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「ユリア、いつの間に帰って来ていたの? 知らなかったわ!」
「昨晩、遅くに。ご挨拶させていただこうかと思ったのですが、もうお義母さまたちはお休みだったので……」
「それじゃああの人にはちゃんと挨拶をしたの? 先に起きて行ったのだけれど」
「……はい、たった今。昨晩も、起きていらっしゃったので挨拶をさせていただきましたけれど」
「そう、ならいいわ」
にっこりと笑ったお義母さまは、とてもとても機嫌が良さそうだ。
私が帰ってきたから、というよりはメレクが良縁を得たことがやっぱり嬉しくてたまらないんだろうなあと思う。だって私のことなんて見ているようで見ていないもの。
その証拠に。
「そうそう、メレクとセレッセ伯爵家のお嬢さまの顔合わせに関して、私の生家であるパーバス伯爵家がご協力くださるっていうのよ! ふふふ、これも貴女のお陰ね! 今まで子爵家にしか嫁げなかったと軽んじられていたけれど、これでこの家も躍進していくというものだもの」
「お義母さま……」
ぐっと苦いものが胸の内に広がる。
喜ぶお義母さまと、まるで正反対の気分な私。
私は何もしていない、そりゃまあ……結果としてセレッセ伯爵さまと知り合いにはなったし、言葉もかわした。アルダールの先輩だったっていうのは最近知った事実だし、オルタンス嬢が何故か私を尊敬している? という不思議な現象はともかくとして。
私はただ、打ち込める仕事を見つけただけなのに。
結婚とか家の柵とか、そういうものに貴族令嬢として縛られていくのだろうなあと曖昧に思っていた中で見つけた、そんな道。真面目に頑張ったからこそ、それを評価してくださった人と出会えただけで……正直に言えばファンディッド家の名を汚さない行動をしてきただけで、ファンディッド家のために行動したことはない。
ああいえ、夏に起こったお父さまの件はちゃんとファンディッド家のために行動した、かな?
でもあれも侍女を辞めさせられちゃうっていうのが最初にあっての事情を知ってファンディッド家が凋落して欲しくないと行動したんだから……ちゃんと実家に貢献はできていたの、かな。
「どうしたの?」
「いえ」
「貴女のお陰でファンディッド家はこれからきっと子爵でおさまらない発展をしていくのよ、もっと喜んで良いのよ? メレクももう起きているし、この後は顔合わせの準備について話をしなくちゃね! 私のお父さまであるパーバス伯爵さまも午後にはお越しになるから、それまでに最低限は整えないと! 兄も来るのよ。うふふ、珍しいわよねえ、兄妹仲はあまり良くなかったのだけれど、息子が名家から花嫁を迎えるというだけでこの扱いの違いだものね!」
「……」
お、おう。
お義母さまのはしゃぎっぷりがちょっと怖いね!?
なんだか苦かった気持ちがしゅんって消えたよ……ある意味すごいよ!
でもちょっと待って、あれ、冷静になるとですね。おかしくないかな?
「お義母さま」
「なぁに?」
「……朝食を、とりあえず皆でとって一旦落ち着いてお話しいたしませんか?」
「ああ、そうね! そうだったわ!!」
笑うお義母さまはもうこれ以上ないほど幸せそうだ。
うん、そんなに生家では窮屈な生き方してたんですか……? 結婚こそが女の幸せ的な発言が多い人だと思ってたけど、もしかして実家でずっとそう言われてたのかな?
それにしても“子爵家にしか嫁げなかった”って……パーバス伯爵さまがお義母さまの嫁ぎ先をうちのお父さまっていう部下しか見つけられなかっただけじゃ……おっと、失言。
足取り軽く先を行くお義母さまを見送って、思わずため息を漏らしてからぎょっとしました。
お父さまが書斎から、顔を半分覗かせてるから! 怖いわ!!
「お、お父さま……」
「ユリア、その……私はお前の気分を害したの、かな……?」
「……えっ」
えっ、今のお義母さまのハイテンションはスルーなの?
