240 きつねがり
溜息が、出そうになるのを堪える。
私の目の前には肩で息をするウィナー男爵、そして襲撃者を次々と縛り上げるセバスチャン殿の姿。
(……今頃、ユリアたちはどうしているのだろう)
気に入らないが、あのニコラスという男がついていて妙な事態にはならないのだろう。
王太子殿下の落ち着いた表情を見ればこれが計画通りというやつなのだろうということくらい理解できる。
大体、この狐狩り自体が奇妙な話だった。
ディーンに会って話をしてみたい、それ自体は妹を思う兄として……と言われれば確かに納得もできた。
だがディーンの兄、それも庶子という立場に過ぎない私を招く理由が無理矢理すぎる。
それに加えてウィナー男爵の招待だ。
王太子殿下から、貴族になりたてで苦労するウィナー男爵に、労いの言葉に加え、自立を促すこと。
それとその娘への気遣いを見せて社交界デビューへのお膳立てをするということは別にわざわざ招いて話すほどのことじゃない。書状で十分だ。
一代貴族の男爵に、王太子殿下がわざわざ時間を割いてまでそうする理由はなんだということになるが、それも『ほかの貴族から無用の嫉妬を買わないように、内々に』という丁寧な忠告付きだ。
(親父殿が警戒していた通り、まともな狐狩りではなかったわけだが)
いいや、ある意味狩りは成功か。
狐が少々黒くて厄介そうな爪を持っていただけで。
「お、王太子殿下、違うのです……!!」
聞く方が心を痛めそうなほど悲壮な声を上げて、ウィナー男爵が王太子殿下の馬の前まで駆け寄る。
彼がそんな声を出すには当然理由がある。
我々が狐狩りに出立して少ししたところで、襲撃があった。
出立したのに犬を準備しているはずの狩人との合流先が随分と遠いと思った矢先の話だった。
私とセバスチャン殿、そしてウィナー男爵が応戦した結果こうして全員無事であるわけだが……その際、襲撃者たちは『ウィナー男爵の指示で襲撃した』と言ったのだ。
そんなわけがない、と叫ぶ男爵に男たちは口々に言う。
『王太子が狐狩りをする場所と時間を知らせてきた』
『我々を撃退して恩を売り、娘を側室に押し上げるつもりだったのだ』
『他国とも通じている、その証拠に今も多くの冒険者たちと交流を続けている』
『だから、我々は利用されただけだから罪の多くは男爵だ』
その声に違う、違うと男爵が叫び今に至る。
「安心するがいい、ウィナー男爵。貴殿の潔白は、知っている」
「王太子殿下……!!」
「この者らについては今後背後関係を洗わねばならんが、貴殿という英雄はまだこの国にとって影響が大きい。それ故に狙われた、それだけのことだ」
王太子殿下の怜悧なまなざしに、ウィナー男爵が平伏する。
だがその言葉は男爵を気遣うようでその実、襲撃を知っていたのに教えなかったともとれる。そして男爵がそのダシにされるという風にも。
私が視線を向ければ、王弟殿下が唇の端だけ釣り上げるようにして笑った。
おそらくは計画を立てたのは、王太子殿下か或いはあの専属執事だろう。
ウィナー男爵を使った狐狩り、というやつはとんでもない計画だと私は溜息を吐き出したいのをぐっと堪える。
襲撃者を私たちならば撃退できると信頼してくださるのはありがたいが、御身を大事にしていただかねば。何かあってからでは遅いというのに。
視線だけ動かしてセバスチャン殿を見れば、あちらは涼しい顔をしている。
男たちを縛り上げることも、猿轡を噛ませる様子も、随分と手馴れているなと思うが言及することでもないんだろう。
「バウム卿」
「は」
「見事な剣捌きであった。いずれバウムの分家当主としてディーン・デインを支える立場となるのであろうが、できれば今のまま近衛騎士として残ってもらいたいものだ」
「……過分なるお褒めのお言葉、身に余る光栄にございます」
「ディーン・デイン、お前もいずれはあの兄ほどに力をつけるのだろうな、騎士として名を上げてくれることを期待している」
「は、はい!!」
