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私に呼ばれたメレクは少し不思議そうな顔をしていましたが、オルタンス嬢を連れて領内を視察……という名のデートを喜んで引き受けてくれました。
キース・レッスさまもすぐに了解してくださり、馬車が出ていくのを私はテラスから見送ったわけですが。
なんだか色々あって落ち着かない気分はありますが、少なくとも弟の結婚は問題なく、嫁姑関係はちょっとわかりませんがオルタンス嬢ならきっとうまくやってくれるような気がします。
「お嬢さま、あの……」
「なにかあった?」
「はい、あの、お嬢さまにお客さまがおいでなのですけれど、いかがなさいますか?」
一息ついてぼんやりと庭を眺めていたら侍女がやってきてそういうものだから、私は首を傾げました。
だってここ、実家ですからね。
ほら、私の執務室で仕事をしているならなんとなくわかりますけれど、ここでお客さまが来るなんて誰でしょうか。
そんな私の考えなど知らないはずですが、侍女は下げていた頭を上げて、困惑しきった表情で言いました。
「リジル商会の会頭さまがお見えになって、ぜひお嬢さまにご挨拶をと……」
「は、……え? リジル商会の会頭?」
思いもよらない名前に私が思わずオウム返しに聞き返せば、侍女は大きくうなずきました。
リジル商会の会頭と言えば泣く子も黙る大手の会頭、貴族だって頭を下げちゃう大物だっていうのは知られている話ですが、なんとなく現実味がないのでしょう。
侍女はどんなリアクションを取っていいのかわからないという雰囲気で私の回答を待っているようでした。
「……すぐに行きます」
「かしこまりました。ただいまご主人さまの指示でサロンにてお迎えいたしております」
「わかりました」
サロンってことはお父さまとキース・レッスさまが応対してくださっているということね。
……このまま当主二人と会頭っていう組み合わせでお帰り頂いても私は別に困らないんだけどなあ。でも名指しでご挨拶って辺りにもう逃げられない感しかない。
身だしなみをチェックして、重い足取りでサロンに向かえば引き攣った笑みを浮かべるお父さまの姿とタヌキとキツネの化かしあい……じゃなかった、キース・レッスさまと会頭の姿がありました。
一斉に私の方に視線を向けるから後ろに一歩下がりそうになりましたが、そこはぐっと堪えてみせましたとも。
「おお、これは筆頭侍女さま! 突然お邪魔して申し訳ございません」
にこやかに立ち上がるリジル商会の会頭が私に向かってとてもフレンドリーに声を上げる中、キース・レッスさまはにこにこと、お父さまは明らかにほっとした顔を見せていました。
リジル商会の会頭ともなるとお父さまクラスの貴族とは直接面識がある方が珍しいくらいだと聞いたことがありますので、ちょっと緊張なさったのかもしれません。
以前、借金問題を起こした時にお父さまはリジル商会に足を運んで、融資を断られたこともありますのであまり良い思い出がないのも手伝っているのかも。
「お久しゅうございます、会頭もお元気そうで何よりです。本日はどのようなご用向きでこちらまで……?」
「いやはや、そのように大それたことは何一つ! 商談でこちらの方に足を向けておりましたところ、ユリアさまがご実家にお戻りであると耳にいたしましてね。これはご挨拶をせずに通るなどできないと思った次第でございますよ」
「まあ、それはご丁寧に痛み入ります」
にこにことあくまで商談の行きなのか帰りなのか知らないけれど、ご機嫌伺いで寄っただけだというリジル商会の会頭に私もにこやかに応じます。
ええ、言葉の通りに受け取るなんていたしませんよ。絶対何かありますよねって疑ってしまうのは私がひねくれた物の見方をしているのでしょうか。
「ファンディッド領は会頭の目から見ていかがでございましたか。何もない田舎ではございますが」
「いやいや、このように穏やかな土地は普段忙しく走り回る私からすれば心を穏やかにしてくれる懐かしき風景と申しましょうかな。昨年の麦の収穫はよろしかったようでなによりと思いますよ!」
「まあ、それはよろしゅうございました。会頭も相変わらずお忙しいようで、なによりですわ」
「ははは、まだまだ若い者には負けていられませんからなあ!」
笑顔だけ見ていると腹黒いおっさんだとは思えませんが、国一番の商会を束ねている人ですからね。
その腹の内で何を思っているかはわかりません。とりあえずは今の所、私に対しては『王女宮筆頭』という信頼があるので親しいスタンスをもっていてくださっているのでしょうが。
「また機会がございましたら王女宮の方に珍しき品などお持ちいただけたら王女殿下もお喜びになることかと」
「おお、また良き品が入りましたならばすぐにでも。……そういえば最近、城下町にてタルボット商会が店を構えたのをご存知ですかな?」
それか!
それなのか!
にっこりと人好きのする笑みを浮かべて唐突に振られた話題に私は何とも言えない気持ちになりましたが、顔に出さずに首を横に振りました。
「いいえ、そうなのですね。そういったことにはとんと疎くて」
「前回の失態の後、色々苦労があったようですが宝石を取り扱う店をオープンさせましてね、いやあうちもうかうかしていられないと思ったものですよ。ユリアさまも御入り用の際は是非またリジル商会をご利用ください。勉強させていただきますよ!」
「ええ、その時にはよろしくお願いいたします」
城下で先日、ミュリエッタさんが治癒魔法を使った際にタルボット商会の人間が近くにいたという情報がありました。
店を構えているならば、それも金銭の動きが大きい宝石関係ともなれば……そういえばシャグランの陰謀に加担した時も宝石の利権が云々って話じゃなかったかしら。
(いえ、そこはもう国の方でもマークしているでしょうから……私が気にすることじゃない)
どんな品があるのかは気になるところですが、利用はきっとしないでしょう。
なにがあるかわかったものじゃありませんからね、私は冒険はせずに石橋を叩いて渡るを地で行きたいと思います。
私の行動ひとつで他の方の迷惑になってしまう可能性を考えると、その方が良いのでしょう。
「かの英雄のご令嬢、あの方はタルボット商会で最近装飾品を揃えたという話ですからなあ。彼女のネームバリューでなかなかに人気を博しているとのことですよ」
「……そうなのですか、それも知りませんでした。ミュリエッタ嬢は優れた治癒能力の使い手でもあると聞きますし、これからはお茶会などに呼ばれることも増えるでしょうから必要なのでしょう」
そうですよね、と目線でキース・レッスさまに尋ねれば、にっこりと笑みが返されただけでした。
(まあ予想としては、ミュリエッタさんに融資とか宝石、ドレスの融通を利かせて囲い込んで彼女のネームバリューと治癒能力を餌に下級貴族たちを呼び込むってところかな)
戦略としてはありだと思います。
ええ、それ以上になにかを企んだりとかしていなければの話ですが。
あちらとて商人で前回危ない橋を渡って失敗しているのですから、これ以上面倒ごとは抱えないでしょう。
ミュリエッタさんが暴走しかかるのを上手く操縦してくださるならそれに越したことはありません。
(或る意味、丸く収まってくれれば私にとっても良いことだしね!)
けれど私の考えを裏切るように、リジル商会の会頭がにっこりと笑みを浮かべました。
ええ、目が笑っていないという怖い笑顔でした。
「どうぞ身辺にお気を付けください。最近はなにかと物騒ですからなあ!」




