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「プリメラさまの母君は、ユリア嬢も知っている通り、私にとって義理の娘だ。友人であるロベルトの、一人娘……王城での彼女はとても儚く笑うようになってしまったけれど、元はとても元気の良い子だったんだよ」
「え……?」
懐かしむように目を細められた侯爵さまの言葉に、私は目を丸くしました。
確かに時折おちゃめなところを見せてくれたご側室さまですが、元気の良い……というイメージではありませんでした。
花のように美しくて、儚げで、いつもどこか寂し気で。
私と知り合ってからは楽しいと言ってくれたあの優しい笑顔は、私が憧れる大人の女性です。
「元々は市井の出自で実家は商店。初めの頃は看板娘として町の人々にも可愛がられていたと聞くよ」
侯爵さまは薔薇の品評会などでジェンダ商会の会頭と知り合い、意気投合したものの商店まで足を運んだことはないそうです。
まあ、ご身分を考えれば当然と言えば当然ですが。
当時会頭からは商会を営んでいることと、娘が一人いることは耳にしていたそうです。
「いやあ、当時から私は経営とかそういうことには興味が持てなくてね……恥ずかしながら商人たちとのやり取りはすべて家人任せだったし社交界も最低限しかこなさないから、彼が何者なのかよくわかっていなかったんだよ!」
照れくさそうに笑うロマンスグレー、可愛いんですけれども。
いやいや!? 確かに私もタルボット商会の件があって初めてジェンダ商会が凄腕金融業を営んでいたっていう事実を知ったクチなのでえらそうなことは言えないですけれども、侯爵さまかなりマイペースさんですね……!?
なんでも薔薇の品評会にご側室さまも会頭さんと一緒にやってくることもあって、友人の娘さんと薔薇好きの身なりが良い人、みたいな関係だったそうです。
「気さくで明るく、利発。今のプリメラさまとよく似ておられるよ……私が初めて会った時にはもう少し大きかったかな。もう少し、落ち着きがなかったかもしれないね」
「そう、だったんですか……もしよろしければそのお話をぜひ、プリメラさまに……」
「……そうだね。だけれど、……私の口からで良いのかと思い悩むこともあってね……」
少しだけ困った顔。
それは、恐らくジェンダ会頭への遠慮なのでしょう。
プリメラさまとご側室さまがよく似ておられることは、国王陛下もたびたび口にしておられるとは私も伺っています。
それに、ご側室さまを知る方々がプリメラさまにそう仰っているところも何度か目撃しております。
私も、お二人はお姿がよく似ていると、思います。
けれど、プリメラさまが聞きたいのは、ただ容姿だけが似ているのかではない……実の母親との、繋がりのようなものを求めていらっしゃるのではないかと思うのです。
勿論、私に向けてくれているプリメラさまのお気持ちを疑うわけではありません。
「どうか、お願いいたします。あの方がどれほどに愛されていた方なのかをお伝えいただきたいのです」
「……愛されていた、か」
私の言葉にふっと侯爵さまが笑みを見せ、焼き菓子を手に取って、私に見せるようにしてから口になさいました。
なんだろうと、はぐらかされたのだろうかと思いましたが、どうやら違ったようです。
「養女にしてから王城に送り出すまで、彼女はこの館で過ごした。淑女教育の合間に、こうやってね、向かい合ってお茶も良くしたものさ。この焼き菓子は、彼女が好きだった」
「……」
「快活で走り回ることが好きで、楽しいことがあれば声を上げて笑う。そんな子だった。淑女教育でそれは許されないことの方が多いだろう? それでも、彼女は陛下のお傍にいたいのだと頑張った」
国王陛下はお忍びで薔薇の品評会を覗き、ご側室さまと出会い……ジェンダ商会の看板娘と知って時折会いに行き、愛を育まれたのだそうです。
そしてどうしても妻に迎えたいと願う国王陛下の望みと、最愛の娘の願いを叶えるために侯爵さまと会頭は決断をなさった。
