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(どうしよう)
サロンを後にして、私は廊下で少しだけ。本当に少しだけ、迷っていました。
きっとお義母さまは、お部屋にお戻りになっているでしょう。あの騒ぎで、顔色も酷くて、家族問題……勿論、私達もパーバス家も、両方のことで心を痛めている中だということは推測できます。
そんな時に、何を話しに行けばよいのでしょうか?
いえ、そもそも話す必要がある?
でもキース・レッスさまだけじゃなくてメレクまでお義母さまと話して欲しいと言ってきた、そのことを軽く考えてはいけない気がするし……、そうやって悩んでしまうと、どうしても足が上手く動かないのです。
お義母さまの部屋の近くまでは来てるんですけど。
(ええい、ままよ!!)
けれどグジグジしていてもしょうがありません!
変に悩んだって良い結果は出ないって学んだはずですユリア・フォン・ファンディッド!!
女は度胸! 行きましょう。
ってことでノックをすると、すぐに中から返事がありました。
私が名乗ると、お義母さまは少しだけ躊躇ってから「……どうぞ、入って」と言ってくださいましたのでドアを開けて入ると、お義母さまは椅子に座ってぼんやりと窓の外を眺めておいででした。
普段はきりっとして、活発な印象を受ける女性でしたが今は……ぱっと見てもわかるほどに、憔悴しているようです。
「お義母さま……その、お加減はどうでしょうか。医師を呼ばなくても、大丈夫ですか?」
「ええ。ただ……少し、疲れただけだから。貴女も疲れたでしょう?」
「……」
椅子を手で示されて、私は向かい合うように座りました。
お義母さまは窓の外をまだ眺めていらっしゃいましたが、ため息をひとつ吐き出してから、私の方へと向き直りました。
「さぞかし滑稽だったでしょう?」
「え?」
「ああ、いえ嫌味とかではなくて。貴女が私たちを嘲笑うなんて思ってはいないの。……だけど、自分でも思うのよ。滑稽だわ、って」
「お義母さま?」
唐突に切り出された言葉に、私はぎょっとしてしまいました。まぁ、いつものように顔には出しませんでしたしお義母さまも気にしてはいらっしゃらぬご様子ですけども。
「私も貴女も、貴族の娘として生まれたというのにどうしてこうも違うのか、とさっき思ったわ」
「……そうで、しょうか?」
「ええ。パーバス伯爵さま、つまり私のお父さまはね、嫁入り先を見つけることをあまりお好みにならなかった。どうしてかわかる? 頭を下げるのが嫌だから。だから、あの人が奥さまを亡くされて、子供のことで悩んでいると知った時に恩着せがましく私を嫁に出したのよ」
「……」
「ああ、悩んでいるというのは別に貴女を持て余したという意味ではないわ。あの人は、心底家族を愛してくれている。……私は、ちょっと違うかもしれないけれど」
お義母さまはちょっと寂しそうに笑いました。
私はなんと言っていいかわからなくて戸惑っていたわけですが、お義母さまは気にしておられなくて、いいえ……多分、吐露してしまいたいんでしょう。色々な気持ちを、吐き出してすっきりしたいんでしょう。
それには恐らくお父さまには『妻として』言えないし、メレクには『母として』言えない。そんな矜持がそこには見えた気がしました。
私に対して『娘だから』というよりも、同じ貴族の娘としての立場、義理の親子という関係、そういうものが話しやすく、そしてこの家にいる誰よりも話しやすい相手だったのではないでしょうか?
キース・レッスさまがそこまで見抜いておられたかはわかりませんし、メレクもどこまでわかっていたのかはわかりませんが……。
「ごめんなさい。面倒よね」
「お義母さま」
「わかっているのよ、頭では。私はファンディッド家に嫁いだ段階で、パーバス家よりもこの家のことを優先すべきで、そしてこの家で私はきちんと妻として、母として、大切にされている。そのことには何よりも感謝しているわ。女であり、よそから求められるほどの器量もない、そう言われていた実家の暮らしに比べたら雲泥の差だったもの。手放してなるものかって思ったもの」
ああ、この人も、同じなのだなあと思いました。
器量良しじゃない、なんて言われ方をされて誰が嬉しいでしょう。家族ならなおさらに。
そこで押し付けるように嫁がされた家は家格が下で、厄介払いされたのだとお義母さまも感じたのでしょう。でも、お父さまはあんな感じに弱腰でも、亡くした妻を今でも愛していたとしても、すくなくともお義母さまを蔑ろにするようなことはなかったはず。
そして長男であり跡継ぎとなるメレクも生まれ、ようやくご自分の自尊心を満たすことができたのでしょう。
(私という存在が、目障りだったのではなく怖かったのかな)
同じように、器量の良くない貴族の娘。
お義母さまは家族に認められたくて一生懸命に良い子にして、言われるがままに過ごしこうしてここに嫁いできたのかもしれない。
それなのに同じような境遇のはずであっていい義理の娘は、不器量と言われてもへこたれず、父親に愛されて、弟に慕われて、仕事も始めて生き生きして、挙句に生き甲斐だ何だと言い出して地位を得て、恋人まで得た。
私は、お義母さまからすると正反対の道を歩んでいるように思えていたのでしょうか?
