292
引き攣って笑顔がみっともなくなる前に私は咳ばらいを一つ。
いやあ、キャパオーバー状態だと動揺してなかなか普段通りの行動がとれないものです。
(落ち着くのよ、そう、別に彼女に他意はないのだから)
ミュリエッタさんの言葉にも何度かオルタンス嬢の名前が出てきましたが、親しくなった雰囲気はありませんでした。
今も、オルタンス嬢からは友人関係になったというような空気は感じません。
寧ろ今はファンディッド子爵家に嫁いできた後の行動を考えて私に相談してきたのでしょう、それならば私もきちんと親身になって受け答えをしなければ!
「そうですね……ウィナー男爵令嬢については少々取り巻く環境が特殊なせいだと思いますが、オルタンスさまは学園で平民出身の生徒と親しくされる機会はございませんでしたか?」
「いいえ。彼らは特待生として矜持をもって臨んでおられる方も多く、友人関係よりも利害の方を優先する方も多くて……それに、このような言い方はよろしくないかもしれませんけれど、入学してすぐに彼らは派閥で囲い込みが行われる傾向にありますの」
「派閥ですか」
学生生活、前世に比べればハードだろうなってことは想像してましたが予想以上のようです。
まあグループごとに色々あったりだとかは勿論ありましたが、ここで述べられる派閥は文字通りの派閥、つまるところ卒業後の身の振り方に大きく影響を及ぼすということです。
で、あれば確かに簡単な話ではないでしょうし、そこから取りこぼされないようにも必死になるでしょうね……。
「私はそういう意味では派閥に属さず一人で過ごすことが多くて……あっ、別に学園のことが嫌いというわけではございませんのよ? 学ぶことは楽しいですから! それに他の貴族のご令嬢とは最低限の付き合いは欠かしておりませんし……!!」
ぼっちではないのよと必死で訴えるオルタンス嬢が可愛くてほんわかいたしましたが、どうやら派閥に属さずとも学生生活は送れるようですね。
そういう点ではディーン・デインさまのことが心配になりましたが、まああの方は軍閥の方で声がかかる可能性が高いんだろうなって思えば大丈夫なんでしょうか……。
(……今更、鍛錬が厳しくて目覚めるとかないわよね……?)
だってほら。
一応その傾向はないだろうって思ってますけどね? 思ってますけどね?
ドMの素養はあるわけでしょ……?
(いやいやあれは脳筋まっしぐらコースだったからであって、今は礼節と勉強も欠かさない、爽やか騎士コースだものね、大丈夫大丈夫)
プリメラさまっていう大きな影響があるからね!
天使の加護がありますように。
「オルタンスさまは、セレッセ領では領民と接する機会はどのようになさっておいででしたか?」
「私はほとんど言葉を交わすことはないのです。ほとんど代官と兄で終えてしまいますので……兄に聞いてみても、その、あの通りの人なので『なんとなく』と答えられてしまうと私にはどうして良いのかちょっと判断に困るのです……」
ああうん、キース・レッスさまは存在自体がチートですものね。
なるほど、ご自身がやっているコミュ力の高さをもってやっていることを説明するのは確かに難しいかもしれません。
話を聞いてちゃんと相手の目を見てお話すれば良いのだというような、そういう常識的な話題ではなくあくまで彼女が知りたいのは『領主の身内として領民にどう接するか』なので、ああいう人はあまり参考にならない気がします。
……領主としてのキース・レッスさまを存じ上げないので、なんとも言えませんが。
いえ、いつものあの調子で飄々としていらっしゃるような気がしてならなかったもので。
想像で一方的に決めつけてはいけないので、そこのところはお口チャックですけどね!
「でしたらば、領民との接し方は現在のファンディッド夫人に倣うのがよろしいかと思います。質問をすればきっと答えてくださいますよ」
「今の内からそのように不躾なことをお伺いしても、ファンディッド夫人はお気を悪くなされないでしょうか……」
「むしろ領民と打ち解けようとするそのお考え、きっと喜ぶと思います。私は残念ながら城勤めの方が長く、領民との接し方ということに対してお答えできることが少ないのです」
「そうなのですね」
少しばかりしゅんとしたオルタンス嬢に、私は言葉を続けた。
そう、私からファンディッド領について語ることって実は少ないのでこれ以上色々聞かれても答えられないのが現実なのです。
幻滅される前になんとかしないと将来の義姉という立場がガラガラと音を立てて崩れていってしまう……それはなんとしてでも避けたい。
私にだって見栄ってもんがありますからね!!
「もしオルタンスさまがおいやでなければなのですけれど」
「え?」
「メレクはすでに次期領主として、領内のあちこちを巡り学んでいる最中です。当然、次期領主として領内の町や村で領民と言葉を交わす機会もありましょう」
オルタンス嬢が、目を瞬かせていて可愛らしい。
けれどその様子から察するに、私の意図がいま一つ、伝わっていないようです。
「勿論、伯爵さまのご許可を得てですけれど……護衛の者を連れ、メレクと共にこの館近辺を視察に赴かれてはいかがでしょうか」
「視察に、ですか……?」
「はい。こちらにお越しになる時にすでに景色はご覧になっているとは思いますが、直接よく知る人間から説明を受けるのではまた別の角度で物事が見えるかもしれません。オルタンスさまにとって、これから暮らしていくその土地を、隣で共に歩む人と一緒に見ていただけたらと思うのです」
ふと、頭の中にエーレンさんが思い浮かびました。
隣に共にある人がいてくれるからこそ、彼女は強く生きていけるのだと言っていたことを思い出します。今は辺境の地にすでにいるのでしょうか、元気でいるのでしょうか。
新しい土地は、不安と期待でいっぱいだと思うのです。
だからこそ、他の誰でもない、共に歩む人と見てもらえたなら良いと思います。
(特に何もない土地だけれど、……私にとっても生まれ育った土地だから。好きになってもらえたら、嬉しい)
そんな気持ちも込めてオルタンス嬢にどうだろうと視線を向けると、彼女はきらきらとした眼差しを私に向けていました。
思わず苦笑しつつ、メレクにここに来るように侍女に伝えてもらって私はなんとなしに彼女に問いかけました。
「そういえば、先程ウィナー男爵令嬢のことが話題に出ましたけれど、オルタンスさまから見て彼女はどのような人物でしたか?」
「ウィナー男爵令嬢ですか? そうですねえ」
小首を傾げたオルタンス嬢は少し考えこむようにして、私を見ました。
「危うい方、ですわね。聡い方はお近づきになろうとはなさらないでしょう。あの方自身が先行く道を見つけられたならば、随分と変わる……そのように思いましたわ」
「それは……どのような?」
「大変魔力も豊富でお美しくも愛らしい方と初めてお会いした際に思いました。ですが、無遠慮とも言える行動は少々年齢と反比例した無邪気さをお持ちのようですが、それを演じているようにも思えました。そのような振る舞いをなさる方は、敬遠されがちかと思います」
「……」
「それが目的あってのことであればよろしいのですが、そうではなさそうでしたので」
「そうでは、ない……」
「はい、誰にも嫌われぬよう、誰にも好かれるよう。そのような振る舞いに思えましたわ。そういう点では幼くあり愛らしくも思いますが」
にっこりと笑ったオルタンス嬢のその評価に私は正直、内心でこの子恐ろしいわあ……と思わずにはいられませんでした。ええ、聞いたのは私ですけどね!




