26
にこにこ笑う会頭が膝を折って前を見ている。
その視線の先には、王太子殿下とプリメラさまだ。
私を訪ねてきた、というのが本質だとしても流石に例え王室御用達のリジル商会の会頭だとしても王宮内を自由に歩けるわけでなし、たかだか侍女の部屋を訪ねるわけにもいかない。
私自身にアポイントメントがあったわけでもなく、またあったとしてもその場合は人の目に付くような応接室になってしまうのはよろしくないのだろう。
このおっさん、じゃなかった会頭は何気に国王陛下の竹馬の友という奴らしく、まあ要するに今の王太子殿下とリード・マルクくんみたいな関係だったようで。今でも実はよく王宮を訪れているそうだ。
まあ王室御用達商人なので、御用聞きサービスをする際は会頭がやってくることもしばしばだ。
今回も国王陛下の御用聞きにやってきて、折角だから王太子殿下と王女殿下にご挨拶ついでに御用聞きしていきたいという願いを陛下が許した、という形になっているからこそ王子宮にある王太子執務室で面会となっているのだ。
同席を許されたのはアラルバート・ダウム殿下の護衛騎士と執事長、プリメラさまの筆頭侍女である私。
まったくもって見た目朗らかな男性なだけに底が見えないというのは怖いものを感じさせるおっさんである。
「本日は急なお目通り、お許しいただきまして感謝の念にたえません」
「口上は結構だ。父上からの使いが来ていたからな……何か勧める品でもあったのか」
「いえいえ、普段倅がお世話になっておりますので折角ですのでご挨拶をさせていただきたいと思った次第でございます」
「ふん……?」
王太子殿下、ちょっと俺様な態度ですね。まあ一介の商人を相手にへりくだる必要はまだないのですから当然でしょうが。
プリメラさまは正直こういうのは正妃さまが今まで同席をお許しにならなかったので困っているのでしょう、手に持った扇子で顔を隠しながら私の方をちらちらと見て助けを求めていらっしゃるご様子。とはいえ、この場では発言権は王族であるお二方にのみあり、私や殿下の執事長どのは意見を求められたときにだけ発言ができるのです。
「王女殿下も、改めましてご挨拶を。先日のパーティは盛況に終えられたそうで、祝いの言葉を述べさせていただきたく」
「……ありがとう」
「おや、その首元に光るネックレスは珊瑚でできた薔薇にマンダリンガーネットがあしらわれたものですな。大層美しい! 王女殿下にとてもよくお似合いです」
「……これは珊瑚とマンダリンガーネットという石なの?」
「は、私の目利きが正しければ、ですが」
「ふん、国一番の商人にして宝石の目利きをさせたら随一と呼ばれるリジル商会の会頭が言うならまず間違いないだろう」
「そうなの……兄さまもご存じ?」
「聞いたことはある。珊瑚はお前も知っている通りだが、マンダリンガーネットはガーネットの中でも希少なものだという」
「流石王太子殿下、博識でいらっしゃる」
微笑みながらアラルバート・ダウム殿下を褒め称える姿は、子供の成長を喜ぶ大人らしいものだったけれどあの距離で良く姫さまのネックレスとか見えたな。というかリジル商会で販売してたものだし、宝石は特に会頭の得意分野という事だからきっとあれがどこで売られ、誰が買ったかまで把握しているに違いない。知っているのにさも今気が付きました、良い品ですねと褒め称えるんだからやっぱりこのおっさんはタヌキでしかない。
私の中でリジル商会の会頭=大ダヌキというのはしっかりと刻まれたのだった。
それにしてもあれ、マンダリンガーネットと珊瑚なのか……ディーン・デインさまも奮発したもんだなあ! オレンジ色の珊瑚が綺麗な薔薇の形をしていて、それと真珠とマンダリンガーネットがあしらわれているのに普段使いできるような可憐さのあるデザイン。さすが天下のリジル商会と思えるようなもので、確かあれ……そうだよ、一点ものだとか言っていた気がする。超本気だ。少年の本気があそこに詰まってる。
