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「あ、あるだーる? いえ、ちょっと、あの。出先ですしね? 距離がね?」
「そういえば隙があるって言っただろう?」
「は、はい」
ぐっと引き寄せられてより密着すれば私も自分の顔が思いっきり赤くなっていくのを感じます。外では雨がザアザア音を立てていて、この小屋の中に私たちしかいないというのは理解しています。
理解してはいます、が。
だっていつ誰が来るかわからないのに?
私たちを案じて誰かが傘を持って来るかもしれないのにこんな抱き合っている姿を見られたらと思うと、いえ誤解とか何もなく私たちは正式にお付き合いしてますし、なんら恥じるような真似はしていませんけれど!
……いや、抱き合ってる段階で十分恥ずかしいけど。
「もし雨が降った時、あそこにいたのが私ではなくてあの男だったら?」
「え?」
「こうして手首を掴まれて、雨なのだからしょうがないと走り出されたら、ユリアは抵抗した?」
「あの男って……もしかしてニコラス殿のことですか?」
「そう」
「それは……確かに急な雨でしたし、そうするのが最善というなら……いえ、その場合でもニコラス殿はプリメラさまとディーン・デインさまを優先すべきなのですから私が二人きりになることはないと思います」
執事としての立場を考えるなら、雨が降った時に私だけを連れてなんて考えられません!
今回のようにプリメラさまが去られ、ディーン・デインさまがそれを追ったのをニコラスさんが続いたのは当然のことです。それは私も侍女として考えれば簡単なこと。
(……とはいえ、アルダールが言いたいことはそういうことじゃないのよね。多分……)
実際に、ではあの状況でアルダールではない異性が近くにいてそういうことが起こったと想定したら? 例えば……そうですね、メレクだと弟だからイメージ的に当たり前ってなっちゃうので別の人が良いのでしょう。
だとしたら……王弟殿下とか?
うん、手を取られた段階でびっくりしちゃいますよね。
とはいえあの方も私にとったら兄みたいなものだからなあ……じゃあやっぱりニコラスさんで想像してみる……?
「……そうですね、でも考えてみれば確かに振り払うことも難しいです。ないとは思いますが、私に無体を働こうと思えばできる状況を作り出すことは、可能ということですよね」
実際に何かをしたわけではなくとも、異性と二人きりで何かあったと噂されればそれだけで私の名誉はあっという間に地に墜ちるというものです。それが評判ってやつですから、挽回は難しいでしょう。
なぜなら立証が難しいから。
これがニコラスさんだったらと思うとちょっとまだ同僚っていう感覚があるのであれですが、ならず者とか見知らぬ人とか可能性はなくもないっていうのが怖いところです。
ここが王家の森だから、なんてぼんやりしていて良い理由にはならないのですから。
そして、その結果そんなふしだらな侍女を持ったとプリメラさまの名誉にも傷がつくことに……そう思えばやはり私は隙が多かったのかもしれません。反省!
「ごめんなさい、考えが及ばなくて」
「うん。そうだね」
「……本当に、ごめんなさい」
はっきりと肯定の言葉を述べられて、私は思わず俯きました。
ああ、呆れられちゃったかなあ。
どうにも私は詰めが甘いのか、やっぱり世間知らずなのか。
仕事はできる範囲でしっかり務めているつもりだったけれど、まだまだなんだろうなあ。ザアザアという雨音に、気持ちが沈んでしまいそう。
「ユリア」
「は、はい」
「こういう時に、ほかの男の名前を呼ぶのも。だめだろう?」
「えっ……」
にっこりと笑ったアルダールが、私の唇を親指の腹でなぞるようにしてそのまま噛みつくようにキスをしてきて。
あっという間に、私の声は、呑み込まれてしまいました。
後頭部に添えられた手が私がそれから逃げるのを許さなくて、強い力で抱き寄せられているから身動きもできなくて。
「や、アルダール……!」
「前にも言っただろう、私は嫉妬深いんだ」
「ひ、人が来たらどうするの!」
「人が来なかったらいいの?」
「そ、それは……」
それはそれで私が困る。
何度してもアルダールとのキスに、慣れる気がしないんだもの。
頭がぼうっとして私が私じゃなくなるような……ってそんなことを言ったらまた笑われそうだから言えないけれども。
目を泳がせる私にアルダールは笑って、またキスをしてくる。
でも今度は、優しく掠める程度だった。
「聞いたんだ」
「え?」
「王弟殿下に夜着姿を見られたんだって?」
よぎ?
