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それから他愛ない話をして過ごす私たちに、ほどなくして執事さんがワインを片手に戻ってきました。
箱に入れるかと問われてアルダールは少し考えてから頷いて、馬車を表に回すようにと指示を出して立ち上がりました。
「お待たせ、ユリア」
「はい」
クレドリタス夫人という人物、厄介だとは思いましたがこのままさっさと出れば出会わずに済むでしょう。
きっとアルダールもそういう考えなんだと思います。
やや足早に部屋を出て、階下に移動したところでアルダールが足を止めました。
「アルダール?」
「……」
見れば、玄関のところに一人の女性の姿。
白髪交じりの茶色い髪に、厳しいまなざしを持ったご婦人です。
言われなくても、アルダールの態度で直ぐに相手が誰なのかわかりました。
(あの人が、クレドリタス夫人)
一見顔立ちだけなら若そうに見えますが、白髪交じりのところを見るとそれなりの年齢なのでしょうか?
もっと若い頃はきっと美人だったに違いないですが、なんていうか敵意剥き出しのその表情が本当にあれですよ、般若ってこういうのを言うんだなって思いました。
うん美人が凄むと怖いんですって。
でも本当に、話に聞いていた通りアルダールに対して冷たいって言葉がぴったりの視線を向けてくることに私は驚きを隠せません。
だって、彼女がどう思ったところで当主であるバウム伯爵さまがご自身の息子だと明言しているアルダールに対してこの態度は無礼極まりないと思うんです。
話を聞く限り、クレドリタス夫人の立場はバウム家の家人に過ぎません。
それが当主の息子に対して……って思ったら普通に咎められて解雇だっておかしくない。
(どうして、バウム伯爵さまはこの人を好き勝手にさせているんだろう?)
放置して暴れたら困るとかそういう意味もあって領内の別荘を任せている、という風にも思えますがそれにしたって。
「お久しぶりでございます、アルダールさま」
「……ああ」
「バウム家のために惜しまず働かれているご様子、ライラも安心いたしました。慢心することなくこれからもどうぞお務めくださいませ」
「……」
これは……聞きしに勝るってやつですかね!
アルダールはいつものこと、くらいなのか無表情ですが私は思わず息をのんでしまいました。
「何か用があって町屋敷に来たんだろう。こんなところで油を売っていないでさっさと戻った方が良い」
「あなたさまとは違いこのライラ、ご当主さまのために動く時間を無駄にしたことはございません。……そちらの女性が王女宮筆頭をお務めの方ですね。バウム家のためにご尽力くださっておいでとのこと、ありがとうございます」
「クレドリタス夫人!」
アルダールが厳しい声で名前を呼んでも目の前の女性は気にする風でもなく、なんだかぞっとしてしまいました。
だって……なんでこの人、アルダールのことをこんなにも蔑ろにできるんだろう?
そりゃまあ、色んな事情があったんだとは思うんですよ。
アルダールの存在が予定外で、それでお嫁さんを迎えるのが難しいかも……とか、こぶ付きでは軋轢が生まれるかもとか、まあそりゃ不安だったとは思うんですよ。
恩義あるバウム伯爵さまの未来に汚点がついてはって思うのはしょうがないかもしれません。
だけど、ですよ。
バウム伯爵夫人はそれをすべて受け入れてくれて、バウム伯爵さまもアルダールのことを『長子』として尊重してくれて、剣の修行にお師匠さまを見つけてくださったり近衛隊に推挙してくださったり、そうして家族として複雑だったけどちゃんとしていたからディーン・デインさまだってあんなに素直に育って、兄を慕って……。
バウム家にとって何一つ、悪いことなんて起きていないじゃないですか。
むしろアルダールは努力しているのに。
「……私が尽くしておりますのは王女殿下です。バウム家のために尽力した覚えはありません」
「ユリア、すまない。もう行こう」
そして、私は……私がここにいるのは、バウム家のためじゃない。
アルダールのためでもない。
アルダールだって、バウム家のために私といるわけじゃない。
ああ、なんだかいやだ。
すごく、いやだ。
私の肩をぐっと抱き寄せて名前を呼んでくれるアルダールの声が嫌悪と焦りを含んでいて、きっと彼は今自分の意地を通したことを後悔している。
ああ、私はこんな時どうしたら良いんだろう、考えるんだユリア。
嫌味な人も、意地悪な人も、たくさん王城にはいるじゃない。そんな時はどうしていた?
なんでもないって、無表情を貫いて。
「お名前を伺っておりませんでしたね」
「……これは失礼を。ライラ・クレドリタスと申します。そちらのアルダールさまの教育係を務めておりました」
「そうですか。では覚えておいてくださいクレドリタス夫人」
「なにをでしょう?」
小首を傾げた夫人を、私はただ静かに見る。
そうよ、目の前にいるのはよその家の家人。だからアルダールに対するその物言いについて文句を言う権利は、私にはない。
だけれど。
「先も申し上げました通り、私がお仕えしているのは王女殿下です。勘違いをなさってはいませんか」
「……なんですって?」
「私はバウム家のために尽力した覚えはひとつとしてありません。そのようなことをバウム伯爵さまから望まれたこともありません。家人であるならば、主が恥じるような真似は控えられますように。……王女殿下に対しても、失礼であると知りなさい」
プリメラさまをだしにしている、バウム家のために輿入れを望んだ。
そんな風にもとれる発言であることを、彼女はわかっているのだろうか?
いいやその側面は否めない。
それは国というものから切り離せない、王家と貴族の関係なのだからしょうがない。
だけど、家人が口出しすべきか?
それは否だ。
心の中で思うのはいいだろう、内内で話す分にも許されるだろう、だけど相手方の家人にこうして『感謝しています』はだめだろう。
「今日の私は非番ですし、アルダールやバウム伯爵さまの面目もありましょう。……何も聞かなかったことにいたします」
「ユリア」
ほっとしたアルダールの声に、ちょっとだけ罪悪感が芽生える。
無視して行けば良かったのかもしれない。
アルダールが意地を張ったように、私もちょっとだけ意地を張ったのかもしれない。
(ああ、まだまだだなあ私!)
「あの方が恥じるですって?」
クレドリタス夫人が私を睨みつけました。
おお、美人の凄みは怖いね! でも生憎と私は美人を見慣れているのです。まだエーレンさんが睨んできた方が怖かった。若さもあったし美貌でも彼女の方がインパクトあったのかもしれない。
……あれは怖かったもんなあ……。
「あの方を誰よりも大切に思うこのライラをあの方が恥じるはずがないでしょう、小娘ごときが……! 所詮は半端者に選ばれた程度の――」
「そこまでですよ、クレドリタス夫人。少々口が過ぎるようですね」
きついながらも上品な態度だったクレドリタス夫人が金切り声を上げ始めたところで身構えた私たちの後ろから、別の声が聞こえました。
聞き覚えのないその声に目を瞬かせていると、アルダールの方が驚いたように階上を見上げ、小さな声で言いました。
「……義母上……」
その声に、私も弾かれるように階上を見ました。
穏やかな表情で立つ、貴婦人の姿。
え、本当に?
こんなところでバウム伯爵夫人とご挨拶ですか? この状態で!?




