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エーレンさんと他愛ない会話を楽しんでいると、来客を告げるベルの音が聞こえてきました。
私もつい条件反射でその音に反応してしまいましたが、今日はお客さまの立場ですからね! ちゃんと大人しくしていましたよ。
というか、まあ、誰が来るのかわかっているわけですしね……むしろ大人としての落ち着きを、さあ心の中で深呼吸。平穏よ、来たれ!
……いやまあだからそう呪文みたいに唱えた所で平穏は来ません。勝ち取るのです!!
(なんて思っている私以上にエーレンさんの方が緊張してるっぽいけど)
ぎゅっと胸の前で手を握り締めて、大きく深呼吸して、……いやいやそこまで緊張する? 二人は幼馴染なんだからもっとフランクな態度で出迎えてあげないとミュリエッタさんが変に警戒してしまうんじゃ。
いや久しぶりに会うみたいだし、相手は貴族になっちゃったしっていう緊張もあるのか。
でもそこまで鬼気迫る表情で玄関に行かなくても……逆に心配だわあ!
思わずハラハラしてしまいましたが、エーレンさんもそこはさるもの長い侍女経験が役立っているのかすぐに表情を切り替えてにっこりと笑顔を作りました。
彼女が玄関に向かってすぐに聞こえてくる声は楽しそうなものです。あ、私がドキドキしてきましたよ……!!
「わあ! 本当にユリアさまがいる!」
「ミュリエッタ、こういう時は“いらっしゃる”よ?」
「んもう、エーレンまでそんな家庭教師さんみたいな物言いして!!」
入ってくるなり挨拶もせず声を上げたミュリエッタさんに私の印象としてはああミュリエッタさんだなあ……ってものでしたよ。
嗜めるエーレンさんにもぷっと頬を膨らませる姿はまあ可愛らしいこと。
だけれど妙齢の貴族令嬢としてはそれはアウトだなあ、まあ身内のお茶会だとか無邪気な姿を演出しているという可能性は否めません。
いやほら、狐狩りの時にハイライト飛んだミュリエッタさんを見ちゃってますからね、あれはすごく……ホラーだった……。
「お久しぶりですねミュリエッタさん」
「こんにちは、ユリアさま! お元気そうで何よりです!!」
「もう、ミュリエッタったら……いくら私の家で開くお茶会だからって、そんな調子で他の貴族の方々に接したりとかしてないわよね?」
「大丈夫よ、今日はそういう堅っ苦しいのはナシでいいじゃない! ねえ、ユリアさま、いいでしょう?」
「……そうですね、主催はエーレンさんですし今日は友人として彼女の門出を祝いに集まったのですから」
にっこりと笑って私は当たり障りない答えを口にしました。
今回の主催者はあくまでエーレンさん。身分の関係では私が一番上となりますがやはりそこはきちんと主催者の意向を大事にしなければ。
年齢もお前が一番上だって? ほっといてください。
今日のミュリエッタさんはとても機嫌よさそうに、ニコニコとしていました。
狐狩りでの印象が強すぎて、今日はどうなることかと少し危ぶんでいたんですがなんというかあんまり変わっていないみたいでメンタル強いなって思うべきなのか、もう少しこう……自分を顧みて行動を改めたらどうだろうかって思うべきなのか。
「表にあったのはユリアさまの馬車ですか? いいなあ、うちは専用の馬車とかないから」
「町馬車をご利用ですか?」
そういやそうか、馬車を保持して御者を雇って……って当たり前ですけど結構お金かかりますからね。貴族になりたてのウィナー男爵家ではなかなか難しい話ですよね。
まあ貴族だからってみんながみんな持っているわけじゃないですし、町馬車を使って移動するというのも別におかしな話じゃありません。
要は自家用車を持っているか、持っていないから必要に応じてタクシーを使うかってだけの問題ですからね。
「いいえ、今日はハンスさまが送ってくれたんですよ!」
「……そう、ですか」
へえ、ハンスさんが。
ってことは今も会ってるんだ。いやもうミュリエッタさんわかってるのかな?
