296 その頃お若い二人は仲睦まじくて
「姉上と、楽しくお話しできたのかい?」
「はい、とても! お時間を作ってくださってありがとうございました、メレクさま」
「いや……姉上は忙しい方だから、確かにこんな時でもないと落ち着いて話せないだろうからね。未来の姉妹仲が良いのは、僕にとってもありがたいことだし」
輝くような笑顔で答えるオルタンスに、メレクが目を逸らす。
とはいっても狭い馬車の中での話だ、揺れの少ない舗装された道を行くおかげでこうしてのんびり言葉も交わす余裕もある。
ユリアの言葉を受けて未来の領主夫妻は仲良く領内……といっても近場だったけれど、それを見学してその帰り道での出来事だ。
「私、もう家族のことで間違いをしないようにしようと思っております」
「……間違い?」
「はい。メレクさまにも以前お話ししたかと思いますが、私と兄は年齢が離れていることもあって、初めすれ違いが多かったのですわ。その上、私が凡庸であるばかりに優秀な兄に少しでも追いつかねばとするあまりに感情を拗らせてしまったのが大きな原因でしたの」
「……認めてしまって、自分への向き不向きですとか、周囲の目ですとか、そういうものに対して認識を改めたらこんなにも……世の中は、ズルかったり、冷たいばっかりだったわけじゃないのだと、気づいたのですわ」
ふっとその頃のことを思い出しているのか、難しい顔をして見せたオルタンスにメレクは目を瞬かせる。
互いに兄姉がいる立場であっても、彼らはそれぞれに立場が違う。
片や貧乏子爵家の跡取りであり、片や名門伯爵家のご令嬢である。
それでも肩書を持つ者と、持たざる者だ。
オルタンスが望めば、王太子妃候補に名を連ねることも可能だったかもしれない程度には名家とはいえ、彼女は自分をよく知っている。
兄のような才覚はなく、この国で思われる“美女”の条件を満たさず、けれど他に秀でたものがあるわけでもない彼女は『王子さまが現れる』といった少女が見る夢は早々に諦めたのだ。
家柄で押し通す、それができないわけではないがそこに頼るのは彼女のちっぽけな矜持が許さなかったし、きっとそんな風にしたところで上手くいくはずがないというのがオルタンスの持論である。
そんなことを彼女本人からすでに聞いているメレクは驚きこそしないものの、色々あったんだなあとオルタンスを大切にする気持ちを強めるだけだ。
今も少し難しい顔をしたままの彼女は、メレクからすれば十分可愛らしい人なのだから。
金の髪がなくても、折れてしまいそうな細い身体でなくても。
ヘーゼル色の瞳を好奇心できらきらさせて、表情をコロコロ変えて、一生懸命なその姿がメレクには眩しい。
「どんなお仕事にも、誰かが関わっていて、そこは利害関係や敵対関係だけではないのだっていう本当に、当たり前すぎて当たり前のことを、ユリアお義姉さまは教えてくださいました。ですから、そのことについてお礼を申し上げられたこと、とても嬉しかったですわ」
「オルタンス……」
「もっと幼い頃、先程お義姉さまにも正直に気持ちを申し上げたように、兄に私が寂しいと思っている気持ちなどを伝えることができていたら、きっと……もっと早く私たちは仲良し兄妹になれていたと思うと、悔しいんですわ」
ふふっと笑ったオルタンスが、メレクの手をぎゅっと握る。
唐突なその行動に、思わずメレクが頬を染めたがオルタンスも赤らめた頬のまま、満面の笑みを浮かべた。
「だから、私、後悔しないために『家族』に対して遠慮はいたしませんわ! ちゃんと向き合っていきたいですもの。ね、メレクさま?」
「あ、ああ……うん。そうだね、……僕もそう思うよ」
素直に、感じたことを認めて受け入れ、そして反省し向き合って行動に起こしたオルタンス。その彼女の行動が、今までぎすぎすした空気だった兄との関係を修復して今に至ったのだがそれはまた別の話だ。