「僭越ながら、珊瑚は健康を願う魔除けの意味合いがあり、マンダリンガーネットが秘めた情熱や誠実さを表すなどとも言われておりますな」
「そうなの? 嬉しいわ……これは誕生日プレゼントでいただいたものなの」
「であるならば、その贈り手は王女殿下のことを誠に想っておられるのでしょうな。いやはや、そのお美しさからであればそうあってしかるべきと思いますが!」
「ありがとう」
あっ、嬉しそうに笑った。プリメラさま、ディーン・デインさまが石言葉とかまで知っていたとは思えませんよとは流石に言うまい。でも先にディーン・デインさまにお手紙で知らせておこうかな……万が一、近いうちに開く予定のお茶会でボロが出たらあれだし……。
「さて、ご挨拶させていただきましたが本日は何か御用がないか聞いておきませんとな。御用聞きでお伺いしたいと陛下には申し出させていただきました次第でして」
「ふん、それがメインだろうに。商人は大変だな、我々のような子供にまでそうへつらわねばならんとは」
「いえいえ、尊き方々とお知り合いになれることは私にとって喜びでございますから。して、王太子殿下、なにかございますかな?」
このおっさんのうまいところはやっぱりまずは王太子殿下、と行くところだ。
これが良くいる商人だと王太子殿下、王女殿下と一緒くたに質問する人がいるのだ。そういう人は申し訳ないが、王室御用達までは上り詰められないだろう。序列が大事、これは残念ながらいくら仲が良いとしても礼儀の一部みたいなものなんだから。
今この場においては王太子殿下が一番地位の高い人物なのだから、王太子殿下に声をおかけする。そして次にプリメラさまに尋ねる。これで正解だ。あと無理に注文してもらおうなんて思ってもだめだ。顔を覚えてもらう、次を取りつける。そういうことが大事なのだとジェンダ商会で教えてもらった。商人も商人で色々ルールがあるらしいけれど、それは教えてもらえなかった。
「いや、ないな。……なにかあればリードを通じて届けてもらうとしよう。それで良いか」
「はい、勿論。これからも倅のことをよろしくお願いいたします。……王女殿下はいかがですかな?」
「そうね……そうだわ、この間耳に挟んだのだけれど。シェルバンダ高山の茶葉がとても美味しいと聞いたのだけれど、それは手に入るかしら?」
「はい、勿論」
「良かった。近いうちに親しい方とお茶会をするのだけれど、いつまでに納品ができるかしら?」
「そうですな……キロ単位でなければ、3日以内には最高級のものをご用意できるかと」
「そう。ユリア」
おっと出番ですね!
王太子殿下、王女殿下の御用聞きが終わったという合図です。
今回アラルバート・ダウム殿下はご注文がなく、プリメラさまはあったということは王女宮に届く荷物ということになるので私がこの後会頭とお話しさせていただきます。
退室なさるお二方を見送って、私はそっと息を吐き出した。
ここまで来て、ようやく。ようやく、というのもおかしな話だけれども。
リジル商会の会頭を、私の執務室へとご案内できることになったのだ。これは仕事の一環なのだから、王女宮の筆頭侍女の執務室に王室御用達商人が仕事の話をするのに行くのはおかしな話ではないのだから。
そして筆頭侍女の執務室となれば、それなりの防音と人払いが可能で――それはつまり、密談もやろうと思えばできる、ということなのだ。
だからこそ内宮から奥は身元保証がされた一定の地位出身の人間しか働けないしそこかしこに騎士が巡回しているのだけれどね。怪しげなことがあってからでは遅い。といっても、魔窟と呼ばれるのはこういうことがあるからなんだろうなと働いていて思うわけですよ。
私は密談なんかしたことありませんけどね!
本当だよ!!!
マンダリンガーネットはとても綺麗なオレンジ色のガーネットのことです。
プリメラさまに贈られたネックレスのことを話題にしたかった回ですw