27
パウンドケーキにバニラアイスを添える。そして仕上げにミントの葉をちょんと載せ、それに合わせるのは冷たい紅茶だ。氷を作り出しグラスに入れれば涼やかな音がして、耳で楽しめた。それらを客人の前に出せばその表情は綻び、喜んでくれるその姿に私は嬉しく思うのだけれど――商談とかじゃなければね!
平穏よ、来たれ。
そういう呪文ってないかなあ。口にするだけで平和になれるような……ないな。
「ほう、ほうほう! これがユリア殿の菓子ですか。こちらの焼き菓子はよくあるものですが、この白く丸いものが最近宰相閣下のお気に入りという噂の菓子ですかな?」
「よくご存じですのね、あの方はそういうことを口には出されませんでしょう」
「ふふ、まあそこは言わぬが花ですな。それでは失礼して……ほう、これは冷たくなんとまろやかな! 夏には嬉しい菓子ですなあ」
良い歳をしたおっさんが目を細めて嬉しそうに笑ってるその周囲に花が飛んでいるように見えるのは私の気のせいだろうか? この人国一番の商人なんだよね? いやあ少しふっくりした体形をしてはいるけど、なかなか愛嬌ある顔しているし人が良さそうというのが第一印象なんだけど、まあ中身は相当大ダヌキだと私は思っているけどね。でも美味しそうに食べてくれるっていうのはそれだけで嬉しいものだよね!
って違う。絆されてどうする。
「食べながら商談ということでよろしいかしら?」
「ええ勿論、茶葉の方ですがいかほど必要ですかな。何種類か同じ高山産のものをお持ちいたしましょう」
「ありがとうございます」
「ではそちらは3日後にお届けという事でよろしいかな?」
「はい、注文書は今直ぐに書き上げますので宜しくお願いいたします」
私が立ち上がって机にある書類を一枚とり、書き込んでいく。
もう注文書とかは形式が決まっているからそれにどこの商会を利用する、何をどのくらい買う、そういう内容を書き込んで受け取りがどこの部門かどうか、というものである。それは複写になっていて1枚は財務官に提出し、もう1枚は商会の方で品を納入する際に財務官に提出し代金を受け取るという仕組みだ。
だから余計なものを買ったとか侍女とかメイドの雑務品とかを買う際なんかには財務官から無駄遣いがあったりするとちくりと言われることもあるわけだけど……まあ我が王女宮は質素倹約を旨としていますし昔あったようなお仕えする方の権威の傘の下余計なものを買うような実態はないんですよね現状。なにせ数代前は側室が両手の指で足りないとかそういう時代もあったからこその財務官の取り締まりが活きるんですが、今代はやはり質素倹約を旨となさる正妃さまと王太子殿下とプリメラさまだけですのでさほどそこに働く人間もたくさんは必要ないと言いますか……いえ、人数はいますよ、最低限定められた人数が。
ただ数代前のその側室の方がたくさんに、それにプラスとして御子様がいらっしゃればまあ最低限の侍女たちだけでは賄えなかったのでもっと人数がいた時代があったということですね。
話が逸れましたが、まあそういうわけでこの複写はとても有能です。私が考えたとかではないです。すでに私が侍女になったころにはありました。カーボン紙すげぇ。名前は勿論違うけど。
「ではこちらをお持ちください」
「承りました。……ところで、もう少々お時間宜しいかな?」
「ええ、勿論」
むしろそれが本題なんだろう?! 私の寿命を縮める気なんだろう?!
平穏無事な日々がログアウトする気配しか感じないもの! 小市民嘗めんな!
