有り体に言うとミュリエッタさんとかでしょうか。
それともエイリップ・カリアンさま? いやでもエイリップ・カリアンさまに関してはアルダールに勝手な劣等感を抱いていますが、もしアルダールとお付き合いしていなくてもメレク関係で結局、面倒な絡まれ方をするような気がしますが……。
それ以外だと変な投書とか? 早く別れろとか今でも時々来ますからね。
見つけ次第燃やしてますけど。最近はもう何も感じませんね!
「そんなことをしていたなんて知ったらユリアはまた過保護だのなんだの言うだろう? だからきみに言いたくなかったんだけど……」
「本当にもう、アルダールったら」
「だけど、侍女だからと低く見るような連中は私になにか言ったり行動するより、きみに向かって何かをするかもしれないと思うと、ね。私にできることをしたかったんだ」
「いいえ、別に不快には思っていませんよ。確かに過保護だなあとは思いますけど!」
「やっぱり」
私が笑ってそう言えば、アルダールも困ったように笑ってくれました。
それでもすぐに表情を引き締めて、私をもう一度抱きしめました。
「過保護だと言ってくれてもいい。ユリアに何かあってからじゃ困るんだ」
「……でも、私も王女宮にいることがほとんどですから。頼りになる執事さんとかもいますしね」
「ごめん。……もうしばらく任務が入れられていて。ハンスに聞いたらそれはもう細かくユリアと予定がずれるように仕組まれているらしくて……隊長は絶対にユリアに迷惑がかからないように気を付けるとは言ってくれてるんだけど」
どうやら、まだもう暫く私は『囮』にされる可能性があるってことですね、それ。
アルダールが苦情を言ったりできないように遠ざけるあたり、かなり手段を選んでいないっていうか、アルダールったら上層部にどう思われてるのかしら。
「アルダールが出ている任務って?」
「……モンスター退治」
「えっ」
「ちょっと厄介なモンスターが出て、援軍として近衛隊も出動していて……そこに組み込まれてるんだ」
アルダール程の実力者ならそれは当然と言えば当然なのですが。
本当なら必要ないのに向かわせた、なんてことがないといいんですけど。
私に告白してくれた時も任務があればそれを優先すると言っていたし、私もそれでいいと言いましたし、今もそれでいいと思っているのでそこはどうこう言うつもりはありません。
モンスターをアルダールが退治すれば民間人は助かる、それは騎士として当然のことなのでしょうし……。
「きちんと、ユリアには話しておきたくて」
「……そうだったの、ありがとう」
「何があるか教えてもらえていないから、気をつけてほしい」
「ええ」
はー、と大きくため息を吐くアルダールの顔は抱きしめられているせいで見えませんが、きっと色々複雑なのでしょうね。
私もちょっと複雑ですし……まったく、外野があれこれ私たちをいいように使いすぎじゃないですか? 確かに公僕ですけど、お給料の外だと思いますよこれは!!
「……本当はもっと一緒に居たいんだけどなあ」
「アルダールったら」
「キスしてもいい?」
「……どうしてそういうことを真顔で聞くの」
「聞かないでしたら嫌われるかもしれないだろう?」
くすくす笑うアルダールは、絶対にそんな風に思ってなんかいない!
でも答えを待っている、というかどこか心配そうなのは、今回の件で私がどう思っているか、なんでしょうね。
だからといって私のために、知られないようにって過保護なことをしていた件については思うところがないわけではありませんが別に腹を立てるということでもないし……。
「そうですねえ、嫌いにはなりませんけど」
「けど?」
「でも私のためだと言いながら、勝手に一人で決めて行動したことについてはペナルティが必要よね?」
「え」
「キスは、任務を全部終えてから。……なんてどうかしら」
なんてちょっと気取って言ってみましたが、アルダールが目を丸くしていることに思わず恥ずかしくなってきました。
いや、だって……キスしていいよとか言えないし……かといって自分からっていうのもなんだし……。
「それは、冗談だけど。私はアルダールと恋人だし、私だってちゃんとした大人だから対応だってできるわ。侍女だからって下に見られることもあるけれど、貴方の恋人はただ守られるだけの女じゃないってところを見せてあげる」
「知ってる。そういう君だから好きになったんだしね」
「な、何言って……」
「本当のことだろう?」
くすくす笑いながらアルダールは私の額にもう一度キスを落として、身を離しました。
それはもう、甘ったるい笑顔でね!
「もう行かないと」
「……気を付けて」
「戻った時には、ユリアからしてもらえるんだろう?」
「は!?」
「楽しみにしてる」
「ちょ、ちょっとアルダール!?」
笑いながら退出していったアルダールに、私は茫然とするしかありません。
そんな! 約束! してないからな!!




