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お茶会は、とても楽しかった……!
帰りの馬車の中でも、私はご機嫌でした。
「楽しかったなら、良かったよ。いつ気づかれるかと思ってたからね」
「まあ」
アルダールがほっとしたように言うものだから私は少し驚きましたが、言われてみればそうですよね。
私がトップを務めている王女宮の、主たる王女プリメラさまがお出かけになるにはスケジュールの調整が必要だったはず。
いくら公爵夫人であるビアンカさまのご希望とはいえ、公務やお勉強その他諸々、プリンセスともなれば一日の予定は分刻みと言っても過言ではないのだから。
恐らくは私に知られぬようにセバスチャンさんが色々と手筈を整えてくださったのでしょう。後でお礼を言っておかなければ!
私自身が嬉しかったのは勿論、今日のお茶会はプリメラさまも大変お喜びでしたから……こんな幸せな時間を頂けたのですし、お礼を言うのは間違っていないはず。
メレクも次期子爵として学び忙しい時期に来てくれたこと、本当に嬉しかった。
オルタンス嬢にもお礼状を書くことにしよう。お義姉さまって呼ばれるのはまだ慣れないし恥ずかしかったし、ちょっと気が早くないかなって思うけどそれも嬉しかったし。
「……ユリアは、今後もお茶会に行きたいかい?」
「え?」
「まあ、公爵夫人が開かれたようなああいった心の知れた方々とばかりとは行かないだろうけれど。給仕されて、華やかな服を着てサロンを彩るような……いわゆる、貴族の茶会っていうのかな」
「そうですねえ」
幼い頃は子爵家の長女としてお義母さまに連れられて『淑女とはかくあるべき』みたいな真似事をした覚えはありますが、あれもお金がかかるんですよね。
ですから貧乏子爵家としては頻繁に茶会を開くことはできませんでしたし、お義母さまもそういったことが得意とは言えませんでしたから……さほど経験がないままに私が行儀見習いで王城に来てしまったわけです。
そこで侍女として給仕することが中心の生活。
「……憧れがなかったわけじゃありませんが、私としては給仕する側に慣れすぎてしまったかもしれません」
「え?」
「淑女として恥ずかしくない知識と礼節は身につけていると思いますが、職業病っていうのかしら。……今日はとても楽しかったけれど、やっぱり緊張もしたから」
そう、緊張しましたとも!
お茶をどうぞってお客さま扱いされるのは当然だったとはいえ、実家で給仕されるのとはわけが違うんですよ。
勿論、動揺を表情に出すようなみっともない真似はしてませんよ!?
でもやっぱりね、子爵令嬢としての下地があるとはいえ前世の記憶があって侍女をして暮らすのが当たり前……ってしていると色々落ち着かないこともあるんですよ。
「ユリアは誰かに傅かれて、女主人として切り盛りするよりは縁の下の力持ちのような……それこそ庶民の暮らしに近いものの方が気楽なのかな」
「そうかもしれませんね」
少しだけ呆れたような、それでいておかしそうな声でアルダールが言うから私もおどけて見せました。
実際にはどうなんだろう。
ミュリエッタさんとは逆に、庶民の暮らしを……って言われたら案外なんとかなるかもしれない。とはいえ、私にとって『働いたことがある』というのはあくまで王城で、侍女として。
それは普通に考えたら一般庶民としてはハイレベルの職業に分類されるんだよね。
「……何か変なことを考えているだろう」
「え?」
「さっきのは物の例えのようなもので、別にユリアが本当に庶民になるわけじゃないだろう? 貴族の身分もあるのだし、きみは多くの方から信頼を得ているのだから簡単に身を落とせるわけじゃない」
「え、いえ、ちょっとだけもしそうなったら私に何ができるかしらって思っただけで」
アルダールが眉間に少しだけ皺を寄せて叱るように言うものだから、思わず慌てて弁明をしなければならない羽目に! なんでだ。
「……分家当主になれば、女主人になって忙しくさせてしまう。騎士のままなら……まあ少ない人数の家人で、本家の方へユリアに行ってもらうこともできる、か」
「アルダール? それは……」
「……明確に、まだ言葉にはできないんだ」
まるで未来を言ってくれているよう。
その期待に思わずどきりとしたところで、真面目な表情のアルダールが「それでも」と言葉を続けようとしたところで馬車がガタンと音を立てて止まりました。
「あっ!?」
「ユリア!」
大きな揺れにすぐに私を庇うようにしたアルダールが、御者の方に向かって鋭い声を上げました。
馬のいななきが大きく聞こえたので、これが急停止したせいなのだとわかりましたが心臓がバクバクして、身体が震えてしまいます。
「どうした、何があった」
「申し訳ございません。商人たちの馬車が事故を起こしたようで、もう少々お待ちください」
「……わかった」
初老の御者さんの声にアルダールが冷静に答えたのを見て、私もほっと息を吐き出しました。
アルダールは私の肩を抱いていてくれてるけれど、ものすごく驚いた。
油断していたなあって思いますが、まあ城下でこんなことはめったにないはずです。
とはいえ、馬車が行き交う場所ではそういう事故だってあるでしょうし、仕方がない。
貴族の馬車を待たせるわけにはいかないと、きっと今頃慌てて馬車がどけられていることでしょう。
誰も怪我をしていないといいですけどね!