とまあ内心は大変な騒ぎですが、勿論私はデキる大人の女ですから! なんてことない涼しい顔してお向かいに座り直しました。背筋が伸びたのはお客様相手にしているからであってビビってるからなんかじゃないです。本当です。
「それにしても貴女には驚かされました。ただただ姫君のお世話をして満足しているだけのご令嬢かと思っていたのですが……」
「……なんのことでしょう、仰っている通りで間違いありませんが」
「ははは! そうですね、貴女は王女殿下を第一にお考えであることは間違いない! これは私の言葉の選び方が誤りでしたな」
ぺちっと良い音をさせて自らの額を叩いて快活に笑う会頭は、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。ああ、きっとこの顔が本来の会頭らしい顔なのかもしれない。これすらももしかしたら私を油断させるための笑顔なのだろうか。いや私を油断させてどうなるかって言われたら何もないけどね。筆頭侍女だからって特別何か優遇されてるわけじゃないんだよねープリメラさまが私を気に入ってくださっているという事実くらいしかないし……。
「ジェンダ商会」
「え?」
「あの商会を頼るとは恐れ入りました。タルボット商会ももう長くありませんな。まさか金融業に於いて古株のジェンダ商会と貴女がそこまで結びついているとは思いもよりませんでした。正妃さまは金貸しとあまりジェンダ商会に良い印象をお持ちでない。ご側室様のご生家となればなおのこと」
「……あの、よく話が見えなくて」
「ご謙遜を! ジェンダ商会と言えばリジル商会も一目置くだけの金融業のスペシャリストだ。昔気質で少々気難しい会頭ですがね、あのじい様は貴女に恩義を感じているらしい。勿論タルボット商会が最近良くない手法で手を広げ始めたことに鬱陶しく思っていたからこれは渡りに船であったことは違いありませんがな。獅子は足元をうろつくネズミ如き噛みついてでもこなければ放置していたことでしょうから」
え、ちょっと待って?
ジェンダ商会につなぎを取ったのはタルボット商会のことを教えてもらいたかっただけだし。
リジル商会からだけだと偏った意見になるかなーって思っただけだし。何か勘違いされてるんじゃないかな?
「あの、申し訳ないですが何か勘違いを……」
「いやいや、勿論ジェンダ商会に貴女が訪れるのはごく自然なことでしょう。王女殿下は間違いなく彼らの孫でもありますからな。とはいえ、言葉を交わすことも許されぬほどの身分差ですが……その間に入る献身的な態度には頭が下がる思いです。国王陛下の偏愛は、友人と許されている私から見ても少々問題がありましたし、ジェンダ商会の会頭には世話になった恩もあるのでなんとも不憫とは思っていたのですが……」
「あの、ですから」
「とはいえ、正妃さまに睨まれるリスクを考えたらそこまでジェンダ商会と結びつくような真似はしないだろうなんて私は浅はかにも考えていたのですよ。ところが貴女は今回彼らを頼ったことでその結びつきを見せつけられた!」
ええ、あれー? いやいや、そんな大層なことはしていませんよ?
ジェンダ商会に行った時も向こうもあまりあからさまな会話は許されないと思っているのか、王族の方は皆さまご健康でお過ごしですか、とかそんな感じの世間話をしていただけで……勿論そこにプリメラさまのご様子を案じておられることはわかっていましたし、私もその話題を中心に世間話いたしましたけども。公に祖父母の立場として立てないのはなんとも切ないでしょうと思っただけの話ですし。
リジル商会の会頭が仰るような大層なことは何一つないんですけども……むしろジェンダ商会が金融業の古株とか存じませんでした。ええ、本当に。なんていうか昔ながらの駄菓子屋さんくらいのイメージでした。申し訳ございません!!
「ですので、例の金子のことですが……遠くないうちに清算されますよ。むしろ黒字になって返ってくるかもしれませんね? あのジェンダ商会ですから!」
「は、はあ……」
「いやはや、私としたことが貴女と言う女性の懐を見誤りました。素直にここは負けを認めさせていただきましょう。うちの支店長が足音と気配を消し近づいても尚冷静な対応をしてみせる、貴女は本当に侍女としてプロフェッショナルなのでしょう。野心家でなくて良かったと思うべきか、あるいは、と思うべきか……悩むところではありますがな!」
なんだか不穏な言葉を吐き出しつつ大笑いするおっさんを、私は信じられない生き物を見つけた気分で見ていた。何言ってるんだろうこの人……なんか盛大に勘違いされている上に私の釈明が全然伝わらないっていうか聞く気ないだろう絶対。
っていうかまあ、暴利での借金だったけど、黒字になって戻ってきたらそれはそれでまずいんじゃないのか……?
その後もなんだかよくわからないことをたくさん言われたけど。
アルダール・サウルさまからいただいた髪飾りをつけないのは賢明だとかなんとか……勿体なくてつけれないだけなんだけど。王太子殿下とプリメラさまの関係が改善された立役者だとか……もともとあの二人、仲良しですよ? 宰相閣下のご機嫌が最近良くて商売のまとまりが良いとか……それは多分私何も関係ないんですけど。
とにかく、リジル商会の会頭はよくわからないことを言って帰っていったのだった。
……なんだろう、ものっすごく、うん…疲れた。
お風呂に入りたいな、と思う私だった。温泉、行きたいなー。
勘違いを釈明できなかった主人公は、現実逃避するのであった。