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「……結局義母上に迷惑をかける形になってしまったし、ユリアには格好悪いところを見せたね」
「いえ」
バウム伯爵夫人とのお茶会の後、私とアルダールはと言えば、ちょっと気まずい雰囲気でした。
とはいえ、馬車に乗っている時間はそんなにあるものではないのでお互いに他愛のない言葉であとは沈黙が、って感じですけど……普段は一緒にいても沈黙が苦ではないんですが、今回はちょっとばかり空気が重いっていうか。
救いなのは馬車に乗って王城まで、そんなに時間はかからないことでした。
いやまあ町屋敷は城下にあるんだから当然と言えば当然なんですけど。
「とりあえず、私は何かつまめるものを用意してきますね!」
「えっ、ユリア?」
私の部屋に着くなりアルダールを椅子に座らせて、私は有無を言わせずにそう告げて部屋を後にしました。
逃げたわけじゃないですよ!?
いやうん、なんとなくいたたまれなかったとかそういう空気があるのは否めない!
廊下に出てドアを背に、はぁーっと私の口から出た溜息の重いこと重いこと!
(……なんか頭がパンクしそう)
クレドリタス夫人のこと、バウム伯爵夫人のこと、アルダールが結婚という言葉に対して厳しい声を出したこと、なんだか変な方向に自分が考えてしまいそうで嫌だ。
まだ本人から何か言われたわけでもないのに。
(……噂を鵜呑みにしないとか、勝手にネガティブにならないとか、……そう決めてるのになあ)
恋愛は一人ではできなくて、相手の言葉を待たずに勝手に自分で考えたことに落ち込んでいてはいけないと頭ではわかっているのにこの体たらく。
でもアルダールから否定的な言葉が出たら嫌だなっていうか。
厳しい声が出てたってことは今は考えられないとか、私のこの恋愛初心者っぷりにそんな先のことは……って思ってるのかもしれないし!
(なんにせよ、勝手に落ち込んでたらだめよね! 今はクレドリタス夫人と会ったことでアルダールだって気分が落ち着かないんでしょうし)
折角アルダールおすすめの美味しいワインがあるんです!
この空気をアルコールの力で払拭して、また明日からいつもの雰囲気で私たちらしく出来たらいいってことですよね!
つまめるものを、なんて言って出てきましたけど私の自室には簡易キッチンがあるのはもうバレてますし、きっと私が一方的にまた変なことを考えてるんだろうなってこともきっとバレてるんだと思います。
なので戻った時にどう誤魔化すかだなぁとちょっぴり思いつつ、キッチンに行ってメッタボンにお願いしてナッツ類とチーズを数種類、それからドライフルーツがあったのでそれもお皿に盛って戻りました。
戻ったっていうか、メッタボンが持ってくれたんですけどね!!
「おう、バウムの旦那邪魔するぜ」
ずかずか入っていくメッタボンはメッタボンだなあって感じですよね。
軽い調子でアルダールに挨拶をしたメッタボンはテーブルにナッツやチーズを並べ、それから彼のおすすめだというワインまでつけてくれました。
どんだけ飲むのって思いましたけどね、メッタボンはお酒が好きなので彼のお勧めは大体外れがないからありがたくもらっておくことにしました。
「それじゃユリアさま、つまみはここに置くから足りなかったら呼んでくれ。ガキどもは寄せないように声かけておくからよ」
「メッタボン!」
変な気を回すんじゃない! 緊張するでしょ、私が!!
ケラケラ笑いながら出ていくメッタボンに呆れつつ、私はワイングラスを戸棚から出してアルダールの前に置きました。
「そちらのワインはメッタボンのお勧めなんです」
「……そう」
「先にアルダールのお勧めからでいいですよね?」
「うん」
ワイン用のナイフを取り出すと、アルダールが手を差し出しました。
私も侍女になって長いのでワインのコルクをナイフで開けることくらいできるんですが、なんというか、ちょっとやってもらえるっていうことにドキッとしたのは内緒です。
「……今日は、疲れた?」
アルダールがグラスを渡しながら小さな声で私に聞くので、私はただ首を横に振りました。
そりゃまあ色々ありました。狐狩りに行って中止になって、バウム家の町屋敷に行って強烈な人に会って伯爵夫人とお茶をして……かなりハードスケジュールだったことは否めませんが、アルダールが問うていることが肉体的疲労でないことくらいわかっています。
「色々ありましたけど、大丈夫です。アルダールもそばにいてくれましたし」
「……まったく、ユリアは私を喜ばせるのが上手いと思うよ」
「そうですか?」
ワインを一口飲んで、香りを楽しんで。
干しイチジクを齧って、もう一口ワインを飲んで。
ああ、確かにこのワインは美味しいなあ。口当たりが柔らかくて、するりと飲めてしまう。飲みすぎには気を付けないと。
「クレドリタス夫人のことは本当に反省してる。もう意地は張らない。……義母上に言われたように私も家人を避けていたり、そういう点がだめなんだなあ」
「アルダールは悪くないと思います。ただ、そうですね……分家を立ち上げるんでしょう?」
「うん、そうだね」
「なら、人を使うことに慣れても良いかなとは思います」
分家を立ち上げる。
それはバウム家の一員として、貴族位を持ちバウムの姓を名乗るということで跡目を継げない兄として考えれば厚遇として捉える人も多いはずです。
領地内の一部管理を任せる形になるのか、それとも名前だけを継がせるのか。そこはバウム伯爵さまがお決めになることでしょうし、アルダールが聞いているかもわかりません。
王太子殿下のお言葉を考えるなら、爵位を与えられて近衛隊士を続ける道もあるのでしょう。或いはディーン・デインさまが王太子殿下のお側に仕えることを考えてバウム領の代官の道もあり得るかもしれません。
ですが、いずれにせよそうなれば人を使うということについては避けて通れない道だと思うんです。
「……そうだね、そういうのが苦手だとばかり言っていられない、か……」
「とはいえ、すぐにどうこうという話ではないのでしょう? ゆっくり折り合いをつけてはどうですか?」
「うん、そうだね」
アルコールが喉を通って、そこから広がる熱が心地良い。
彼はすでにもう二杯目をグラスに注いでいて、私もついグラスを傾けて空にする。急かされたりしたわけじゃないけれど、置いていかれるような気がしたから。
「ユリアはお酒に強いんだっけ?」
「いえ、あんまり。でも飲むのは好きなんです」
前世でもお酒はからっきしだった。
むしろ今世の方が飲んでいるんじゃなかろうか。
とはいえ家系なのか、お父さまもお酒は強い方じゃなかったし私もそんなに飲める方じゃない。
幸い記憶を無くしたこともなければ騒いで誰かに迷惑をかける酔い方をしたということは聞いていないので、酔ったら寝る、って感じだとは思うんだけど。
そんな私にアルダールは「ふぅん」とだけ言ってちょいちょいと手招きをする。
「なんです?」
「うん、そのまま」
テーブルを挟んで向かい合わせ。だからちょっとだけ顔を寄せれば、あっという間に近づく距離にふと町屋敷でのことを思い出しました。
あの時、アルダールはそういえば『覚えてろ』的なことを口パクで言っていたような。
そう思った瞬間、掠めるようにキスされて、アルダールがふわっと笑っているのが目の前に広がって、アルコールのせいなのか羞恥のせいなのか、かぁっと体中が熱くなるのを感じました。
「キスもワインの味がする」
「……ばか」




