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「クレドリタス夫人は、君にとっても少し縁続きになるのかな」
「え?」
私は聞いたことがない人の名前だけどね?
そう思ったことが顔に出たのでしょう、アルダールは小さく笑うと言葉を続けました。
「パーバス伯爵家縁の女性らしくてね、……まあ主家筋ではないからどの程度の扱いだったかまでは知らないんだけれど、あまり良い扱いをされていなかったところでうちの親父殿がなにかしたらしい」
「なにか、ですか?」
随分曖昧な話だけれど、パーバス伯爵家かあ……あそこの当主一家を見ているからきっとそりゃもう精神的に追い詰められるようなことを言われたりとか色々大変なこともあったのかもしれない、なんて思ってしまいましたよ。
でもまあ血は繋がっていないけど、そういう意味で縁続きか、なるほど。
……嬉しくない繋がりだこと!
「いやまあ、親父殿本人からは聞いたことがないからね。そこは曖昧というか、クレドリタス夫人が親父殿について語り出した時に口にしていた話なんだ。まぁそういう経緯があって、彼女はバウム家に連なる男性に嫁いでそれ相応に幸せに暮らし、子供も儲けたという話だけれど……流行病で夫と子供を亡くした」
「……そう、ですか……」
「そしてバウム家で働き始めた、という女性なんだけれどね。先も話した通り、親父殿に救われたということで信奉者のような勢いのある人なんだ」
「え?」
随分とヘビーな人生を歩んでる女性なんだなあ、と思ったところでアルダールの発言ですよ。
困ったように笑ったアルダールが、私が疑問を口にする前に人差し指を自分の口元にあてたので思わず大人しく従うと、すぐにノックの音が聞こえて先程の執事さんが現れました。
「失礼いたします、アルダールさま」
「ああ。どうかしたのか」
「いえ、先程酒蔵の者が問い合わせをしてまいりまして」
「……なにをだ」
「ご所望のワイン以外にも、何本かお持ち帰りになるかどうかと……」
到着当初は慌てていた執事さんもすっかり落ち着きを取り戻したらしく、冷静な口ぶりで淡々とアルダールに報告をしています。熟練のようにみえますが、セバスチャンさんの方がすごい執事なんじゃないかな! 王女宮の誇るイケジジイですもの!!
いやいや、他の人と比べるとかどちらの方にも失礼でしたね、反省です。
「必要ない、例のワインだけで十分だ」
「かしこまりました。ただいま、酒蔵の者がワインをお持ちするかと」
「そうか」
「それでは他にご用事がおありでしたら、いつなりとお呼びくださいませ」
しかしですよ、ある程度は予想していましたけれども……まるで視線も合わせないし、業務的なこの感じ!! 空気がどこかひんやりとしていて、なんとなく居心地が悪いです。
ある程度はアルダールとバウム家の人たちの関係改善がなされたと思ってましたけど、そうですよねそれは家族間のことであって家人との関係まで改善されたとは言ってませんでしたもんね……。
恭しく礼をして去っていった執事さんが完全に出て行ったのを確認して、アルダールが溜息を一つ零しました。
「ごめん」
「い、いえ」
「どうも私が歩み寄れないのがいけないのだろうとは自覚しているんだけれどね、どうしても……うん、少しばかり、ね……」
苦笑するアルダールは少しだけ首を振ってから、私の方へと視線を戻しました。
「それで、話を続けるとだけどね。そんな彼女だからこそ、私という存在が親父殿にとって汚点になるのではないかと常々声高に言っていた人、なんだよ」
「……」
思わず、息をのみました。
ええ、ディーン・デインさまからも聞いていましたし、アルダール本人の口からも聞いていました。
よその女に産ませた子供、何かあった時のことを思うと養子に出せなかった子供。だけれど、正室に迎える女性が不快に思わないために手元に置くことはできないと遠ざけられた子供。
(……いらいらする)
まあ結果としては嫁いできたバウム夫人が私と同じようないら立ちを感じたのかまではわからずとも、受け入れてバウム家の長子となり、バウム伯爵さまも色々と言葉の足りない方だけれどちゃんと息子として想ってくれているみたいだというし。
それでも家族じゃない人がそれをどうこう口出ししていて、それに対して幼いアルダールが傷ついたっていうのなら、やっぱり気分の良い話じゃないですよね。
「私に対する教育係ということでやってきた彼女は、いつだって私を冷たい目で見ていたのが印象的だったね。私がいては親父殿が安心して嫁を迎えることができないのではないか、とっとと縁戚にでも養子に出した方が良いのではないか、名誉あるバウム家のためだ……とね」
「まあ!」
「そう思う人間も少なくなかったが、彼女ほどはっきりと口にする人はいなかったように思う。それもあって私は余計にバウム家に必要のない子供だったと思い込んでしまった部分があって……それで剣の道に進んだんだけれど」
「……ええ」
「そこで才を見せたことに親父殿は喜んだっていう話だが、彼女は違う。バウム家の才能を無駄に浪費したとまで言われたっけな。流石にその頃はもうバウム家の屋敷で暮らしていたから、執事長に叱り飛ばされて私の教育係から解雇されることになったんだ」
そりゃそうだ! 当時の統括者さん、グッジョブ!!