メレクからすれば家族に対して遠慮しない、それがつい最近になってようやく……それも自分がきっかけのようでそうでなかっただけに耳の痛い話で、苦笑しか出てこない。
その上でオルタンスの行動力に、尊敬を抱くのだ。
(……僕も、しっかりしないとなあ)
父とは違った意味で、妻に負けっぱなしになりそうだとふと思う。
勿論そこは口に出さないし、態度にも出していけないことは聡明な彼は知っている。
両親を見ていればおのずとわかるものなのかもしれないが、そこはそれであるし、優秀な兄姉を持つプレッシャーは彼もよく知っている。
まずメレクを見るよりも先に、『あの鉄壁侍女の弟』という評価が付いて回るのはもうあきらめた。
最初の頃はメレクにも反発心もあったものであるが、その言いようが女性蔑視を含んでいたりやっかみであったり、逆に尊敬の念だったりと色々複雑だと気づいてからは姉も苦労しているんだな、と思うことも増えた。
その分メレクは自分が何も言われない可もなく不可もない人間だと自覚して、そこから抜け出したくて足掻き始めたのでもあるのだけれど。
(オルタンスも、僕も、同じなんだなあ)
憧れて手を伸ばして、追いつけなくて、それでも大事で大好きな『家族』なのだ。
メレクもまた義兄となるキース・レッスを尊敬しているし、良い関係を築けるに越したことはない。
「そういえば、……オルタンスの父君の、前の奥方はどんな人なのかな。仲は悪くないって前に言っていただろう?」
「……今は王城でお勤めと耳にしております。セレッセ家の人間としては申し訳なく思うのですが……あちらさまはもう、気にしてくれるなと仰ってくださっているので」
「そうか、いやごめん。変なことを聞いてしまったね。もしオルタンスが親しくしていたら今回の婚儀に招待状をと思ったんだけど……そうだね、そんな複雑な事情なのだし、僕の考えが足りなかったよ」
「いえ。気にしていただけて、嬉しいですわ」
メレクとしてはただ、両親のいない彼女のために結婚式に招こうかという単純な考えだった。そして少しだけそれを恥じる。
「互いに支え合うパートナーとして、そして仲が良い夫婦になろう。領内のことは、これから苦労をかけるかもしれないけれど」
「改めて今日、メレクさまと近場とはいえ領内を回って私も微力を尽くしたいと思いました。やはりこの目で見て、感じることは大事でしたわ」
オルタンスが頷いて、メレクも掴まれていた手をやんわりと、手を繋ぐ形に直して二人は顔を見合わせて笑った。
「……勿論、今までご尽力なさったファンディッド夫妻にもアドバイスはいただくことも多いかと思いますが、私たちは私たちで、……領民のために何かできたらなと思います」
「うん、僕らは未熟で、きっと誰よりも凡庸だ」
「はい、それを忘れずに、その分互いに補い支え合えるよう、微力ながら頑張りますね!」
穏やかな空気の中、馬車はゆっくりとファンディッド家へと向けて走る。
それとは入れ違いに、見た目はシンプルでもしっかりとした造りの馬車が出ていくのを見掛けてメレクは首を傾げた。
「……どこの馬車だろう?」
「あれはリジル商会のマークではございませんでした?」
「そういえばそうだね、……呼んだ覚えはないけどなあ」
「兄がなにか買い付けたのかもしれませんわ」
何があったのか、誰が来ていたのかなど露知らぬ二人だが、戻ったところで聞かされたのはリジル商会の会頭が来ていたというびっくりニュースだった。
その上、夕餉は会頭が土産に置いて行ったという高級食材が並び、それが当主ではなくユリア個人あてなのだと聞かされて思わず二人揃って顔を見合せたとしても、誰も何も言わないのであった。