それはもしかして、私がミュリエッタさんに対して感じるコンプレックスと、どこか似ている……?
「さっきね、あの人が……ファンディッド子爵として、ってエイリップを出入り禁止にしたでしょう」
「あっ、はい……」
「ああいいのよ、貴女が悪いことをしたなんて思ってないの。あの子は昔から乱暴で、……私のことも見下していて、基本的に女性を見下しているというか……まあ、そこは兄さまの躾の問題でしょうから。まあ、私も親戚として他人事のように言うのは、いけないのでしょうけれど」
お義母さまは、淡々と喋りながら、うっすらとそこで笑みを浮かべました。
なんとなく、儚くて消えてしまいそうみたいな空気になって思わず私が腰を浮かしかけると、お義母さまは何を思ったのか笑みを消して私をじっと見てきたのです。
それまで、向かい合っているのにどこか遠くを見ていたお義母さまが、です。
「ファンディッド子爵夫人として、意見を求められて。お父さまや息子を前に、あの時私は何も考えられなかった気がするわ。それでも、夫が私を『ファンディッド子爵夫人として』尊重してくれた、そのことにようやく気が付いたの。遅いと思うけれど」
「……」
「よくわからない、という顔ね。ええ、そうね。私は嫁いできたその日から、ファンディッド子爵夫人として努めてきたわ。良き領主婦人、良き妻、良き母。そのいずれの面も努力してきました。貴女へ多少のやっかみの気持ちを持っていたけれど、それは……私がまだ、パーバス家の娘としての感情を持っていたからでしょうね」
私には、何も言えませんでした。
お義母さまは、色々やはり抱え込んでいらしたんですね。お父さまのあの言葉で、唐突に吹っ切れた、というのがちょっぴり不思議ですが。
「本当はね、わかっていたのよ」
「わかっていた?」
「パーバス家の誰もが私に期待していなかった。ファンディッド子爵夫人として頑張れば、家族を見返せると思っていた部分があるっていうこと。だけど、私の家族は、貴女たちだったのよね」
「お義母さま……」
「今更だわ。もう、あとちょっとでファンディッド子爵夫人になって二十年になるというのに。息子が婚約者を得るくらいに大きくなったというのに。私は、私の家族が誰なのかすらわかっていなかったのねえ……」
ふっと笑ったお顔は、悲し気でしたが。
とても、とても綺麗な表情でした。すっきりした、というんでしょうか。
私はそれをどうして良いかわかりませんでした。
「ユリア。貴女は私のように悩まなくて良いの。私と違って、貴女はちゃんと『家族』に愛されているわ。私のせいで家族は、家族として今まで少し、歪だったかもしれない。だけれど、これからは、ファンディッド家の一員として、私も生きていきます。貴女の義母として、メレクの母として、立派になりたい。今更だとしても、赦してくれますか」
「お義母さまは、この家に来られた時から私にとってお義母さまです! 私だって、可愛げのない娘であったと反省して……!!」
「あら、可愛かったわよ? 見目とかそういう意味だけではなくて、可愛いという言葉は愛すべき相手に使うものだと、メレクを見て笑う貴女で気付いたの。そして、可愛かったからこそ、……貴女が愛されていると知るからこそ、妬ましかったのよ」
「お義母さま」
「あの人も、私も、親としては未熟も良い所ね。娘と息子に助けられてばかり。……だからこそ、これからは、領主夫人としての時間は短いけれど、親としては頑張っていくわ。メレクのお嫁さんにも、あまり変に口出しをしないつもり。顔合わせも、メレクが望むように、どこかおかしいと思う所だけ、話し合っていきたいと思うの」
お義母さまは少しだけ早口にご自分の決意を述べられて、それからまた泣きそうな顔を少しだけして。
それを堪えるように、俯いてしまわれました。
「きっと、まだ……お父さまや兄さまを前にすれば、私は言葉も出ないのでしょう。貴女たちに何があっても、声が出ないかもしれない。それでも、これから。これから、親子になってくれないかしら……」
お義母さまの、小さな声に私が泣きそうになりました。
ああ、ああ。
私は、この人のことも、ちゃんと見ていただろうか。
メレクを産んで、幸せになった人。私の義母。そんな風にしか見ていなかったのではないだろうか?
「私も……至らぬ娘ですが。どうか、これから、……もう少し、帰省する日を増やしたいと思います。その時には、もっと、お話しして、いただけますか」
「ええ……ええ、もちろん……!!」
ここに来て、ようやくお互いの姿を見るだなんて。
人間って、複雑です。貴族だからじゃないですね、私たちがあまりにも、不器用だったのかもしれません。
そういう意味で、パーバス家の襲来は我が家の転機だったのかもしれません。
来客? いいえ、あれは襲来で十分です!!