異性にエスコートされて友人宅に行くってそういう関係なのかなって思われてもおかしくない話っていうか……。
「えっ、ハンスさまってミュリエッタ、恋人ができたの?」
エーレンさんが心底驚いたような顔をして思わず声を大きく問えば、ミュリエッタさんは顔を顰めました。でもそれは瞬間的なもので、すぐに可愛らしい笑顔になりましたけど。
「違うよお、例の巨大モンスターの時に知り合ってね、それ以来親切にしてくれているの! たまたま会った時に今回のお茶会の話をしたら送ってくれるっていうから甘えちゃったんだ」
「そうなの? でも異性の方に送ってもらったりって見た人がどう受け取るのか気を付けた方がいいんじゃないの?」
「ええー、だって歩いてあたしの家から行こうと思ってるって言ったら貴族令嬢がそんなことしちゃダメだって言われて、送ってあげるって言ってくれたんだもの。断るのも失礼でしょ?」
「それはそうかもしれないけど……」
「あっ、エーレン! それよりもお土産を持ってきたのよ!!」
エーレンさんが困ったように小首を傾げましたが、ミュリエッタさんもなんとなく分が悪いと思ったんでしょう。
彼女は持ってきた荷物をさも今思い出しましたと言わんばかりに持ってきていた大きなカバンから中身を取り出しました。
瓶詰の、ポプリでしょうか?
可愛らしくラッピングされたそれをテーブルに並べて、ミュリエッタさんは笑顔を見せました。
「あたしが作ったの! あっちに行っても良い香りがあったら楽しめるかしらと思って」
「まあ、ありがとう。こんなにたくさん、大変だったでしょう?」
「大丈夫よ。こういうの、得意なんだから! 知ってるでしょ?」
にこにこ笑うミュリエッタさんは少しだけ胸を張ってエーレンさんと笑い合いました。
その様子だけ見たら、仲の良い友人なんだろうなあと思うんですがどうなんでしょうね。二人ともなかなか心の内を見せない曲者ですからね。
しかし私としてはこれから引っ越しするって人に大瓶のプレゼントってどうなのかしらとちょっと思いましたけど、ミュリエッタさんなりに色々気持ちを込めてポプリを作ったんでしょう。
受け取ったエーレンさんも笑顔ですしね。
くるっと振り返ったミュリエッタさんは、にこにこ笑顔で私の方にも小さな瓶を押し付けるようにして渡してきました。
「ユリアさまにも勿論ありますよ!」
「まあ、ありがとうございます」
可愛らしいピンクのリボンの小瓶の中身はよくわかりませんでしたが、そこから香るのは確かに良い香りでした。可愛らしい人は可愛らしいことをするものですねえ。
私はこういうものを作ったことがないので、純粋に感心してしまいましたよ!
「そうそう、ユリアさまが美味しいケーキを持ってきてくださったの。みんなで食べましょう?」
エーレンさんがポプリの瓶を片付けながら、ミュリエッタさんに声をかければ彼女は目を輝かせました。おおう、そんなに喜んでもらえるとは思いませんでしたよ!
まあ今回はミッチェランのオーダーケーキですからね、私にとってもなかなか口にすることができない品ですが二人も美味しく食べてくれたら嬉しいですよね。
きっとニコラスさんも喜びますよ!
「ほら、立派なチョコレートケーキ!」
「……チョコレートケーキ?」
「そうよ、こんな立派なケーキなかなか口にできないんだからユリアさまには本当に感謝しなくちゃ」
エーレンさん、もしかしてケーキ食べるの楽しみにしてたんですかね? 隠しきれないうきうきとしたその声音に思わず微笑ましくなりましたがふと見るとミュリエッタさんが眉間に皺を寄せていました。
「……お嫌いでした?」
「いえ、そうじゃないです! あたしチョコレート大好きですよ!」
「それならば良かったですが……なにか難しい顔をしておいででしたので」
「いえ……」
少し考えこんだミュリエッタさんでしたが、すぐに何か思い出したかのように顔を上げて私を見ました。
(うん? お値段の心配でもしてるのかな?)
「……チョコレートケーキって、もしかしてユリアさまが考えたとか、ですか?」
「え?」
やだこの子、何言いだしたのかしら。




