278 苛立ちを隠す笑み
今回はニコラスさん視点です。
明日は発売前日記念で全く関係ない番外編を上げる予定ですよー°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
「よろしかったんですか?」
ボクがそう声をかけると、彼は一瞬だけ足を止めた。
けれどそれは本当に一瞬だけ。
視線すらボクに寄越さないのに、空気がピリッとして背筋がぞくりとした。
静かで、鋭利。なるほどなるほど、次期剣聖という肩書きは嘘じゃない。
まあそんな『名声』を必要としていない彼が、ボクのような人間の言葉に苛立ちを隠さないのが面白くておかしくて、たまらない。
それと同時にちりっとボクも苛立ちを覚えている。
(羨んでいる? ボクが?)
ここでこれ以上彼を突っつくのは得策じゃない。
そうわかっているというのにボクはぞくぞくとする感情につい悪戯心が湧いて止められなかった。
「伯爵さまは何も言ってはならないと仰ったのではありませんか? あの方にあんなに具体的にお言葉をかけられて」
「問題ない」
「おや」
王太子付きとはいえ使用人如きいないも同然に去って行くかと思えば、返事をするだなんて!
それどころかこちらに向かい視線を向けて笑みを向けたその冷たいこと!!
思わずボクが一歩後ろに下がるほどに。
「おお、怖い怖い。あの方は、そんな貴方の一面をご存知で?」
「さあ。……知らせずにいても、問題ないしね」
ヒュゥ、とボクの足元を風が舞う。
下からぶつかるような小さな旋風。
頬に走る小さな痛みに、ボクは口角があがるのを感じた。
なるほど、そういえば情報にはこの男が風の魔法を使うのだと書いてあった。
意趣返しということか……風をぶつけられただけで騒ぎ立てるのはお互いに利はない。
「あまり出すぎた口は利かないことだ」
「内情を探られるのは楽しくない、と」
「さあ……誰もがそうだと思うがね」
ボクが何者なのかを理解した上で踏み込むなと態度が告げてくる。
ああ、ああ、面白くない。ボクと同じ側の人間、けれど決してこちら側ではない人間。
「なにもかもを手にするのはいささか強欲と思いますが」
「……」
薄く、笑っただけで去って行く。
ああ、これ以上挑発したところで乗ってはくれないのか。
もう少し遊んでもらえるかと思ったが、なかなか相手も強かだ。
(……もう少し、バウム伯爵の動向が掴めると思ったんだけどな)
わかっているのは長子に対して『なにもするな、なにも言うな』と伯爵が厳命したということだけだ。
それを律義に守る彼がだいぶ我慢の限界であることは見て取れる。
不和となって爆発するのか、それとももう少し利口な息子のままでいるのか。
何を理由に伯爵が沈黙を貫いているのかわからないことが不気味だ。
あの英雄の娘に思うところはいくつもあるだろうに。
(ただの忠義で黙っていてくれるってだけならありがたいんですがね)
思惑が、幾重にも幾重にも。
それを一つの面だけ見て判断するのは愚かしい。
少なくともあの少女に見えているのは表層で、それすら見えていないのだから可愛らしいものだ。
巻き込まれた方々にはご愁傷さまとしか言いようがないけれど。
「あーあ」
それでも羨ましいと思うのだ。
あの男は、同じような人間なのにボクが望んで止まない『普通』を手に入れるのだ。
勿論、そのために色々と画策して動いていることはこちらでも把握済みだ。
姿が見えなくなったのを確認して、わざとらしくため息を吐き出せば同じようにため息が聞こえた。
「ご覧になってましたか、お叱りになりますか?」
「……私が何を言ったところでお前は聞かないだろう」
「そんなことはありませんよ、仕事の大先輩ですからね」
肩を竦めて見せれば、またため息をつかれた。ひどいなあ!
こういう時のための笑みを浮かべれば、物陰から現れたセバスチャンさんがボクを見る。
冷たい目をしているのを見ると、ほっとするね。
この人も、この人のままなのだと。
人間、そうそう本質が変わるわけじゃない。
「まあ、……今のはボクが悪いと認めますよ、おじいさま!」
わざとらしく努めて明るい声を出しても、おじいさまは何もそれに対して言うことはなかった。
まったくもってつまらない。
もう少し乗ってくれれば良いのにね、そう思うけれど口には出さない。
「ただ、少しわかればと思っただけでして」
「それ以外の感情があっただろう」
「……さて」
ない、とも言いきれないがそれを認める必要もない。
ボクはいつもの笑みを顔に張り付けて首を傾げて見せる。
それだけであちらも察してくれるのだから、本当にありがたい。
そして、つまらない。
「それでは失礼いたしますね、そろそろ職務に戻らないと主に叱られてしまいますので!」
「……そうか。では私も失礼するとしよう」
背を向ける。
先程の光景を思い出して、ボクの中で何かがちりっとする。
……それを認めるのは、つまらない気がした。
「あまり、悪戯をしないことだ」
「……おや、ご心配くださるのですか?」
「そうだな。我々は、いくらでも代わりがいるからな」
それだけ言うとさっさといなくなるその姿に、落ち着いたはずの苛立ちが増した。
顔にも態度にも気配にも出してはならない感情の揺れを、笑顔の中に消す。
あの方の味方が、あの男の味方になっているのだと思うとやっぱり、面白くなかった。
(もう少しあのお嬢さんが頑張って引っ掻き回してくれるかと思ったけどね)
歩きながら思うのは、薄紅色の髪を持つ少女の姿。
まああまり暴れ回られては困るので、いい加減首輪をきつく締めると決められてしまったのだけれど。
それでもまだまだ、彼女は幸せな方だろう。
そこに気が付いて今から挽回できるなら、少しは首輪も緩めてもらえるかもしれない。
(……まあ、もうあのお嬢さんの能力も人気も、王太子殿下は見限られたようだし)
使えるものは使おうか、その程度の認識だったんだろう。
陛下が彼女の監視を王太子殿下に任じられたのもどう扱うかを見定められたに違いない。
結果、彼女は期待外れだと思われたようだけれど。
それがあの子の未来にどうつながるかまではボクの知ったこっちゃない。
ただ、まあ。
そう、おもしろくないから、おもしろくなればいいのになあ。
ただそんな風に思っただけだ。
だからといって主の意向に反するつもりはこれっぽっちもないから、もうきっと接点なんてないのだろう。
どうせ接点を持つならこちらとしてもあのお嬢さんよりも別の人の方がいい。
「……まあ、あんまり近寄るとそれはそれで番犬がうるさいか」
喉から笑いが漏れる。
ああ、思うだけでおかしくてたまらない。
笑ってしまうなんていけない。
だけど、笑いが出てしまう。
(……おっと、いけないいけない)
笑顔を忘れてはいけない。
どんな風に思われようと、笑顔は一番効果的。
今最も調べなければならないのは、バウム家の動向だ。
決してあの忠義の家が何かを目論んでいるとは思わないが、当主自らが様々なことに沈黙せよと長男にだけ言ったことが気にかかる。
何かを知っているのか?
あるいは嵐が過ぎ去るのを待っているのか。
(どちらにせよ)
もう暫く、お付き合いいただこう。
「あら、休憩からお戻りですか?」
「ええ、ありがとうございます」
王子宮に戻って他の使用人に交じる。
笑顔を張り付けて、いつものように、大勢の一人に戻る。
(……後で、会いに行くとしましょうか)
浮かんだ笑みは、作った笑みか、それとも……?
自分でも、正直わからなかった。




