235 何かが、ひび割れる音がした
ミュリエッタ視点になります。
お父さんが招かれた、王太子殿下の狐狩り。
今、目の前にはお父さんと、王太子殿下の執事だというニコラスがいる。
ほっとしたような顔をしているお父さんと、にこにこしているニコラス。
二人とも和やかな雰囲気であたしの前にいるはずなのに、あたしには、なんだか妙に思えてならなかった。
ニコラス。
ゲームで隠しキャラの中でも難易度の高い人。
王家に忠誠を誓い、王太子殿下の『影』として人に言えないようなことを冷静に、笑顔のまま処理をしていくっていう役割を持っているキャラだった。
基本的に王太子殿下ルートから派生するだけあって、間違えると王太子妃ルートになっちゃう。
かといって王太子殿下の好感度が低いとルートそのものが発生しないという綱渡りでしかクリアできない隠しキャラ。
彼は自分の役割をきちんと理解して、そしてそれを誇りに思っている反面『普通』に憧れている。
だから主人公であるあたし、ミュリエッタが『普通の女の子』であることを眩しく感じて……っていう感じのストーリーなのに、今目の前にいるニコラスは、にこにこ笑ってはいるけどあたしに対して好意的とは思えない。
前回、学園の先輩だってことで声をかけてくれたんだけど……設定集には幼少期、修業に明け暮れていたってあったからそれはきっと嘘だ。
あたしにきっと、会いに来たんだ。
でもその時はそんなイベントが起こるなんて思っていなかったから、あたしは油断して思わず彼のことを名前で呼んでしまった。
幸いニコラスは、お父さんと話をしていたから気づかれなかったみたいだけど。
「いやあ、わかりづらい招待状だったようで大変申し訳ございませんでした男爵さま」
「い、いえいえ。不慣れな此方のミスですから……心細さのあまり優秀だからとついつい娘を頼ってしまうようでは父親としていけないと思いましたので、これからは頑張りたいと思います。そのことをお伝えいただけたらと……」
「それは心強い! 勿論ですとも、男爵さまのそのお言葉、王太子殿下も大変お喜びになるかと」
(どういう、こと)
「ご令嬢にも客室で待機していただいて、誠に申し訳ございません。こちらの不手際とはいえさぞかし心細かったことでございましょう」
「……いい、え。大丈夫、です」
「さようですか、流石は男爵さまのご息女です。王太子殿下よりお二方をおもてなしするよう申し付かっておりますので、ああ、どうぞそのままお待ちくださいませ。今給仕の者たちが参りまして昼食の準備をしてしまいますので」
お父さんはあたしに向かってにこにこと嬉しそうに笑って、あたしの向かいに座った。
豪奢な部屋、だけどそれは王族の持っている別荘の一つに過ぎないところなんだけど、勿論あたしたち父娘からしたらとんでもない場所で、ここに招かれたってすごいことだって二人で喜んでいたのはつい最近だったのに。
なんだろう、これは、違う気がする。
歓迎されている、今までの失敗よりもこれからを望んでくれている。
そう思うのは甘ったるい幻想だって、あたしも思っていたから妙だなとは思ってた。
だけど、あたしの礼儀関係のミスも平民出身だからしょうがないって、可愛いものだったはず。
お父さんが冒険者仲間に愚痴ったのは色んな意味でいただけなかったけど、それだってあの時セレッセ伯爵さまに叱られて反省したし、あの時の仲間たちには変な噂なんて流さないように釘だって刺したし。
あたしたちは、英雄。
悪役令嬢じゃなくなってたのは驚きだけど、それはあの王女さまだって認めてくれた現実。
勿論、英雄なんて肩書は今だけのネームバリューでしかなくって、今はちやほやされてるけどこのままじゃいけないっていうのもわかってるつもりだった。
そのために、王太子殿下が手を差し伸べてくれたんだって思ったの。
お父さんは招待状が届いてからもうウロウロしちゃって、ああ、ここでもあたしが頑張らなきゃって思ったの。
初めて、あたしがお父さんの代わりに商人とやりとりした時。
困りながらも「それでいいよ」ってぼったくられてたお父さんにあたしが我慢できなくて、正しく報酬をもらって、……そりゃまぁ簡単な足し算だったから、逆にお父さんが頼りなさ過ぎって思ったけど。
(でも、あたしがお父さんの役に立てるって嬉しかったからで)
そこは別に『神童だ』なんて周囲に褒めて欲しかったわけじゃない。
ちやほやされて嬉しくなかったわけじゃないけど。
だけど、それはお父さんの頑張りをずるい商人に持っていかれるのが許せなかっただけで、あたしたちは別に、まじめに生きてきただけで。
(どうして、上手くいかないのかな)
真面目に生きていて、幸せを望んでいるだけなのに。
なんだか、あたしが描いていた幸せと、全然違う。
お父さんは嬉しそうに笑ってる。
だけど、あたしは?