そっちの方にびっくりしちゃいましたよ。いやまあ私としてはお父さまとの話し合いの出鼻を挫かれたことにショックを受けていたのは確かだったんですが……。
「私はね、お前をちゃんと、娘として愛してきたつもりだ。そりゃぁ頼りない父親だしね、ろくでもないことをしでかして迷惑もかけたし……だからこそお前が幸せになってくれるならと思えばこそ、さっきの発言になったんだ」
「お父さま」
ああ、もう。私には前世の記憶がある。だから不器用だ。
そう思ってました。
今でもそう思ってます。
だけど、だけどね? ユリア・フォン・ファンディッドは、確かにこの家の娘で、そしてこの不器用な人の娘なんだなあとも思うんです。
愛されてるって思ってますよ、ちゃんと私もそれを感じてます。
多分私は甘えるのが下手過ぎたし、お父さまは娘を相手にするのが下手過ぎたんでしょう。
間に入ってくれるはずのお母さまは私を産んですぐ亡くなってしまったから。
「お父さま、私は仕方なく仕事などしていないのです。楽しく働いております。王女殿下はお優しく、そして聡明な方です。上司である統括侍女さまは厳しいお方ですが、尊敬できる女性です」
「ゆ、ユリア?」
「私はお父さまの目から見れば、さぞかし不憫で哀れな娘かもしれません。早くに母親を亡くし、見目が良いとは言えない私が慣例の行儀見習いに出て戻ってこないのは……そういった道を諦めたようにも見えたのかもしれません」
カッコ悪い親子喧嘩を、始めなくちゃいけなかったんだろうなって今更気づきました。
きっとすぐになんてお父さまが理解してくれるはずもない。
だとしても。
私は、ちょっと……いやかなり? 変わった娘だったとしても。
お父さまは、今、はっきりと『愛している』と仰ってくださった。
それに対して私だって、なりふり構っていていいんだろうか?
大体、私達父娘の間で、ぶつかり合ったことなんてあっただろうか。そんなこと、一度としてなかった。
なぜなら私が、それを避けたから。本来あるべき親子の関係を築いてこなかった責任は、お父さまだけじゃない。寧ろ大いに私にあると言えるんじゃないだろうか。
前世の記憶を元に大人の振る舞いをしてしまったのだから。
「お母さまを亡くして、支えを失ったお父さまが一生懸命に領主としてのお仕事をしていらしたことを知っています。だから私は我儘を言ってはいけないと、思っていました」
「……えっ」
「私は、確かに世間から見ると行き遅れですし……その、美人とはとても言えないかもしれません。アルダールとのことで様々な噂が飛び交っていることも、知っております。だけれど、それだけが全てじゃないんです。私は働くことで、認めていただけることがどれほどありがたいのかを知りました」
「ユリア……?」
「今では可愛い後輩たちもおりますし、とても充実して暮らしているんです。……結果として、ファンディッド家に良いことをもたらせたのならば、嬉しいです。ですけど」
その後、うまく言葉が出ない。
一生懸命、言葉を紡いでいるつもりなのに。何一つとして上手く喋れてなんかいない。
きっとお父さまだって、私が急にこんなことをたくさん言い始めて混乱しているだろう。
私だって、ここまで自分が不器用だと思わなかった。
「……ごめんなさい、お父さま。ただ私、お父さまにどうしてもわかって欲しくて。……ちゃんと、その。もっとお話をしたいです。今までわかってくれるだろうって勝手にそう思っていて」
「……」
「でも、それじゃだめですよね。お父さまともっとたくさん、話をするべきでした。頭でっかちな娘で、本当にごめんなさい。メレクの婚約関係のお話が済んだら、私とも時間を作ってくれますか?」
「あ、ああ……勿論だとも。私たちは親子じゃないか」
「ありがとう、お父さま。……私たちも、朝食に向かいませんか」
「……そうだね」
お父さまが私をエスコートしようと書斎から出てきて、腕を差し出してくれた。素直に応じると、お父さまが「お前は、すっかりレディになったんだねえ……」なんてしみじみ言うから少しだけ笑ってしまった。
きっと私たちは、コミュニケーションが足りないんだ。結婚だ何だって言うくせに、レディになっただなんて! お父さまも自分の発言がおかしかったのか、困ったように笑っていた。
今日分かり合えなくてもいい。明日も分かり合えないかもしれない。
いや、下手したらパーバス伯爵さまが来てそれどころじゃなくなるという可能性も!?
そうならないといいなあ、なんだかようやく一歩を踏み出した気がするっていうのに!