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「実はね、貴女が来るとわかる前に実家の兄から手紙が届いたの」
「お義母さまの……というと、パーバス家から……?」
「いいえ。まあ間違いではないのだけれど、取り違えてほしくないのはこれは兄個人からの手紙だという話なのよ」
「……?」
お義母さまの言い方に、私は眉を顰める。
パーバス家としての意向ではない、パーバス家次期当主の地位にある男性。
私にとっては義理の伯父にあたるわけだけれど、あちらはそう思っていないことは明白……とはいえ、まあそれを言葉にする気はない。
お義母さまは頬に手を当てて、ほう、とため息を吐き出し、ちょっと考えているご様子です。
それは以前、パーバス一家が来訪すると知ってはしゃいでいたお義母さまとは違って対処に困っている子爵夫人という風だったので私も姿勢を正しました。
「そうね、肝心なところだけ抜いて話すと最近お父さまの体調が悪い時があるんですって」
「……パーバス伯爵さまが」
「ええ、それで何かあったら自分が爵位を継ぐことに変わりはないから、子爵家からも祝いをちゃんと出せと言う話が一つ」
何て言い草だと私は心の中で悪態をつきましたよね。
父親の具合が悪いから見舞いに来いとかそんな話ならまだわかりますが、死んだら自分が当主だから忘れず祝い金出せよって厚かましいな! 厚かましすぎてとんでもないわ!!
思ったとしてもわざわざ書面に残すようなばかげた方法でわざわざ妹に送り付けてくる辺り、どれだけお義母さまがあちらで軽く扱われているのかを改めて見せつけられた想いです。
まあ前回のあのありようからそうだろうなってのは十分すぎる程わかっていましたから、今更驚きませんけどね。
「まあそれ自体はもしそうなったら常識の範囲内でそうさせてもらうし、状況によってはメレクとオルタンス嬢には申し訳ないけれど婚儀の日取りを延ばしてもらって喪に服することも考えているわ」
「そうですね、あちらの状況がわかりませんのでなんとも言えませんけれど……」
「まあ兄のことだからセレッセ伯爵さまの妹君と自分の妹で比べて、嫁と姑なんだからこっちが上だとかなんだとか考えているんでしょうねえ……ばかげたことだけれど」
長く細いため息は、お義母さまがそういった考えを『ばかげたこと』と言えるようになったからなんだなあと思うと感慨深い……。
私の視線にお義母さまもちょっとだけ恥ずかしそうに笑いました。
「まあそんなことを言っても、私もつい最近までその考えに近いものを持っていたのだから呆れてしまうわよね」
「いえ」
「話が逸れてしまったわね、それでエイリップ・カリアンは軍に入隊したそうだけれど、所属は書かれていなかったわ。でも一応気を付けてね?」
「はい」
あ、思い出したくない人名ですね。いえお義母さまの危惧も理解できますからその忠告はありがたく受け取っておきます。
まあ王城配属だったとしても、変なことはしてこないでしょう……普通だったら大人しくしているはずの他家であんな狼藉を働いた人ですから、保証の限りじゃないんですが。
「……私の兄は、きっと当主になってもお父さまの影をずっと見続けると思うわ」
「お義母さま?」
「まあそれは私たちの代で終えられれば良いのだけれど、エイリップ・カリアンについてはちょっと私にはわからないから気を付けてって言うくらいしかできないわ」
「いいえ、ありがとうございます」
そうやって気遣ってくれるだけで嬉しいです!
やはり以前に比べれば距離感も良くなっている気がするし、パーバス伯爵家のあのメンツは好きになりませんけれどあの一件は我が家には必要なトラブルだったのかもしれません。
(でもエイリップ・カリアンさまの狼藉は忘れませんけどね!)
あんなセクハラまがいのセリフも忘れないからな!
