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お義母さまは疲れたからと自室に戻られて、サロンはなんとなく気まずい空気に包まれました。
無事、パーバス伯爵さまたちとのファーストコンタクトを成し遂げ、なおかつどちらかと言えばファンディッド家の方向性を伝えることも成功したというのになんでしょう、この空気!
(えっと?)
いえ、なんていうかですね。
お父さまは座ったまま、両手をテーブルの上で握りしめたまま私を困惑した目で見ている状態。
そしてその隣でメレクが緊張した顔でお父さまを見ているんだけど何をきっかけに話しかけていいのかなっていう雰囲気駄々洩れ。
……という、よくわからない図式です。なんだこれ。みんな言いたいことは言おう?
このまま気付かないふりをして私は部屋を出た方が良いのかな、それとも声を掛けるべき? まあ、私も気が付いているんだからなにもしないというわけにもいかないよね。ちゃんと言葉は伝えなきゃって自分でもちょっと前に思ったばかりだし。
「お父さま、メレク、お疲れさまでした」
「姉上も。……ありがとうございました」
「え?」
「……本来なら、僕が、父上と一緒に仕切るべき場を姉上がこのように準備してくださって、僕が堂々と発言するまでの時間をくださったことです」
メレクが立ち上がって、そっと頭を下げてくる。
そんな弟の様子に、思わず私がぎょっとするわけだけど、それをお父さまはまた奇妙なものを見ているような感じで……えぇと、なんだこれ?
「頭を上げて! そんな大したことはしていないのよ。私はただ侍女たちに少しだけ教えただけだしそれで話し合いが少しでも和やかになればと思っただけよ?」
メレクが言うのも理解できるけど、そこまで大したことはできてないのも事実。普段私が行っている“おもてなし”の中からできそうなところをファンディッド家の侍女たちに教えて、料理人とメッタボンに協力をお願いしてお茶菓子と茶葉を用意しただけの話。
私自身がしたことは指示しただけで、実際にお茶を淹れたわけでもなければお菓子も作っていない。
貴族の子女としての振る舞いの範囲内でパーバス伯爵さまと牽制の言葉をいくつかやり取りはしたけど、突っ込んだ会話にならなくてほんと助かったとか思ってるんだけどね?
「いいえ、姉上がいらっしゃらなければこうは進まなかったと思うんです!」
「えっ」
メレクはちょっと、うん、あれだ。
離れて暮らしていた分、私のことを美化してないかな……!?
仕事がデキる姉、程度で収まる程度の話なのにもしかして弟の中で私の株が爆上がりしてるとかそんな予感がする!?
いや待て、お父さまの件から考えたら私の知らないうちに偉い人たちが関与して片付いたけど、本当に偉い人たちが暗躍したおかげで私が実家にいる間にサクサク解決! みたいなことになったんだからメレク視点で考えたらあら私、超人かな?
「め、メレク? メレクはちゃんと今回、先程のように自分の意思を伝えたのだし……私がどうこうではないと思うのよ?」
「いえ! ……父上、僕はきっと頼りない息子だったに違いありません。でもこれからは父上に頼っていただけるよう、より精進してまいります。姉上、もし、あの。帰るまでにお時間があれば、お話がしたいと思います……が、今は母上のことが気がかりですので……」
「え、ええ。お義母さまのことをお願いね」
お義母さまに関しては今回のことでは思うところが色々あるようですし、ここはメレクの方がお話ししやすいかもしれません。
それにしても、結局のところパーバス伯爵さまの考えはあまりわかりませんでした。
精々分かったのは、あのご老人はパーバス家にとっての絶対的存在だってことで、孫のエイリップ・カリアンさまは私に敵対的だってことですよ。
でもメレクがきちんと宣言をした以上は妙なことにはならないでしょう。ならないよね?
お父さまはメレクに対しても何か言いかけて、口を閉ざして、次は私を見て、何かを言いかけてまた口を閉ざして。
メレクも何かお父さまに対して言いかけて……でも上手く言葉が見つからないのか、ぺこりとお辞儀をして出て行きました。
なんでしょうねえ、本当にうちの家族ったら……もうちょっとこう……上手くできないですかね!?
(違うな、まず私から……だよね)
気まずさを気にしていては始まりません。
私はレジーナさんの方を見て二人きりにして欲しいと言おうとしましたが、彼女は私が視線を向けただけで察したのでしょうか、にっこりと微笑んで優雅な一礼をし、外に出て行ったんです。
わぁ、なんですかすごいな護衛騎士、空気読む能力高すぎない? 私がわかりやすいの?
……実家に来てから、普段の自分らしくないとは自覚していますがちょっとひどすぎるなあ、私。
立ち上がって、お父さまのそばによるとお父さまは何とも言えない表情で私を見上げました。
「お父さま、メレクの申し出、どう思われました?」
「ど、どうって……」
「もし、パーバス伯爵さまと二人の時にメレクを説得して欲しいと言われたら、どうなさいますか?」
「……」
「勿論、当主としてお決めになるのでしたら私が口出しすべきことではないとわかっています。……でも、メレクは、私にとっても可愛い弟で、お父さまにとっても、可愛い息子でしょう?」
「それは、勿論そうだ!」
はっきり、きっぱりと愛すべき家族だと言ってくれたことにちょっと照れてしまいそうですが、いやこれ当たり前のことなのか。私だってメレクもお父さまも、勿論お義母さまも家族として愛してますからね!!