思いっきりそう言ってやりたかったですね、私も。
家庭教師レベルで雇い主の息子に色々吹きこんだり勝手に意見したり何様なのかって話ですよ。
……でもまあ、家庭教師に据えるくらいにはバウム伯爵さまからの信頼があったってことでもあるんだと思えば、その夫人がひどいことはしないだろうって思っていた可能性もあるんですよね。
実際はバウム伯爵さまの『正統な』子供じゃないから蔑ろにしたっていう事実が、アルダールを知っている私からするとなんとも腹立たしい!!
「才能を浪費するだなんて、なんでそんなことを言ったのでしょう?」
「うーん……私もだいぶその頃は彼女の言葉を聞き流すか逃げてしまっていたからなあ。でも多分、私がバウム家を出ていくつもりだったから……貢献するつもりがないってことが、気に障ったんだと思う」
「……なるほど? いえ、納得はできませんが」
なかなかに聞けば聞くほど強烈な御人のようです、クレドリタス夫人。
「それでね、終われば良かったんだけどね。親父殿に手紙で私を遠ざけるかバウム家に尽くさせるかするべきだって陳情書を送るようになってね。親父殿が相手にしないとわかると今度は義母上にまで送るようになって……それで結局、まあ色々あったんだ」
疲れたように言うアルダールが苦笑して、私の方へ手を伸ばし、テーブルの上の手を取りました。
なんだかここで手を引くのもおかしい気がしたので、ちょっと恥ずかしかったけれど我慢です。ええ、私たちはほら、お付き合いしてますし?
変なことじゃないし!? ……普通ですよね?
「親父殿が直々に彼女に、バウム家の持つ別荘のうち一つの管理を任せるから連絡はそのことについてのみで頼む、としたことで私も接点が消えた……と思っていたんだけどね。いやまあ、時々手紙でバウム家に尽くせっていうのは届いていたけど」
最初のうちは見たけれど、最近は来たら見ずに処分していたんだそうです。
どうしてそこまでその方は許されるのでしょうね? 普通に考えたらまぁ縁戚とはいえ地位は低く、雇人扱いですもの。
それにしては当主とその家族に迷惑をかけているのに甘い処分で許されていることに、何か理由はあるんでしょうか。
(……まあ、他家の私が口を挟んでいい問題じゃないですけど)
でもやっぱり腹立たしい。
そう思っているのが顔に出たのかもしれません。
アルダールが困ったように、それでいて少し嬉しそうに笑って握っていた手を緩めて指を絡めるようにしてきました。
それに応じていいのかわからないから、彼の好きにしてもらっていたんですが……いや、なかなかこれ恥ずかしいんですけれども。
「ありがとう、ユリア」
「え、いえ……」
「それとごめん。なんでだろうな、クレドリタス夫人については割り切っているつもりなんだけれどね、スルーすればいいとわかっているのにどうしてもなんだかそれでは負けたような気分になってしまうんだ。いけないね、直していくよ」
アルダールが、困ったように笑う。
そんな風に笑ってほしくはないけれど、私としては何かを言えるはずもなくてただ曖昧に頷くことしかできませんでした。




