158
ミッチェランの個室でなんとなくこう……幸せに浸ったわけですが、いつまでもそこで過ごすわけにもいきません。予定よりもずっと遅れてしまいましたが、アルダールと一緒にまた外へと出ることにしました。
もっとイチャイチャするのかと思ったなんて微塵も! 微塵も思っておりませんよ!!
いえ、アルダールが部屋を出ようと言い出した時にはちょっとだけ不満を覚えたわけですが、アルダールが笑ってこういう場所なんかよりももっと二人で過ごしていきたいと笑ってくれたのでそりゃそうかって思ったわけですよ。
え、私が単純だって? 今更ですね!!
(まあ、正直あの甘い空気にこれ以上耐えられないっていうか恥ずか死ぬっていうか幸せは幸せですけどね? でもほら幸せ過ぎても人って溺れ死んだりしないかしらって心配になるレベルだったっていうかね?)
だから正直店員さんに生暖かい視線で見送られた時には「助かった!」と思わずにはいられなかったっていうか……気のせいじゃない。アレは気のせいなんかじゃなかった。
生あったかい視線だったんですよ、ハイハイおまえらいちゃついて羨ましいぞーっていう空気を感じましたね、ええ、実体験から私が間違えるはずがない空気ですよ!
あ、なんだか自分で言っていて悲しいです。今リア充なはずなんですけど。
「そういえば、悪いんだけどちょっと寄りたい店があるんだ」
「え? そうだったんですか、早くおっしゃってくだされば」
「大丈夫、この近くなんだ。寄ってもいいかな」
「勿論です」
ふんわり笑ってアルダールが腕を出してくれるので、それに寄り添って……ってなんだろう、この一連の動作は照れなくなってきました。人間って慣れる生き物なんですね……。
しかしアルダールが寄りたい場所ってどこだろう?
そう思っているとミッチェラン製菓店の、ちょっとだけ先に進んだ宝飾店が多く並ぶ場所にたどり着きました。
「ここだよ」
「……ご家族への贈り物ですか?」
「ああ、うん。それはもう買って実家に贈ってある。年末に顔を出したからね、もう私はこの後勤務に戻るから」
「まあ、ディーン・デインさまが残念がられたことでしょう」
「ちょっとだけね」
くすくす笑うアルダールの表情が柔らかくて、ディーン・デインさまとの兄弟仲の良さがわかりますよね。きっとお兄さん大好きなディーン・デインさまがちょっぴり不満そうな顔をして送り出してくれたに違いありません。
そしてそれを思い出して優しく、兄の顔をして笑ってるアルダールの柔らかい雰囲気が。
「……やっぱり、好きだなあ」
「え?」
「え?」
アルダールが店の入り口で私の方を振り向いて、振り向いて……?
あれ、今私何を口走ったんでしょうか?
あれ。
あれえええ!?
「アルダール! お店の前で立ち止まってはご迷惑だと思いますからさあ中に入りましょう今すぐ入りましょう!」
「え、今」
「ほら早く!!」
「……後で覚えてて」
「もう忘れました」
なんという失態……なんという……あああああ穴があったら入りたい!
今の私の顔はさっきと同じかそれ以上に赤い気がする……誤魔化しきれてはいないけど、とりあえずやり過ごすために店内に急かしたけどこの顔でどうしてろっていうんだろう。
どうする自分、どうするユリア!!
いや待て、こういう時前世ではよく冷静になるために因数分解だか円周率を数えると良いとか言いましたよね。人という字を掌に書いて呑むとかもありました!!
いや店内でやったら怪しい人ですね、ほらでも脳内で円周率ならできるはず。
……そんな長くは覚えてないよ!? なんていうことでしょう……そもそも数学とか得意な人間ではありませんでした……。
はあ、でもこんなバカなことを考えていたからか、落ち着きました。
そうですよ、店内なんだからアルダールだってもうさっきの発言を突っ込んでは来ないでしょう。
ちょっと「後で覚えてろ」的な不穏な発言が聞こえた気がしますが、私は忘れました。ええ、忘れましたとも。
「……この店に、来たことは?」
「ないです。宝飾店そのものに、あまり足を運ばないもので」
「そう。ここはね、義母上がお気に入りの職人がいるんだ」
成程、このお店もバウム伯爵家御用達ってことですね!
