244 笑みを深める
今回はニコラスさん視点。
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「性格の悪いことだ」
頬杖を突きながら馬車に揺られる主は、そっけなくそう言った。
それが誰を指して言っているのかを理解できないはずもない。
なぜなら、馬車の中には主と僕しかいないのだから。
「おや、それは心外ですね」
ボクの言葉に応えることもなく、王太子殿下はただ窓の外に流れる景色に視線を向けておいでだった。まあ、景色を眺めているように見えてこれからのことに考えを巡らせていらっしゃるんだろうけれども。
紅茶を淹れて差し出せば、こちらを見ることもなく受け取られる。
本来毒見を通さねばならない身分のこの方が、ボクの用意するものだけは躊躇いなく口になさる。ああ、それがどれだけ栄誉なことか!!
王家のために生まれ、育ち、死んでいく。
それを定められたボクにとって、大勢いるボクらの中で選ばれた時には特に感慨はなかった。忠義が揺らぐだのそういうことじゃない。当たり前のことだから、だ。
だが国王陛下によって、『名前のない』ボクを目の前にした王太子殿下は。
ただまっすぐに、見透かすように見て名前をくれたのだ。
ボクだけの、主となった、たった一人の男の子。
「ボクが立案したのは真実ですが、それを実行するよう命じたのは貴方さまでしょう? 王太子殿下」
「当然だ。それが国益になるとわかっていて行わない理由はない」
英雄という存在は、得難いものだ。
なろうとしてなれるものじゃない。そんな状況がそうそうあってたまるものか。
今回は、状況が整いすぎていた。
幼少期から神童と呼ばれる少女の存在。
巨大モンスターの襲来。
それを退治したのが神童の父親。
英雄は、生まれるべくして生まれてしまった。
だから国は、英雄を取り込まなくてはならない。
ないがしろにせず、隷属させるのではなく、あくまで本人の強い希望によって国に仕えてもらう。
そのための、叙爵。
そして思惑通り、民衆は英雄を歓迎し、それを認めた王家を、国を改めて素晴らしいと褒め称えるのだ。
陰でどんなことがあるのかなんて誰も気にしやしない。
もう一人の英雄であるべきはずの少女は、英雄を複数にするよりも一人に称賛を集中させた方が国としても扱いやすいと判断されてただ『英雄の娘』であり『神童』だとそちらの名声を与えられるに留められた。
まあ、どちらにせよ国にとって民衆にとって、良いように大事にされることだろう。
ただ、彼女の行動はいくら神童だからといって、見逃せない。
あくどい商売をする商人たちに教養のない冒険者が依頼料を掠め取られるのなんて日常茶飯事だ。憂慮して教育を施そうにも、民心が変わらなければ意味がない。
そういう意味で父親の英雄は『今暮らせればそれでよい』という価値観で暮らしていたわけで別におかしなところはない。きっとそのままなら、普通の冒険者として生き、死んでいったことだろう。
(だけど、あのお嬢ちゃんがいたから)
算術を使いこなし、大人の物言いを子供の姿と言葉で論破する。
多分、父親を軽んじられていることに、あるいはそれに気づかずへらへらと毎日を生きている父親にいら立ちを感じて黙っていられなかったってところだろう。
そういう意味ではあのミュリエッタという少女は性根は真っすぐなのかもしれない。
(だけど、こそこそと行動をしているのは減点だね)
「楽しそうだなニコラス」
「おや、そうでしたか」
「当面、あの父娘も大人しくしていることだろう」
「そうだと良いのですがね」
「……多少時間がかかろうとも、楔は打ち込んだ。結果はいずれ出るだろう」
「はい、それはもちろん」
父親が自立したなら、それまで父親を引き上げることで自分を保っていた少女はどうなるのだろう?
娘の助力を失って、自分自身の能力を理解した中年男はどう感じるのだろう?
ああ、ああ、なんておかしな悲劇で喜劇であることか!
「それから」
「はい、なんでしょう?」
「あまり、からかってやるな」
「おや、なんのことでしょう」
まあ、大体は察している。
この方にとって大切な妹君が嘆くことのないように。
「いいじゃありませんか、特別なことはしておりませんよ。ただ、彼女の反応はボクにとって好ましいだけで……それ以上のことは致しませんとも」
「……まあその程度、自制が利く狗でなくては困る」
「おやおや辛辣なご主人さまですね。ええ、勿論今の状況でしたらばこれ以上何かをすることは考えておりませんよ」
王太子殿下が何を言いたいのか、あえて言わないからボクも言わない。
その方が、会話は楽しめる。
ああ、でももし彼女がこの場にいたなら、きっと『胡散臭い』って目でボクを見るのだろう。
貴族のご令嬢で、侍女をやりたがる変わり者で、愛情深くて、武器なんて手にしたこともない。
お菓子作りが好きで、後輩たちに甘くて、家族を愛していて、ああ、どこまでもそこらにいそうな『普通の』女性。
剣聖に恋われる辺りは普通とは言えないが、いや、逆だな。
(あの男も、ボクと同じだ)
普通でないから、普通に焦がれる。
自分にとっての普通を、与えてくれる相手を好ましく思う。
だってそうだろう?
自分たちの境遇を嘆く必要はどこにもない。
だけれど、欲するくらいはあるんだ。
ボクだって、まともな親ってやつの下で甘やかされて育って、学校に行って、武器など持たず争うすべも知らず、笑いあう人生を歩んでみたかった……なんて思ったことがあるからね。
今はまあ、そんな夢物語はどうでもいいと思っているし、案外この人生も悪くないって思っている。刺激的だし国のために尽くせるというのは何よりも大事だ。目立つ側じゃないってのも、ボクのスタイルに合っているし。
「バウム家は王家にとって必要な家だ」
「存じておりますとも」
「ディーン・デインは良き友として私を支えてくれることだろう。プリメラの存在も、大きい」
「はい」
あれほど仲睦まじい少年少女の組み合わせも珍しい。
見ていてこちらも微笑ましくなるのだからすごいことだ。
思い出しているのか、主も目元を和らげているのだから、すごいことだと本当に思っている。
「ニコラス」
「はい」
「……剣聖。その名も、他国に与えるには惜しい」
「承知しております」
「プリメラも、あれが幸せであれば喜ぶ」
あえて名前を出さずに告げられた存在。
だけれどボクは知っている。
この厳格で、まじめで、不器用な主がわざわざボクに釘を刺しているんだってことくらい。
「……承知しております」
「なら、いい。叔父上が色々と便宜を取り計らってくれるとはいえ、まだ私も王太子としての力が足りない。いずれは叔父上の負担も減らしたいところだが……」
王弟殿下、か。
あの人もよくわからない。
だが忠義を尽くすべき王家の一員だと思えばボクとして何かを思うところもない。
むしろあの人の内面は、ボクらとどこか同じような昏いものがあるんじゃないかな、なんて思うときもあるほどだ。
「王城に戻り次第、職務に戻る」
「かしこまりました」
それだけ言うとまた外へと視線を向けた年若い主を見て、ボクはただ笑みを浮かべるだけだ。
王太子殿下が望むままに、と心の中で呟いて。
いつかはこの言葉が、国王陛下の望みのままに、と変わるのだろうなあ、なんて少しだけ未来に思いを馳せて笑みを深めるのだった。