「でしたら、私としては……メレクの意思を、尊重してあげたいのです。だめですか、お父さま」
「だめ……ではないよ、ただ、ほら、パーバス伯爵さまがメレクの祖父君であることは事実だし、今まで共に過ごす時間が取れなかったというのも事実だと思うんだ。あの方は辺境方面への軍事系で運輸責任者のおひとりでもあられたから、大変お忙しい方で……私も部下としてあの方の下についていた時はその人の出入りの多さに驚いたものだったし……」
「……それは、そうだと思いますけれど。でもあの方が引退後にこの家に住まわれると知ったら、セレッセ伯爵さまやオルタンスさまは良い気分ではないと思います」
「そ、それもそうなんだがね……はぁ、どうしたものかなあ。パーバス伯爵さまもあそこまでメレクがはっきり言ってくれたからきっと無理は仰らぬと思うけれどね……。祖父として孫の成長をきっと今頃は喜んでくれていると思うんだ」
「それだとよろしいのですが」
そうかなあ……お父さま、ちょっと楽天的過ぎないかなあ……?
本当にただ祖父として孫の成長を喜ぶんだったら婚約が調いそうなこのタイミングで横槍みたいに顔合わせも終わらないうちにやってきたりなんかしないと思うんだよね。貴族同士の結婚とかって大体家同士の繋がりっていう部分がデリケートな問題で、面子がどうのこうのって問題になりやすいんだから。
「……ユリアは」
「え?」
「私が、知らないところで……立派に、育っていたのだなあ」
「お父さま?」
「私は、父親として間違っていたのかもしれないと、ふと思ったんだよ。お前が結婚して平凡な、貴族の奥方として暮らすのが幸せだとばかり思っていたんだ。けどね、お前がうちの侍女たちを指導している時の姿は堂々としていてね。パーバス伯爵さまを前にした時もだ」
お父さまは、ちょっと寂しそうな、嬉しそうな、そんな笑顔を浮かべました。私を見て、そして私の手をそっと躊躇いながら取って……。
幼い頃は、こんな風に時々手を繋いで、母の残した花壇を眺めに行ったことを覚えています。その時の手に比べれば、お父さまの手は皺が刻まれていました。当たり前だけど……当たり前のことだったけど、私はあの頃に比べて大人になりました。
けど、中身は変わらない。私は、この人の、娘なんだ。
「私には、働くことが誇らしいというのはまだよくわからないよ。領民が幸せなら良いなとは思うし、安堵もする。だけどね、私は正直子爵位にいるのが相応しくないんだろう。そういう意味ではメレクが早く継いでくれることになって安心だってしている。これは前にも話したかな?」
「いえ、初めて聞きました」
そんな風に思ってたんだ!?
いや、そうかなぁとは思うところが節々にあったけど……。
お父さまはどこかくたびれた様子で笑うと、私の手を離しました。温もりが離れて、少し寂しい気分になりましたがそれを口にはできませんでした。
「メレクが、堂々とパーバス伯爵さまの前に立った時、私はメレクが大きくなったんだなあ、と今更ながらに思ったんだ。お前のことも、メレクのことも、私はまだ……どこかで、小さな子供のままのように思っていたのかもしれないなあ」
「お父さま」
「そんなはず、ないのになあ」
「でも、私とメレクにとって、お父さまが大切なお父さまであることは、変わりません!」
「……ありがとう。いつも情けない姿を見せている気がするね。そんな父親で、がっかりしてばかりだろう?」
「そんなことはありません。お父さまは、……私のわがままを、いつだって困ったように笑って、受け入れてくださって。私が働くことを、わからないと言いながらも戻れとは一度だって仰いませんでした。自由に、させてくださいました!」
「それは、お前が王女殿下の専属侍女になったからだよ」
お父さまが苦笑して言いましたが、いいえきっとお父さまは私を無理に呼び戻したりなんかしなかった。困った子だなぁって、お義母さまになんて言い訳しようか、なんて言いながらきっと……自由にさせてくれた。
「パーバス伯爵さまに、もしさっきのようなことを問われたら、メレクの好きにさせてやりたいと答えるよ。うちは弱小貴族なのに違いはないけれどね、だからこそそうそう失うものもないし、なぁにいざとなったら私が方々に頭を下げて回ろうじゃないか。そういうのは得意なんだ」
「お父さま……」
「今からでも、私はお前たちの父親として、父親らしいことをしてあげられるのかなあと思ったんだよ」
お父さまはそう言うと、立ち上がって、私の頭をそっと撫でました。
ああ、この人は、優しい。
お父さまだけじゃない。私の周りには、たくさん優しい人がいた。それに甘えていたんだ。
前世の記憶を取り戻した、『良い子』ぶった私を可愛い娘って愛してくれる優しいお父さま。私がもっと体当たりで甘えに行っていたなら、きっと今みたいに話をしてくれていたに違いない。
どれだけ、私が言葉を使わなかったのか。わかってくれる、なんて勝手なことを思っていたのか、それを突きつけられた気がする。
「ユリア、頼りない父親だけれどね。お前が筆頭侍女っていう立場になって、しっかりやっているんだ……とようやくわかった気がするよ。すまないね。気が付くのが、随分と遅かったんだ。お前の母さんにも、叱られてしまうかなあ」
お父さまがそんな風に言うから。泣いちゃうじゃないか!
思わずぎゅっと、お父さまに抱き着いた。ああ、もしかしたら私、子供の頃からこうしてお父さまに甘えたことなんて数えるほどだったのかもしれない。
びっくりしたみたいだったけれど、お父さまはまた頭を撫でてくれた。
子供みたい、なんて思ったけれど。
(いいんだ、私はこの人の娘)
父親に甘えるのは特権なんだから。
10/11 一部修正いたしました。(大筋変わってません)