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私が遠い目をするのは、一体生まれてから何度目のことなのかしら。
おかしいわね、私ったら子爵家に生まれて跡継ぎじゃないと喜び、そして侍女として働くうちに働く喜びに身を浸し、仕えるべき方を見つけてその方の侍女になれたことに誇りを持ったはずなのだけど。
ブラック企業じゃないから無理な残業ないし! 同僚は病んでないし! お給金も悪くないし! お仕着せの衣装も良い素材で扱わせてもらう茶葉や食材も良いものだし!!
で、今なんで私は王宮の奥、後宮側の離宮、王太后さまのお住まいで採寸されているんだっけ……?
しかもこのお針子さんすごいわー職人だわー。
私の半分くらいの身長しかないちょっとフルフルしてるお婆ちゃんだったから心配だったんだけど、巻き尺持った途端に閉じてた目が開いて震えが止まるとか何か必殺技でも出してくるのかと思ったわ……。
いやある意味すごい勢いで採寸してデザイン画を何枚も描いている辺り必殺技……?
私が知っているテーラーの仕立て屋たちの何倍も速いと思う。なんだろうこのおばばさま。
そしてどんなデザインになるのか見せていただけないかお願いしたのにちらっとこっちに視線を向けただけで「当日を楽しみにしんしゃい……ババァ頑張る!」と断られたわ。
……あら? なんだかこのおばばさま可愛くてきゅんとしちゃった。
私疲れているのかしら。
「ユリアも最近色々あったから疲れていることでしょう。侍女として働くのが楽しいと言ってくれるのは嬉しいけれど、そろそろ現実の問題を片付けてこそそちらに集中できるというものですよ」
「は、……はい、申し訳ございませんでした」
「ふふふ、いいえ。年寄りは説教臭くていけないわね。ついつい話し相手が少ないものだから貴女がここを訪れてくれて嬉しくって。いつも孫たちの相手をしてくれてありがとう。貴女のおかげであの子たちが歪まずに成長しているように見えるわ。いつかお礼をせねばと思っていたのだから、ドレス類くらいもらってやってちょうだい。貴女もデビューさえしてしまえばそうそう夜会に何度も足を運ばなくて済むようにはこちらでもしますから。あ、でもこの書類は今ここで目を通して覚えていってちょうだいね?」
「は」
はい、と言おうと思ったけれど、ちりんと鈴を鳴らした王太后さまの向こうから銀のトレイに高さ30センチほどの書類の束が現れた時には思わず言葉を失うというか。
顔が引きつらなかったのを是非褒めていただきたい。
「そういえば今回の顛末は聞いていて?」
「……しかるべき方からの説明がある、としか」
「そう、私に説明させる気なのね。アーネストの坊やったらまた説明が面倒になったのかしら? ビアンカに言ってもう少し仕事以外でまともに喋るようにしてもらわないと」
はーっとため息を吐き出す王太后さまはそれでも困った子供を思う母親のような表情を浮かべていた。
そういや王弟殿下と宰相閣下は友達なんだから王太后さまが子供のころから宰相閣下をよくご存じでもおかしな話じゃないのよね。なんたって公爵家だし。
「正確にはシャグラン王家からは以前にプリメラの結婚話を持ち掛けられたことがあるけれど、それはお断りしたの。その理由はまあ表向き向こうは前回の友好として嫁いできた大公妃が子を儲けていないから、というものだったけれどこちらとしてはその大公妃が存命中に同じような形をとるのは望ましくない、とね。本来なら向こうの王太子の妻、つまり次代の王妃にと望むべきだったのだけれど向こうはお家騒動があったばかりでプリメラを側室に、なんて言ってきちゃったから娘を溺愛するあのバカ息子が一方的にお断りしちゃったのよ。流石に外交的に問題がない様に、一時的に関税を緩めたりなんかもあったのだけどね」
「そ、そうだったのですか?!」
「勿論プリメラには知られぬように秘密裏に片付けた話だもの。それに向こうが打診してきたのも非公式。つまりまだお家騒動が落ち着いていないから、うちの後ろ盾が欲しかったのね。でも向こうの王太子にはすでにあちらの公爵家から嫁いだ女性がいてすでに御子もいらっしゃる上に側室もいる状態。さすがに正妃の座を挿げ替えるのは無理と考えたらしくて結果側室に、よ。焦りもあるのだろうけれどあれが王太子ではあの国も未来は暗いわね。せめて腹心の部下たちに相談しての非公式な書状ならきっと止める人物もいてくれただろうに、どうも調べたら独断だったようだし。そして側室が向こうの商家の出身で、今回タルボット商会と繋がりを持った、ということなの」
「なんてこと」
「勿論、これは王家としての話なのかと、陛下があちらの陛下に互いしか知らぬ連絡法で問い合わせたところわかったという話よ。どこの国も同じで側室たちが己の子を玉座につけようと醜く争っていて、王が蚊帳の外だなんてね」
くすくす笑う王太后さまは屈託なくて、本当にただ楽しそうに笑う。
だけれど言っている内容は、他国の恥ずかしい裏事情というやつだ。
一体どこからどこまで筒抜けになるんだろうとひやりとしていると、王太后さまは私のそんな内心に気が付いたのかちょっと瞬きしてからにっこりと笑った。
「大丈夫よユリア。貴女の部屋にちょくちょく近衛のアルダール・サウル・フォン・バウムが行っていたり、貴女がこっそりと城下のミッチェラン製菓店でチョコレートを買ってきたり、それを見習いの子たちに食べさせてあげているなんて知っていても私の胸のうちよ」
ぐっは。
それ全部知ってるわようふふってことじゃありませんか!!!
今度こそ顔を引きつらせずにいつもの表情を保った私を誰か褒めてください。
「それにしても貴女優しいわねえ。見習いメイドの子たちのお給金じゃミッチェラン製菓店の菓子なんてそうそう食べられないでしょ。喜んでいた?」
「はい」
「そう、良かったわね。本当に貴女は面倒見が良いから王女宮に配属されるメイドや侍女たちは幸せ者ね。ちゃんと甘やかすばかりじゃなく教育もして、さらに他にも字や計算を教えてるんですって?」
「ど、どこからそれを……」
「アルベルトからね」
あっさりと王弟殿下がバラした犯人だと聞いて今度こそあの方のおやつは当分来ても出さないと心に決めたのでした。
「そうそう、それでその書類は覚えられたかしら?」
「はい、……いいえ、もう少々お時間をいただけませんでしょうか」
「ふふふ、鉄の侍女と呼ばれてもやはり貴女は生身の女ねえ。ちょっとつついたら動揺しちゃうって他の人は何故わからないのかしらね?」
「……さあ、わかりかねます」
「ああそうそう、それで貴女。アルダール・サウルとはどうなの?」
「どうなのと申されましても、私とあの方はディーン・デインさまとプリメラさまが仲良くなれるように……!!」
「ほらほら、書類から目を離さない」
「は、はい!」
「うふふ」
……常識人だけど、ちょっと悪戯好きが過ぎるんだよね、王太后さま。
退屈なんだってわかってるけど……是非私以外で遊んでいただきたいです!!
悪戯好きの老婦人とかちょっと可愛い。