女心ってものを一度最初っから学びなおせと言いたい。ぜひ私の知らないところで。
「それと、兄からの手紙に、パーバス家と関わりある女性が貴女に迷惑をかけた話もあったわ、大変だったのねえ」
それってあれか、クレドリタス夫人のことか。
どっから話が行ったんだろう。貴族間情報網ってやつでしょうか?
思わずぎくりとした私にお義母さまは優しく笑いました。
「その女性のことは、私たち家族も知っているの。とはいえ、私たちが子供の頃の話だからうろ覚えなのだし、その件について触れてはならないと言い含められて育ったからなのだけれどね」
そう言われてクレドリタス夫人ってそういえばパーバス伯爵家から『ひどい扱いだった』ってこと以外初めて情報を得るなって思いました。
とはいえ、お義母さまも詳しくは知らないようですが……。
「昔、あの女性関連でお父さまとバウム伯爵さまが揉めたそうよ。まあ、パーバス家の方が全面的に悪かったということらしいけれど」
お義母さまがまたため息を吐き出しました。
ご実家の話題になってからため息が止まりません。幸せが逃げていきますよなんて軽口も叩けません。
「まあ、あのお父さまだから……ね? わかるでしょう、ご自分の思い通りにならなくて随分お腹立ちだったらしいわ」
「なるほど……」
私の疑問を察したのかするする答えるお義母さま、実は優秀なのでは?
本人は当たり前のように雑務をこなしていらっしゃるつもりなのかもしれないけれど、たまにいるのよね……無自覚で才能を開花させている人。
お義母さまも生家との関係に少し決着がついて、子爵夫人としての自覚が出たことで目覚めたとか……。まさか、いやでもあり得る。
なんせメレクもなかなか心配なところはあるけれど、姉の贔屓目を抜きにしても優秀だし。キース・レッスさまも認めてくださっているくらいだし。
そう考えると、お義母さまの教育が良かったんだろうなって。
「お父さまとバウム伯爵さま、兄とセレッセ伯爵さま、エイリップ・カリアンはバウム家の長子さま、パーバス家は敵を作ってばかりね」
ふぅ、とまたため息を吐き出したお義母さまは疲れた顔をしていました。
いやあどうだろう、パーバス家の方々は敵だと思ってるかもしれませんが、あっちはどう思っているのか……。
(あんまり相手にされてないっぽいけど)
まあ私もあれは相手をするだけ疲れる相手という認識なので、あながち間違いではないはず。
アルダールも私を目の前で侮辱したっていうことがなければ、エイリップ・カリアンさまの言葉とかスルーだったもの。
「まあそういうことだから、一応ユリアにも知っておいてもらおうかと思って。あの人たちが大それたことをするとは思えないけれど」
困ったような表情のお義母さまは、なんとか頑張ったという風な笑みを浮かべました。
その笑みの複雑そうなこと!
まあそりゃそうだろうね、なんだかんだいって父親と兄、甥だもの。
複雑にもなりますよね……申し訳ないって思うのも変なのであえて何も言わず、頷いて答えることにしました。
「さあ、面倒な話はこれでおしまいにしましょうか、今日はもうのんびりと過ごしてもらって、明後日の顔合わせについての段取りは明日確認するとしましょう?」
「はい、お義母さま」
ぱちん、と手を叩いて笑って見せるお義母さまに私も同意する。
知らないよりは知っていた方がいい、その情報の取捨選択は相変わらず難しいなあとちょっと思いました。
とはいえ、パーバス家がファンディッド家に無用の手出しをするのはきっとキース・レッスさまが何とか手を回してくださるんじゃいかなってちょっと期待しています。
問題は、……そうかあ、クレドリタス夫人に関係してパーバス家とバウム家は仲が悪いのか。
それは初めて知る事実だった。
だからって何がどうなるってわけでもないんだけど。
(……クレドリタス夫人については、バウム夫人が引き受けてからどうなったのかしら)
パーバス伯爵家がなにかそちらにアクションを起こさないといいんだけど。
ちょっとだけ、不安になりました。