そう思うとちょっとだけ不安になってしまい、思わずアルダールを見上げました。
そんな私の視線に気が付いたのか笑みを浮かべてくれました。
「怪我人がいたらもっと大騒ぎで声が聞こえてくるだろうから、大丈夫じゃないかな」
「そ、そうですよね」
「だが馬車同士がぶつかったなら、物資の破損などからもう少し出発は遅れるかもしれない」
「私は本日お休みをいただいてますし、焦ってはおりません」
「だが町の人々や役人たちは公爵家の紋が付いた馬車をいつまでも待たせるわけにはいかないと慌てているんじゃないかな」
「……それは、……そうですね」
アルダールの言うことももっともだ。
事故があれば城下町に配属されている警備隊がやってきて交通整理や事故の実況見分などを行うことでしょう。
だけれど、それで交通が滞る中でやはり貴族の馬車と言うのは優先的に通されたりもするのです。
それは勿論、特権階級だから……ということもありますが、身の安全やその特権階級を衆目に晒しっぱなしにするのは怠慢であるという風潮もあってですね。
とりあえず大怪我をした人もいないし、どうやら事故と言っても荷馬車の一部が破損して荷物が散乱してしまったのが問題だったようです。
ほどなくして御者さんが戻り、そう説明してくれてから馬車は再び走り出しました。
ちらりと窓の外をカーテンの隙間から覗いたところで事故処理をしているらしい警備隊の方が見えましたが、その向こうで薄紅色の髪が見えた気が……。
あっと思う間にも馬車はそこから離れてしまって、それ以上のことはわかりませんでした。
(あれは……ミュリエッタさんだった?)
気のせいかなあと思いますが、彼女も事故に巻き込まれたのでしょうか。
まあ警備隊の方と話をしていたのならば、ミュリエッタさんに怪我はないのでしょう。
少しだけ気になりましたが、特にこのことをニコラスさんに告げる必要もないかな。
……ないよね?
「そういえばアルダール、先程の……」
そうそう! 途中事故があって聞けなかった、アルダールが何かを言いかけたことをちゃんと覚えております。
私の勘違いでなければ、将来のことを口にしてくれているような、そんな雰囲気だったようにも思えて……自惚れじゃないと、信じたい。
人が少なくなるのを待って、部屋まで送ってくれた彼に問いかければアルダールは困ったように小さく笑みを浮かべてから口を開きました。
「参ったな、……だけど、そうだね。このまま言うタイミングを逃すのも、良くない」
「……?」
「まだ、家の事情で先のことは言葉にできない。でも、もう少し待っていてほしい。私を信じて、待っていてほしい……なんて曖昧な言葉を、ユリアに受け入れてもらいたいんだ」
真っ直ぐに私を見るアルダールの言葉に、私はその意味を知りたくて彼を見上げましたが、それ以上の言葉はくれませんでした。
それでも、うん。
「信じて、待てば良いのでしたら待ちます。アルダールのことを、信じていますから」
「……ありがとう」
私は、私の意志で。
何があろうと、信じてます。
去っていくアルダールの背がとても綺麗だなあなんて思いながら、私は令嬢としての私ではなく……普段の侍女へと戻るのです。
ドレスよりお仕着せ! それから装飾眼鏡!!
自室に戻ってからそれを見て、私はほっと息を吐き出して思うのです。
(やっぱり、こっちの方が安心できるわ……!)
令嬢ライフ、遠そうです。
おかえりなさい、侍女ライフ!
……次は、実家での顔合わせかあ……。