しかしアルダールは何の用でここに寄ったんでしょう……さっき家族用のは贈ったと言ってましたし。
それにしても店内は落ち着いた様子で、客の姿はちらほらといった程度ですがいずれも上流階級の方です。王城でお見掛けしたことのある方じゃないですかね。
ショーウィンドウに出ている品は少なく、まるでカフェのごとくテーブルと椅子が用意されていて……あれですか、ここは基本的にはお客さまからの依頼を受けてから作成するとかそういうオーダーメイドが主流のお店なんでしょうか……。
私からするとショーウィンドウにある品だけでも十分素敵……って値札ついてませんね。いえ、よくよく考えたら値札ついてるような庶民的なお店には上流階級の方はお越しじゃないですよね。
はっ、世界が違うってこういうこと……!!
「ユリア」
「えっ、ああ、すみません。ぼうっとしちゃって」
「何か気に入ったものがあったのかい?」
「いえ、こういう場所に来ないから興味深かっただけで……ごめんなさい、それでお買い物は済みましたか?」
「ああ、うん。今済ませるよ」
「え?」
エスコートされるままに座った椅子。
私の前に恭しくビロードを敷いた箱を持ってきた店員が、一礼する。
その深い青のビロードに鎮座するのは、ネックレスだった。
小さな、それこそ店内に飾られているものよりも小さな石をあしらった、ネックレス。
「ブルーガーネットを使用したネックレスにございます」
「ブルーガーネット……」
「うん、注文通りだ」
「恐れ入ります」
アルダールが満足そうにうなずいたことに対し、店員も薄く笑みを浮かべて一礼する。
ブルーガーネットって確かとても貴重な石じゃなかったかしら。前世でも聞いたことがあるって程度で、こちらの世界でも貴重とか聞いた気がする。
以前プリメラさま相手にそういえば商人が持ってきていたことがあったっけ。でもサイズはあちらの方が大きかったけれど、こんなにも輝いてはいなかった気がする。
それに、この青色は、どこかで見たような色?
「このままつけていく」
「畏まりました」
「えっ、あの!」
「ユリア、悪いけれど髪を上げてくれるかな? ……つけさせて欲しい」
「アルダール?」
「……新年祭の、私からの贈り物。受け取って欲しいんだ。このくらいのデザインなら、普段の仕事着でもつけることが出来るかなって」
うわああサプラーイズ!?
色んな意味でのサプライズ!?
ああ、そうか、この色。
「アルダールの、目の色……?」
「……うん、まあ、ね」
ほら、と促されて私も覚悟を決めましょう。
アルダールに背を向けるようにして、髪を片側にかきあげます。
私の、気のせいじゃないなら。自惚れても良いのなら。
彼の目の色をした石をプレゼントしてくれるということは、普段から使えそうなデザインを選んでくれたということは、それなりに……独占欲を形に、してくれたってことですよね?
指先とか、そういうところに飾りを出せない私に、色々考えてくれたってことですよね?
義母上さまの行きつけの服飾店に装飾店。
バウム伯爵家御用達とはいえ、そういうところを愛用するにはアルダールは複雑なものがあるでしょうに……私の為に、色々としてくれたってことですよね。
「ついたよ」
「……ありがとう、アルダール」
「ごめん。急に」
「いいえ、嬉しい」
「本当に?」
「ええ、本当に」
高価なものだからじゃないよ、とはさすがに店内では言いませんけどね。
ほら、誰が聞いていて『なんだあのバカップル』って思われたらいけません。恥ずか死ねる。
(だけど、なんだろう……)
いや、嬉しいんだよ。
本当の本当に、嬉しいんだよ?
でもさあ、ほら……私贈り物先に渡しておけばよかったなあって今思うんですよ……!
こんな高級ネックレスの後にペーパーナイフってちょっとハードル上がっちゃったよね!
いや、アルダールがモノの値段で価値を量る人じゃないってわかってますけど、こっちの心情的な問題ですよ……!!