思わず首を傾げてから、それが『夜着』であることにようやく理解がいって、私は悲鳴を上げかけましたね!
あの人なんてことをアルダールに言ってくれたんでしょうか!!
「そ、それは……それはたまたまです! 偶然です!」
「ふぅん?」
「実家に帰った時でしたので気が抜けていたんです、あの時はお父さまの件でとても頭がいっぱいになっていたもので……!!」
「じゃあ」
「あ、アルダール?」
「今は私のことで頭をいっぱいにしてもらいたいな」
「ちょっ……」
慌てる私の抗弁など聞く気が元からないのか、アルダールがまた私を抱き込んでキスをしてきて……でもあれ? うんと……なにか、違う気がする。
いつも、確かに違いが判るとかそういうわけじゃないんだけど……。
甘ったるくて、優しいのは、変わらないんだけど……息ができないような、こんな奪うようなのって、あんまり彼に余裕がないっていうか。
(いや私も余裕がないけど)
自分の口から鼻から抜けるような、甘ったるい声が出るなんて本当に恥ずかしい。
だからって理性を手放すにはまだ勇気がない。
応え方なんて知らない。
抱き込まれるままに、彼の腕にしがみつくくらいしかできない。
これがもし、アルダールじゃなかったら……なんて想像できないくらい幸せだと感じているから私もかなり末期なんだろうなあって思うんです。
「……私は、ずるいんだ」
「あ、アルダール?」
ぎゅぅっと抱きしめられて、困ったような声音が私の耳元で囁かれました。
アルダールの顔を見ようとしても、ぎゅうぎゅうに抱きしめられて動けません。
「本当は……」
「……本当は?」
「……」
「アルダール?」
何かを言いかけて、アルダールは口を閉ざしてしまいました。
どうしたんだろう、私は何を言いたいのかと聞いた方がいいのかと迷いましたが上手く問える気がしなくて、黙り込んでしまって……なんだか微妙な空気が流れます。
(困った)
そんな私から僅かに体を離してアルダールが、窓の外へと顔を向けたので私もつられるようにそちらへ視線を向けました。
「……雨が止んだみたいだ」
「えっ、あ、本当……」
雨が止んで光が差し込んでいることに、まるで気づきませんでした。
思わず窓に張り付くようにして外を見る私を、アルダールが後ろから抱き込んできて思わずびっくりしましたけれど別にいやではなくてですね、……ここで嫌がったりとか恥ずかしがったら、彼はきっと引いてくれるってわかってます。優しい人だから。
でも、そうしたら、同時に傷つく……そんな気がしました。
だから、ちょっとだけ凭れるようにアルダールに体を預ければ息を呑むのが気配でわかりました。
(ああ、この人はどうしてこんなに優しいんだろう)
甘ったるいくらい私を甘やかして、自分のことを考えてくれというこの人はずるいのではなくて、ただただ優しいんじゃないかなって思うんです。
私の中では男性ってもっとガツガツしてるのかなって思ってたから、こんなに優しい人で申し訳ないなあっていつも思うんですよ。
「プリメラさまたちは、もう館に戻られておいででしょうか」
「そう、だと思う」
「アルダールと私の馬はどうなっているんでしょう」
「……侍女たちも雨宿りしているんじゃないかな、あの辺りで」
「誰も風邪をひかないとよいのですが」
「そう、だね……」
ぎゅっともう一度、アルダールが私を強く抱きしめました。ちょっと苦しいくらいの抱擁でしたが、やっぱり優しいものでした。
そのまま首の付け根にキスをされた時にはまたびっくりしちゃいましたけどね!
「やっぱりユリアは隙が多い。気を付けてね?」
「あ、アルダールだからいいんですよ!」
「……そういうところだよ、まったく」
いやいや、おかしいよね。
私、間違ってないと思うんだけど……どうでしょうか……。




