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「……貴様、俺に口ごたえをするのか……!」
「エイリップ・カリアンさま。職務がございますので、私たちは失礼させていただきます。公務の妨げを騎士たる方がなさいませんよね?」
人が行き交う回廊で、レジーナさんが守ってくれるという安心感があるとはいえこれ以上彼に暴走されてはたまりません。
ファンディッド家で仕出かしたことを盾に黙らせるというのも考えましたが、逆上されそうですし我が家の中で起きた恥をさらす必要もないし!
下手にこんなところでその話題をしたら、妙な噂がたちそうですから口には致しません。
公務と言われれば、あちらも立場あるからでしょう。
エイリップ・カリアンさまは眉間にぐっと皺を寄せて、私を睨みつけましたがそれ以上何かを言おうとはしませんでした。
さすがにここで私に噛みついてくるほど愚かではなかったようです。まあ前回我が家でやらかしたあれは泥酔した結果ですからね、酒がなければそのくらいは配慮できるのでしょう。
(眉間の皺にコインが何枚挟まるのかしらね?)
とりあえずどうでもいいことが頭に浮かびましたが、この方も若いのに今の内からそんな眉間の皺をくっきりさせるだなんて険しい顔になってしまいます。
いやまあ、もう手遅れか? 手遅れだな、あれは。
「それでは失礼いたします」
綺麗にお辞儀を決めてみせれば、隣でメイナが慌てたように私の真似をする。
レジーナさんはまだ私を庇うようにしてエイリップ・カリアンさまを睨みつけているけれど、彼女がいる以上私に向かってこれ以上何か手出しをしようとはしてこないだろう、と思う。
私としても、これ以上ここで見世物になりたいわけじゃないし。
いやあもう、騎士隊の人が侍女捕まえて回廊で言い争いをしてたって絶対今日噂になって、誰がとかそういうのじゃなくてもう尾ひれがついて回るんですよ……こういうのって。
こういう場合、当事者は堂々としていれば良いのですが……私が堂々としていてもエイリップ・カリアンさまが下手を打つという可能性が否めないっていうか高いっていうかそこんとこどうしたら良いのでしょう。
(いえ、レジーナさん経由で城内警備の隊長さんに今日のことをお伝えいただくのが妥当ですね)
ゆっくりと、頭を上げる。
まだ、彼は私のことを睨んでいました。
むしろ、眉間の皺が増えているような気がします。
「貴様っ……!」
大声ではないけれど、怒気を孕んだその声の鋭さに私は内心びくっとしましたね!
でもメイナもいるし、この場には大勢の人がいるのです。みっともない姿は見せられないので、微動だにしてやりませんでしたけどね!
眉一つ動かしてやるもんかって、まあ半分以上意地もあったんですが……。
レジーナさんに守られているから余裕があるというのもありますが、半分くらいは個人の意地で、残り半分は王女宮筆頭としてみっともない姿を衆目に晒すなどとんでもないというところですね。
私がここでビビったりしたら『その程度』っていう印象を誰かが持つかもしれません。
そうなればひいてはお仕えするプリメラさまにご迷惑がかからないとは言い切れないのが王城というところ。
(あんなビビりがお仕えしてるだなんて、プリメラさまがお可哀想……だなんて噂がたってみなさいよ! 憤死ものですよ!!)
だからここは意地でも澄まし顔で、場を収めてみせなければなりません。
けれどエイリップ・カリアンさまはおそらく格下に見ている私がいうことを聞かず、むしろ周囲の視線も私の味方となって面白くないのだと思います。
そりゃ王女宮筆頭という立場で長く王城に勤めている私と、最近騎士になって王城警護を務めるようになった新人騎士では周囲の視線も違うだろうっていうツッコミは彼には通じないのです。
(だからってどうすりゃいいんだろう)
へりくだった態度でとりあえず満足させる。だめ。アウト。
私のプライドが許さないとかじゃない。
この場は丸く収まっても、立場上それが許されない。
無視してこの場を去る?
もっと逆上しそうだ。
メイナを走らせて騎士隊の人を呼んでくる。
……これが一番穏便かもしれない。ただ、騒ぎにはなるなあ。
(いえ、すでに小さな騒ぎにはなっているのですし……この場をレジーナさんと私で繋いでおけば)
後程騒ぎになったことについて、統括侍女さまから事情を聞かれた上で注意を受けるかもしれませんが、これが一番な気がしてきました。
「メイナ」
小声で私の横にいるメイナを呼べば、おっかなびっくりした顔をした彼女は私の方を見て、それからすぐにきりっとした表情を見せました。
おお、どうやら意図を汲んでくれたようです!!
「騎士隊ですか、セバスチャンさんですか。それともバウムさまですか!」
小声で聞き返してきたメイナがこれほど頼もしく見える日が来るとは……ってどうしてそこで選択肢にアルダールが入ってるんですかね!?
まあメッタボンがなかっただけ良い気がしますが。
「騎士隊です。いけますね?」
「はい!」
「レジーナさん、これ以上の騒ぎは避けたいと思います。誰にとっても得ではありませんし」
「承知しております」
「ぼそぼそとなにを喋っている!」
だんっと足を踏み鳴らすエイリップ・カリアンさまはまさに駄々っ子ですね!
いやあ騒ぎを避けたいって言った手前あれですが、もうすでにあの人の挙動で十分回廊がざわついているので私としては巻き込まないでいただきたいなあって心底思ってしまいます。
とはいえ、ここで対処をきちんとしておかないと今後もまとわりつか……じゃなかった、会いに来られても正直迷惑……でもなくて。
ああうん、正直面倒なんでこれっきりでお願いします!!
「いえ、エイリップ・カリアンさまは私に用事があるのでしょう。……少しでしたらお時間を取りますのでどうぞこちらへ。ですが立場上、護衛騎士殿が同席いたします」
「……何様だと……!」
「私は確かに王城に仕える侍女でございますが、王女宮筆頭として、また専属侍女として王女殿下にお仕えする者にございます」
問われれば答えるのはそれだ。
私にとって、誇りでもあるそれを見下したようにされるのは腹が立つ。
(どうせこの人、王城勤めとはいえたかが侍女……とか思ってるんでしょ、わかってんだからね!!)
「……!!」
ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえてきそうな、鬼の形相をしたエイリップ・カリアンさまが睨んできますが私も睨み返します。
ええ、そんな顔怖くありませんよ。脳筋公子の顔の方が怖かったですからね!
……そんな耐性、欲しくないな?
思わず遠い目をしてしまいそうになりましたが、そこはぐっと堪えたところでエイリップ・カリアンさまの向こう側から声が聞こえました。
「ユリアさま! どうかなさったんですか!?」
朗らかで、まるで小鳥が歌うようなその声の主は私の姿を見て駆け寄ってきます。
淑女らしからぬその所作に、周りの人が若干ぎょっとした表情を浮かべていますが私の方は正直驚きすぎて表情筋がピクリともしませんでした。
だって。
だってですよ。
その心配そうに声を発して駆け寄ってくるのは、なんとミュリエッタさんだったのです……!!
(えっ、なんで彼女が)
いやむしろ王城になんでいるのかなとか、彼女の後ろから悠然とついてくる、ちょっと身なりの良い商人はまさか、とか色々と嫌な予感しかいたしません。
エイリップ・カリアンさまだけでも面倒だというのに、なぜここにきてこんなことになった。
どうして、こうなった!?