「それで良かったと、思う。思うが……彼女にとって、孤独との戦いでもあったのかなと思うとね」
「侯爵さま……」
「私はユリア嬢のことを個人的に気に入っているし、もし私の養女になってくれるならば彼女にとっても義理の妹だ。彼女の名前を呼ぶこともできるし、義理とは言えプリメラさまにとっての叔母という立場もできる」
「……」
「まあ、そんなものがなくてもこうやってお茶を飲んで話し相手をしてくれる相手であってくれたら嬉しいと思うけれどね!」
「それは……はい、喜んで」
私が頷けずにいても、侯爵さまはいやな顔など一つも見せず、今のままでもいいのだと仰っていただけるのが嬉しい。
姉と慕うご側室さまと、義理とはいえ本当に妹になれるのは嬉しい。
……だけど、私はまだ自分の家族と向き合ったばかりでそれは不義理にならないのかしら。
私が『ファンディッド子爵令嬢』のままではアルダールに迷惑がかかるのでしょうか。
そんなことを思うと胸のうちがずぅんと重くなってしまうのです。
「勿論、それによるやっかみはどうしても生じる。そこの行き先がファンディッド子爵家に向かうこともあるだろう。そういう意味ではユリア嬢の父君は不向きだろうからねえ」
「……」
お父さまの弱腰がナシャンダ侯爵領まで届いている……!?
それはそれでショックだ!
いや私の養女関係のでその家について調べたりするのは当然だし、もう色々筒抜けなんだろうなってわかっちゃいるんだけども。わかっちゃいるんだけども!!
「とまあ、ここまではよそでの話に加えて、私の考えを伝えたわけだけども」
「は、はい」
「まああまり話すと彼にも申し訳ないからね。とはいえユリア嬢にとってフェアでもない」
「はい……?」
彼、というのは多分話の流れ的にはアルダールのことだと思うけれど。
急に話題が飛んだような気がして、私は目を瞬かせるしかできずにいる。
「まあはぐらかしたような物言いになってしまうけれどね。ユリア嬢とナシャンダ侯爵である私、それが結びついて物事が丸く収まるなら……別に養子縁組だけが方法ではないだろうとね」
「え?」
「ユリア・フォン・ファンディッド子爵令嬢は、ナシャンダ侯爵のビジネスパートナーでもある……それを表に出さないのはひとえに王女殿下への忠義のためである、とすればそれで十分だろうというのが彼の意見だ」
つまり、私はプリメラさまのために、或いはプリメラさまの指示によりナシャンダ侯爵さまの特産品開発に協力した……ということにして、外に示すことによって繋がりを示せばそれだけで十分?
(確かに、家と家の繋がりよりもずっと薄いけれど、……領主たちにとっては取引に関係することを担える人材という印象付けはできるから、軽んじることはない……)
それどころか、そういった方面で色々な伝手を持つのではということで一目置かれるかもしれない。
(ああ、だめだ。いっぺんにそんな色々なことを言われても)
でもアルダールが侯爵さまに言ってくれたとするなら、それなら確かに私はファンディッド子爵令嬢のままでいられる。
事実はどうあれ、私が『経営的な面で』役立つと知れればファンディッド子爵領との取引で有利に働くこともあるかもしれない。事実はどうあれ。
(受けてしわ寄せがいく、それはキース・レッスさまがフォローしてくださるに違いない。受けなければそういった手合いが目を向けてくるかもしれない分、お父さまとメレクがそれを見抜けるか……それはどうしたら)
「そんなに難しく考えなくても良いと思うけれどねえ」
「顔に出ておりますか……?」
「うん。悩ませたかったわけじゃないんだけれどね。まあ仕方ないね、急な話だしきみにとっては青天の霹靂だったろうしね」
動揺が顔に出るようではいけません。
この後プリメラさまの前に戻る前には、元通り落ち着いておかねば心配をかけてしまいます。
侯爵さまは穏やかに笑ってらっしゃいますが、いやまあ本当に! どうしてこうなった!
「一度、きみも恋人とこのことについて話し合ってはどうかな。当事者はユリア嬢なのだから、彼が守ろうとするにもきみ自身がただ守られたいのかどうか……だろう?」




