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「クレドリタス夫人っていう人は、バウム家に仕えている女性なんですけど」
おかしい。なんでここでクレドリタス夫人の名前が出るんだろう?
そう私は思いましたが、諦めて口を挟まず彼女の言葉を聞くことにしました。
どの道ミュリエッタさんは喋るのを止めそうにありませんからね。
……むしろ今、エーレンさんの顔色が大変なことになってますけど。
このまま彼女をこの場において、話を一緒に聞かせてしまったら巻き込む前に卒倒してしまいそうです。それはいけません。
「エーレンさん、申し訳ありませんがお茶のお代わりをお願いしても? もし茶葉が足りないようでしたら席を外されても問題ありませんよ」
「えっ」
「ね?」
私が頷いて見せると、意図が伝わったらしいエーレンさんがぺこりと頭を下げました。
なんのことかわからないミュリエッタさんは私たちを見比べて首を傾げていましたが、すぐに可愛らしい笑顔を見せてエーレンさんに手を振りました。
「お買い物に行くの? 気を付けてね」
「え、ええ……ミュリエッタ、あの、……あまりユリアさまにご迷惑を、かけては……」
「もう! エーレンったら相変わらず心配性ね」
いやいや、この場合はエーレンさんが心配していることの方が妥当だと思いますけどね。
エーレンさんが知らないところですでにミュリエッタさんは警告を受けている身なんですから。
生誕祭の時に、セレッセ領で、そしてニコラスさんとこの間の狐狩り。
ここまで来て彼女がどうして大人しく学園に通って淑女としての道を歩まないのか私は不思議でなりませんが、逆に焦りで行動を起こしているっていう可能性もあるのか。
だとしたらなりふり構わないっていうスタンスかもしれないから、気を付けないといけません。
彼女はそこまで深刻にとらえていないかもしれませんが、王太子殿下がニコラスさんを通じてどのように手を回したかまでは私にはわかりません。
ですがそれが可愛らしいものじゃないってことくらいは王城勤めが長い私にはわかります、わかりますよ……。
まるでクモの糸みたいにふわっとしているのに、気がついたら雁字搦めとかになっちゃうんでしょう!?
(怖いんだけどなあ、王城の人たちって)
ニコラスさんに関しては何かを感じているんでしょうが、先程名前があがった時に彼にも知られるかもしれない、なんて思わないんでしょうかね?
そういう意味ではミュリエッタさんは、悪い人は世の中にはいないっていう性善説を信じているタイプなのかもしれません。
まあわかりませんが……。
エーレンさんがよろめきながら出て行ったのを見送って、私はミュリエッタさんと二人になったわけですが。
(聞くのが怖いんだけどな)
「お話の続きなんですけどね!」
「ええ」
「クレドリタス夫人っていう人がいて、その人がアルダールさまに意地悪をする夢を見たんです」
「……ええ」
それは多分、幼少期のアルダールがクレドリタス夫人に、バウム家にとって予定外の子供だったという旨を延々言って聞かせるっていうアレですよね?
でもその点に関してはもうこの間バウム伯爵夫人が責任をもって対処してくださると仰っていたし、ミュリエッタさんのそれは正直的外れなんじゃないかなって思うわけですがどうなんでしょう。
とはいえ、バウム家の……しかも領内にある別荘で雇われている家人について知っているなんて危険な発言だと思います。
これが【ゲーム】に出てくる知識なのだとしたら、アルダールが隠しキャラで確定なんでしょうが……だとしても不用意な発言だとしか思えません。
「その人が投げかける言葉に、アルダールさまは傷ついていて……もっと自由になりたいけど、お優しいから家族のためにそれを我慢してる」
「……」
まるで“全てを知っている”ような口ぶりに、私の背筋が少しだけぞっとしました。
ああ、この調子で未来を語られたら、信じてしまいそうだと思います。
……が、私はバウム伯爵夫人がアルダールを『我が子』として愛していらっしゃる姿を目の当たりにしていますし、それを照れながらも受け入れているアルダールの姿もこの目で見ています。
なら、彼女が語るそれはやはり違う“物語”としか思えません。
だから、これをどう『報告』するべきかに頭を悩ませるだけで済んでいますが……やはりエーレンさんを外に出したのは正解だったかもしれませんね。
「柵を一度全部捨てて、アルダールさまは自由になるべきなのかもしれません」
「……家族を愛していると貴女も仰るのならば、全て捨ててとは穏やかではありませんね」
「家族は、離れていても家族ですよ!」
輝くような笑顔でそう言い切るミュリエッタさんに、私は違和感を覚えました。
だって、彼女の言葉はとても良い言葉のように聞こえますが、それは違うと思うんです。
離れていても家族だというのは、離れて暮らす家族が互いを思い気遣い案じ合うからこそ出てくる絆のようなもので……そこから逃げたいと思う気持ちとは、何か違うような気がしてなりません。
勿論、アルダールだって最初は誤解もあったと言っていたし愛情はあってもすれ違っていたことは事実でしょう。
(なんだろう、なんだかもやもやする)
剣聖とばかりアルダールが呼ばれ、彼自身を見てもらえていなかったことに対する私が感じた不満と似たようなあのもやもや感が胸の中で渦巻いて気持ちが悪い。
だけれど、ミュリエッタさんはそんな私に気が付く様子もなく慈愛に満ちた笑みを私に向けていました。
「あたしは、元々冒険者ですから。アルダールさまが望むままに世界を旅することも、貴族としての暮らしではご存知ないような世界もご一緒できます」
「……それが、彼のためになると?」
「そうやって外の世界に出ることで、アルダールさまは家族への想いを再確認できると思うんです。同時にご家族も、アルダールさまがどんな立場であったのかを思いやることができて……」
「ばからしい」
「えっ」
思わず吐き捨てるように言ってしまってから、しまったと思いました。
はっとしてミュリエッタさんを見ると、私がそんな風に言い返すだなんて思ってなかったんでしょうか。とてもとても驚いた顔をしていました。
「あっ、ごめんなさいね。……けれど、アルダールは今現在バウム伯爵家のみなさまととても仲が良く、幸せに暮らしています。騎士であることに誇りを持ち、終生騎士でありたいと思っているんです」
そして、そんな彼を私はとても眩しいと思う。
騎士として誇り高く、その剣は守るためにあるのだと眼差しで教えてくれた人だもの。
それを簡単に『一度捨ててしまえばいい』だなんて軽く言われて、腹が立ったんです。
大人げないなあと自分でも思いますが、きっと無意識に言わなくても後でもう少し言葉柔らかく言っていたから同じか……。
「で、でも!」
「アルダールの、気持ちを大事にしてあげてはくれませんか」
「でも!」
私が穏やかに諭すように言葉を言っても、ミュリエッタさんは表情を強張らせ、眉間に皺を寄せるばかりです。
ああ、しまった。興奮させてしまったのかなと思いましたが今更それを反省しても後の祭りと言いましょうか、とりあえず彼女が落ち着けるように冷めてしまったけれどお茶を勧めようと視線を外したところで、ミュリエッタさんはとんでもないことを口にしました。
「今どんなに仲が良くても! クレドリタス夫人が実の母親だって知ったら、アルダールさまは心が壊れちゃうんですよ!!」