ねえ、お父さん、あたしはもう、要らないの? あたしに頼ってばっかりじゃって、あたしがいなかったらお父さんは英雄になれなかったんだよ? きっと地方とかで細々とした仕事を請け負って、報酬をごまかされて、それでも気づかないままへらへら笑ってお酒飲んで、それはそれで楽しい人生かもしれないけど。
「ミュリエッタ、お前の社交界デビューの日も決まったんだよ!」
「え? だって、生誕祭の日にあたしたちパーティに……」
「ああ、あれは特例というか、叙爵のお祝いでしたからねえ。ご令嬢として正式なデビューは合同式のような形になってしまいますが、そちらから。それが済みましたら色々な茶会からの招待状も届くと思いますよ! 大変見目麗しいお嬢さまですからね、どこかの奥方がご子息の妻にと望まれる未来もそう遠くないかもしれませんねえ」
にこにこととんでもないことを言うニコラスに、お父さんが照れ笑いをしている。
違う、それはあたしがどこかの誰かに申し込まれたら、断れないじゃない。
だってあたしたちは『男爵』で、しかも一代貴族。
そのランクは貴族の中で言えば相当下なんだって、教育係さん言ってたじゃない!
(……違う)
お父さんは、喜んでいる。
あたしが、自分の力でなにかを切り開いていくよりも、どこかの貴族男性と結婚したら、安泰だって……あたしが食べるに困らない、綺麗な服を着て笑ってられるんだって本当に思ってそうだ。
だってそれは、あたしがお父さんに、思ってしてきたことだもの。
「王太子殿下はお前にも、男爵としての私にも、それぞれに道をくださったんだ。お互い期待に応えないといけないな! ミュリエッタ」
「いえいえ、ご息女の優秀さは多くの方々の耳にすでに届いているかと。学園でも麒麟児が現れたのではとすでに期待から話題となっていると聞いております」
「本当ですか! ニコラスさん!!」
「はい、自分もあの学園の出身者でございますから」
(うそつき!!)
学園なんて通っていなかったくせに。
でも、言えない。
あたしの立場が、危うくなる。きっと、そう、今だって本当は、もしかして危ういのかもしれない。
知らない人に嫁ぎたくなんてない。
あたしは貴族になんて未練はない。
だけど、お父さんはそれを望んでいる。お父さんの地位を安定させるためにはあたしがここで『良い子』でいるしかない。
(神童? 冗談じゃない! あたしが知っているのは、あと一年。そこまでなのに!!)
「失礼いたします」
「おや、どうしました?」
「王女殿下よりの賜りものにございます。巷で人気の『マシュマロ』を是非ウィナー男爵さまならびにそのご令嬢にと」
うやうやしく、銀の皿に盛られたマシュマロ。
白くてふんわりして、あたしの記憶の中じゃ粗末なおやつくらいの感覚だった、懐かしいそれ。
侍女が置いたそれをニコラスが「どうです?」なんて言うから、おそるおそる手を伸ばして一つ、食べた。
「最近人気の出ている菓子なのですがねえ、なかなか入手困難という話でしたが王女殿下がお気に入りのお菓子ということで、宮の料理人が作って持たせてくれたそうなのですよ。……まあ本日持ってきてくださったのは王女宮筆頭侍女にして子爵令嬢であるあの方ですが、ね」
ふわっとして、柔らかくて。
ああ、優しい味がする。
あたしの足元が崩れてく。でも、この甘いお菓子と今のテーブル、これがあたしの立ち位置なんだ。
……どうする。どう脱したら、良いのだろう。
あたしが、幸せになるには、どうしたらいいんだろう。
マシュマロの甘さとは別の、甘ったるくて冷たい目のニコラスが、にっこりまた笑った。