なるほど。
私に対しても、王太子殿下がああ声をおかけになれば剣聖候補も囲い込めるというものか。なかなか面倒だなと思わずにはいられないが、これもしょうがないんだろう。
貴族でなければ、と思わないわけじゃないけど。
「しかし襲撃が遭って尚このままというわけにはいかない。妹たちにも報せるには心配をかけてしまうだろう。狙われたのは私だ、適当な理由をつけて王城に戻るとしよう」
「そうだな、それがいい」
「ウィナー男爵、巻き込むような形になってしまったな。だが貴殿の潔白は先も告げたように私が知っている。胸を張ってクーラウムの貴族として責任を果たしてほしい」
「は、はい! 必ずや!! ……信頼してくださって、ありがとうございます……!!」
きっとこれは必要な茶番というやつで、私もその役者に数えられているに違いない。
勿論、この国の騎士として私も否やというはずもないが……王太子殿下はやはり、国王陛下によく似ているな、というのが正直な感想だった。
(やれやれ)
「セバスチャン」
「は」
「父上の側付きであったというお前の実力も見てみたかったのだ。許せ。……これからもプリメラのことをよろしく頼む」
「……畏まりました」
なるほど、私とセバスチャン殿は腕試しをされたしウィナー男爵は身をもって王太子殿下に潔白を示したと言える条件はそろっているわけだ。
なんともひどいシナリオだが、我々が知るべき領域ではないのだろう。
私とて貴族家の長子だ、綺麗ごとで世の中はやっていけないことを知っている。ましてや、権力が絡めば絡むほど厄介だということは嫌というほど知っている。
今回の件は、ディーンにとっても良い経験だったのだろう。ひどい顔色をしてはいるが、襲撃の際は王太子殿下を守るために盾となれるよう動いていた。
この先、ディーンがこの方の右腕となれるかどうかはまだわからないけれど。
それでもこうしたことが将来的に再び起こらないとは限らない。
「セバスチャン、この先に狩人がいるから奴らを使ってこいつらを騎士隊に引き渡してくれ。オレたちは一旦、館に戻る」
王弟殿下がそう言葉を発すれば、否やなど誰が言うものか。
私が近衛騎士としてではなく、バウム家の長子として来ていることもきっと織り込み済みに違いない。
「ウィナー男爵には悪いが今回のことは他言無用だ。娘にも狐狩りに誘われた件も含め、今日のことは何も知らないで押し通せ、いいな?」
「は、はい……!!」
ウィナー男爵が壊れた人形のように首を縦に振る。
その様子を満足そうに見やった王弟殿下が、今度はこちらを向いた。
「オレとアラルバートは一足早く王城に戻るから、お前ら兄弟はプリメラとユリアのところに行って適当に理由をつけて楽しませてやれ。気づかれるなよ? 合流したらニコラスも王城に来るよう伝えてくれ」
「は、はい!」
「……畏まりました」
「そういやアルダール、ちょっといいか?」
「なんでしょうか」
ちょいちょい、と手招きされて馬を寄せると王弟殿下が声を潜めて、ディーンに聞こえない程度の声音で私に笑いかける。
「ユリアの奴、ちょいちょい抜けてて隙があるからな。ニコラスの奴には十分気をつけろよ」
「……承知しております」
「何せあいつ、前にオレがファンディッド子爵家に泊まった時に夜着でうろついたりするくらい変なところが無防備だからな。お前なら大丈夫だと思うが……」
「……」
「おい、妙なところに食いつくな。忠告してやってんだから」
「……ありがとうございます」
いや、絶対面白がっているだろう。
そう思った私は悪くない。
まったく、この人は何を考えているのかさっぱりわからない。
ユリアに言わせれば王弟殿下は兄のような存在だというから、この方から見ても彼女は妹なのかもしれないが、正直面白くない。
まったく、彼女はこの方が言うように変なところで無防備だから。
(……早く、ユリアに会いたい)
溜息が出そうになるのを、また呑み込んだ。




